見出し画像

どす黒く渦巻く黒い感情

 酔っ払いの戯言を発信します。笑い流して呼んでください。せめてもの感じで写真は綺麗な朝方にしておきました。

 私は自己分析することが結構好きです。自分の日々の言動や考えを鑑みて、自分はどんな人間であるか、自分の長所や短所、魅力はどこなのか考えることがよくあります。
 これは確実に就職活動を経て得た習慣ではあるのでまだここ数ヶ月の話ではあるのですが、自己分析するようになってからの心情の変化はめまぐるしいものでした。

 確実に大きく変わったことが、自己肯定感です。私はこれまでの20数年の時間をほぼネガティブな感情で生きてきました。特に幼少期は自分自身の容姿や能力に関してはもちろんですが、才色兼備な姉や根拠もなく自信を持っている周囲の人間に対する劣等感を持っていました。高校で唯一無二の親友に出会えたことや、姉が私のことを本当にかわいがってくれたおかげでだんだん自分のことを認められるようになりました。それでも、世間一般から見るとめんどくさいと言われるくらい卑屈でネガティブな人間でした。
 そんな人間が、大学3年の夏頃から約1年間にわたり自分のことを過大評価レベルに評価し、自信があるように演じて面接を受け続けました。その結果、口から出た言葉は現実味を帯びてくるようで、本当は自分は結構いいやつなんじゃないか?結構できるやつなんじゃないか?と思うようになり、卑屈な感情をとっぱらって真に客観的に見ることができるようになりました。そこからはとんとん拍子に選考を進めるようになり、春から志望して選考を受けていた企業から内定をいただくことができました。

 ここだけ文面で見るとむしろ慢心が見られると思う人もいるでしょう。ただ、わかって欲しいのはこれまでの私は本当に卑屈でネガティブな人間だったということです。
 これまでを知っている友人に私の印象を聞くと、「優しすぎて傷ついてる」「自分に自信がない」「ネガティブ」と言われました。もちろん良い印象の意見ももらったため就活ではそちらを話しましたが、当時の自分は「本当にそんなこと思ってるのか?」とこれまた卑屈に捉えていたため正直ポジディブな意見はあまり覚えていません。そのくらいひねくれていて自分に自信がありませんでした。

 だからこそ、自分を客観的に見て良い点を認められるようになったことは本当に成長だと思います。マイナスのどん底にいた自己肯定感を0まで引き上げることができ、やっと最近プラスにすることができてきました。


 そして今直面しているのが、心の奥底に渦巻いている黒い感情が一向に取り払えないことです。

 おいおい、ポジティブになったんじゃないのか!?と思った方、私もそう思いました。
 ポジティブな考え方ができるようになった私は、自分の変化に大いに喜びました。家族や友人にも自分の考え方の変化を話すようになり、皆同様に喜び褒めてくれました。最初はポジティブ人間に変われたんだと嬉しく思いました。
 ただ、自分を認められるようになった、自信が持てるようになったというのは「自己と向き合う心」に関しての変化であって、「他人に関する捉え方」の変化ではなかったのです。

 私は元々他人の良い点を認めたり、理解するための努力はある程度得意なようでした。就活でも自分の長所として「他人の立場に立って考え行動に移すこと」を挙げていました。その点については既に自分で自分を認められていたということもあり、現在自分が(まだ)認めていない人、あまり知らない人への関わり方に悩まされています。
 特に苦しんでいるのがSNSです。SNSは一度関わった程度の人、友達の友達、同じコミュニティの話したことない人など知り合いだけど仲良くない人と多く関わりがあります。それから、自分はどうしても苦手/嫌いだけど、共通の友人が多く関係を切ることができない人もいます。

 以前「いじめらしきものとあいつの存在」というテーマでも挙げた、中高一緒で一生許すことのない友人もTwitterや Instagramでは繋がっているのが現状です。※リンクを貼っておくので詳しく知りたい方はどうぞ

 そしてタイムラインやストーリーでそういった「友人ではない人」の投稿が流れてくるたびに、私はなんとも言えないドス黒い感情に苛まれるのです。それは面白いツイートであったり、誰かに感謝されたり重宝されたりした経験のストーリーであったり、人から必要とされてることが分かるものほど大きく深くなります。
 そして、そういった感情が奥底で渦巻いている自分と、それを俯瞰的に見ている自分と2人存在しているように感じます。自分の醜い部分を全く別の視点から捉えられるようになったからこそ、本能的に現れ止めることのできない感情を近くからみては「性格が悪いなあ」と思っています。本能ばかりはどれだけ客観的に見ても、感情を整理してみてもどうすることもできません。

 感情を整理することは、既に存在する思いや感情、考えを組み替えたり傍に寄せたり綺麗に畳むだけです。そもそもそこに存在している素材でいる「感情」というものは、どれだけどす黒くても汚く汚れていても、それ自体を捨て去ったり綺麗に洗い流すことはできないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?