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「幻想水滸伝」と女子の話

 プレステでよく遊んだゲームに「幻想水滸伝」シリーズがある。中国の伝奇「水滸伝」をベースにしたファンタジー世界のRPGで、冒険譚というより、軍記物っぽかった。「108星」という100人以上の仲間を集められるのが作品の最大の特徴で、ナンバリングタイトルはどれもPSハードで出ている。

 僕は「Ⅰ」から「Ⅴ」まで、すべてプレイした。最初の二作は中学生の頃に友達から借りて遊び、あとの三作は社会人になってからまとめて前の二作とともに購入して、改めて最初から全部クリアした。

 本当のことを言えば「社会人になってから」というのは少し語弊がある。当時、僕はバイトをしたり辞めたりを繰り返していただけだったからだ。辞めたりの方が多かった気がする。社会と正しく繋がっていたとは言い難い。半社会人くらいか。半社の人間だ。

 時間のあり余っている半社の人間にとって、108人の仲間を集めるという壮大な目標が、5回も控えているのはありがたかった。社会との繋がりは希薄でも、幻想の世界にはのべ500人以上の仲間がいるのだ。LINEの友達だっていまだにそんなに居ない。

 以前に、男性の作家の先輩に好きなゲームを聞かれて「幻想水滸伝」と答えたら「女子のやるもんじゃないの?」と言われたことがある。長く社会と繋がりの薄かった僕は、社会における「幻想水滸伝」を遊ぶ人の相場がわかっていなかったので「女子のやるもん」という言葉が、ぴんと来なかった。最近になって「幻想水滸伝」シリーズのオーケストラコンサートに一人で足を運んだ時、客層を見て納得した。たしかに女性ばかり。

 言われてみれば、たしかにメインで登場する男性キャラクターは少女漫画に出てきそうな美形揃いで、女性が好みそうな感じではあった。さらに言えば、「Ⅰ」や「Ⅱ」の物語は道を違えた少年同士の友情をメインに描かれるし、「108星」には毎回、お互い軽口を飛ばしあうけれど息はぴったりな、熱いイケメンとクールなイケメンの青年コンビが登場する。なるほど。これは色んな意味で女性向けだ。

 でも、のべ500人以上の人間であったり人間でなかったりの仲間と出会った僕としては、そのレッテルを剥がしたい。可愛い女の子や煽情的な女性キャラクターだって多く登場するからだ。バトルでは特定のメンバーをパーティに入れると、美少女攻撃や美女攻撃などといった特別な技も使える。仕様からして男子の嗜好もカバーしているわけだ。

 主人公が王子である「V」に至っては、護衛役としてリオンという幼馴染の女の子が常に付き添ってくれる。リオンは移動画面にも主人公と一緒にずっと表示される。戦闘では主人公が瀕死になればかばい、倒れれば怒ってくれる。シナリオにも密接にかかわり、彼女の生死でエンディングも分岐する。これを男がプレイしなくてどうしますか。

 他にも、毎回登場する謎のグラマーな紋章師をはじめ、ふんどしみたいな軽装で巨大な剣を振り回す少女、腹話術で人形に毒舌を言わせた後でその人形を壁に叩きつけるサイコな女の子など、多岐に渡るジャンルの女性がときめきを提供してくれる。パーティを女性ばかりにして、ハーレム気分でプレイすることも可能だ。

 女性向けとも言い切れないだろうと思う理由は、他にもう一つある。

 半社会人だった僕が、家で「Ⅲ」をプレイしていた時のことだ。あれは忘れもしない、ビネ・デル・ゼクセという初めて訪れた港町の探索中に、僕の携帯が鳴った。電話の主は高校の時の男友達。攻略を邪魔された僕がぞんざいに電話に出ると、彼は「今、ある人と一緒に飲んでいるから来ないか」と誘ってきた。

 面倒だった。外に出るのが億劫だし、彼以外に誰かいるのも煩わしい。高校の友達で彼以上の仲良しはいないのだ。仲良くない第三者に神経を使う為に、わざわざ電車で何駅か移動しろというのか。それに僕は今、ビネ・デル・ゼクセに居る。カラヤ族の代表としてゼクセン連邦の評議会に挨拶しなければいけない。旧交など掘り返している場合ではない。断ろう。

 ところが、僕は数分後には身支度をして外へ出ていた。理由は簡単で、彼が一緒に飲んでいたのは僕が高校の時に好きだった女子だからだ。

 何かが始まるのではないかと思った。彼には僕がその子を好きだったことを話したことがある。これは彼が気を利かして、何かが始まるきっかけを作ってくれたのではないか。お洒落な服など一つもないが、それでもまだましだと思う服を選んで出かけた。

 久しぶりに会う彼女と、その時に何をしゃべったのかは、あまり覚えていない。お互いの近況なんかを話したはずだが、いかんせん半社の人間だった僕には嬉々として話せるような近況はなかった。そもそも仲が良かったわけでもないから、向こうも僕に聞きたいことなど別にない。だから、会話が弾まなかったことだけはたしかだ。

 もし「幻想水滸伝」が本当に女性向けに特化したゲームだったのならば、その世界にばかり浸かっていた僕は、女性の趣味嗜好を完璧にわかっていたはずだ。そうでないとおかしい。僕と彼女の会話が弾まなかったことこそが、「幻想水滸伝」が女性向けと言い切れない証拠だ。

 実際のところ僕はその時、友達を使って壁当てのような会話をしたのだろう。だから内容を覚えていないのだ。覚えているのは、彼女が髪にうっすらパーマを当てていたこととタバコを吸っていたことで、なんだかちゃんと大人やってるなあと僕は少し寂しく思った。

 彼女を駅で見送って男二人で帰る時、僕がその子を好きだった話を友達にすると「そうだっけ」ときょとんとされた。彼は別に気を利かせたわけではなかったのだ。彼は「あの子。付き合ってる男がいない時は、ガードゆるいらしいよ」と親切のような口調で言った。僕は悲しくも嬉しくもなく、むしろ腹立たしかった。そんな品のない切り口で彼女のことを語ってほしくなかった。ただ、彼女と話したことは何一つ覚えていないのに、その彼の言葉だけは覚えている自分がいまだに情けない。

 僕は同じゲームを繰り返し遊ぶタイプで、「幻想水滸伝」シリーズも、いまだに時折PSやPS2を引っ張り出して最初から遊ぶことがある。そして「Ⅲ」まで来たところで彼女のことを思いだすのだ。

 同じようにプレイしていれば、ひょっとしたらまた電話がかかってくるのではないか。そうなったらどうしよう。今ならもう少しうまく話せるだろうか。彼女は、あの夜のことを少しでも覚えているだろうか。いまだにガードはゆるいのだろうか。

 でも、電話が来ることはない。何度も遊んですっかり攻略の手順を覚えた僕は、いつも電話が鳴る前に、さっさとビネ・デル・ゼクセを後にしてしまうのだ。