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死にたくない

最近、希死念慮という言葉を耳にすることが増えました。友人から「30代くらいで死にたい」と言われたり、「昨日死ななかったから今日も生きてるけど別にいつ死んでもいい」とも言われました。

え、そんなに皆死にたいって思ってるの??

私はめちゃくちゃ驚きました。たしかに私だって、高校時代は友人たちと「テスト勉強つらすぎ〜しにた〜」と話したり、大学で初めてできた彼氏に振られたあと「もう生きてたって意味ない」と思ったりはしました。でも、そう思うことも一種のパフォーマンスというか死にたいくらい追い詰められた私を楽しんでいたように思うのです。
でも、友人たちのいう希死念慮は、そういうのとはまた違うものに感じました。ほんとうに生に執着がないというか、生きる辛さと死ぬ辛さを天秤にかけているように感じたのです。


わたしには、未だにその感情が分かりません。
小さい頃、死んだ後はどうなるのか?もう家族にも友達にも会えないのか?美味しいご飯は食べられないしどこにも遊びに行けない、そう考えると怖くて眠れなくなることありませんでしたか?私は割とありました。怖くなって母に抱きついて寝たことも。
というか、今でも怖いんです。私自身は、死後の世界や生まれ変わりはないと思ってます。では、死んだらどうなるのか??

私の考えでは、待っているのは



です。
肉体はもちろん、記憶も感覚も感情もない、このいま生きてる世界に干渉する術がない、自分が死んでいること、世界と交流できないことを認識することすらできない、完全な無だと思っています。

怖い、怖いですね〜私はめちゃくちゃ怖いです。
「つらいことも苦しむこともないんだから楽じゃない?」と友人には言われました。そういうことじゃないんだよ!つらいことも苦しいことも、乗り越えたら楽しいことは起きるし、逃げ出したって生きてりゃなんとかなるし、そもそもつらいことすら生きてるから感じられるもので私はそれすら楽しんでる節があるのです。
本当につらいことにぶち当たったことがないからだと思う人もいるかもしれません。でも、私の人生は、家族や親しい友人には恵まれていたと思いますが、自分の容姿や能力、体のハンデなど割とハードモードな方だったんです。消えたい、逃げたいと思ったことはなんどもあります。
全部やめたい、誰にも干渉されたくないほっといてほしい私も期待しないから誰も私に関わらないでほしい誰か助けて欲しい好きなことだけして生きてふと消えたい誰も私に近寄らないで、と思っていました。一時期は、親ですらです。

それでも、死にたいとは思ったことがないんです。きっとどこかで、自分のことを認めてくれる人がいる、いつか楽しいことが起きると期待しているからかもしれません。だって推しを眺めたいし、ディズニーランドだって行きたいし、旅行だってしたい、友達と朝まで遊んで気を失ったみたいに寝たり、バイトでお客さんに振り回されてながらも金のため〜!と働くことすら誰かとの話のネタになる。
そして何より、自分が死んだ後も世界は続いていて、社会は発展していろんな考え方が生まれていって進んでいくのがずるい!と思ってしまうのです。もう亡くなっている人たちにはお前が言うな!と言われかねませんが、それを言ったらキリがないですよね。なんで今生まれたんだろうとか、死ぬことは確定してるのにそもそも生まれる意味ってなんだろうとか。大体は中学生くらいの時にぶちあたってだんだん薄れていく悩みですが、私はもうすぐ大学を卒業する現在でも超でかい課題です。
だって答えが出てないんだもん。むしろ答えが出ないまま、それぞれが自分なりに落とし所を見つけて皆悩まなくなっていくことにびっくりです。それが大人になるってことでしょうか、、。

ここ最近特に死について考えることが多くて、これを書いてみました。というか私は割と物や人に執着がない方なんですが、ライブ外れてあんなに悔しがってた友人が明日死んでも〜みたいなこと言ってた時が一番????てなりました。ライブ当たって死んだらそれこそ死にきれなくないか??
死後の世界については十中八九あり得ないと思ってはいますが、だったら今自分が自分であるという自我を持っていること自体も説明がつかないので、ワンチャン死後の世界ねえかな〜リメンバーミーみたいになんねえかな〜、骨で動きてぇ〜、と薄い希望を抱いています。

p.s.クラゲって体がばらばらにならないかぎり死なないらしいですね。でも漂うだけかあ〜とも思います。どっちがいいんでしょうか。

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