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いかなる花の咲くやらん 第5章第2話 高麗山の湧水

今のは 、いったいなんだったろう。人々のざわめきで、はっと我に返った十郎は、いきなり駆け出した。馬を降りかけていた五郎は慌てて馬に乗りなおし、急いで兄を追いかけた。
兄は叫びながら馬を駆し、一気に高麗山を駆け上がった。
山の頂上で、やっと馬を止めた。
「兄上、いったいどうしたのです」息を切らして五郎が訪ねる。
「妖精だ。子供の時からずっと、今一度会いたいと願っていた、あの藤の妖精だ」
「兄上が子供の頃、夢で一緒に踊ったという、あの藤の妖精ですか」
「おお、そうだ。すっかり大人になっていたが、間違いない。やはり夢ではなかったのだ。
まるで夢のようだ」
「夢ではなかったと言いながら、夢のようだと言う。いったいどっちなのです。あははは」
「わははは、それもそうだ」
「ふむ、妖精に姿を変えた神が、父上の無念を晴らさんとする我ら兄弟を見守っていてくださるようです」
「我ら、仇持ちの身の上では生身の女性と恋をするわけには、いかない。仇を討ったら自分たちも果てる覚悟。身の回りの付き合いをなるべくなくし、心残りの無いようにしなくてはならぬ。妖精にあこがれるくらいは許されよう」
その時、馬が苦しそうにいなないた。
「おお、これはいけない。馬を休ませようとしていた折であったのに、こんな山の上まで一気に駆け上がってしまった。どこぞに小川でも流れておらんか」
「しばしお待ちを」
五郎は何回か地面に耳をつけると、そばに落ちていた枝でドンと地面を突いた。すると、こぽこぽと泡が立ち、直に水が溢れてきた。
「でかした五郎。これで馬に水をやれる」
二人は馬に水をやってから、自分たちも喉を潤した。
「のう、五郎、この山の上からの景色は、曽我の屋敷からの景色に似ておるな。
あれが二子山、金時山。私たちのふるさとの伊豆半島が見える」
「そうですね。母上のいらっしゃる曽我は、あの辺りでしょうか。お世話になった箱根大権現様の箱根山も」
「富士の山が本当に凛々しい」
「曽我と違うのは、海がとても近いことだ。海も山も空も、とても美しい。この美しい景色に改めて、誓おう。父の無念を晴らすことを」
二人の志を受け止めるように、果てしない海のきらめきがどこまでも続いていた。

次回 第5章第3話「ひと時の平穏」に続く

 

曽我吾郎が湧水を湧かせたと言い伝えられている。


曽我十郎 硯水の池
湘南平の山頂付近にある湧き水
この池の水で習字をすると字がうまくなるといわれている。


高麗山からの富士山
現在の高麗山は桜の名所です          著者撮影

第1話はこちらから。

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