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正義と悪

 正義とは、そして、悪とは何か。

 近所のスーパーで買い物をした。レジで店員がバーコードの読み込みだけをして、支払いは別の精算機でするタイプの店だ。

 一応、自分で買い物用の袋も持っているけれど、思ったより多くカゴに入れてしまったので「袋もください」と店員に言った。たぶん、五~六十代くらいの男性店員は「はい」とうなずいて、商品のバーコードを次々と読み取っていった。

 「一番のレジです」と言われて読み込みの終わったカゴを渡される。私は言われたとおりに一番のレジに移動し、現金を精算機に入れ、おつりとレシートを回収した。

 そこで気がついた。カゴの中に袋がない。

 レシートを確認すると、そこにも記載はなかった。だから、損しているわけではないが、ほしいと頼んで相手もうなずいたのに、つけてくれていないのだから筋が通らない。何より大量の買い物をしているので、ないと困る。

 私は店員のところに戻った。店員は次の客のカゴから商品を手に取り、今まさに読み込もうとしている。後ろにも数人並びつつある。迅速に訴えねば。

「すみません、袋がついていなかったんですが」

 店員の舌打ちが聞こえた。実際にはしていないが、そんな顔はしていた。店員は恥じるでも謝るでもなく、無言でビニール袋を取り出し、私へ手渡してきた。

 だが、そのまま受け取るわけにもいかない。袋代は精算されていないのだ。私はレシートを店員に見せた。

「あの、レシートにも記載がないんですけど」

「ああ」

 店員はわずかに声を漏らすと、ポツリと言った。

「サービスです」

 改めて袋の会計をするのが面倒だったのだろう。ただでくれると言ってきた。

「いいんですか」

「ええ」

 私はいったん受け入れたが、次の瞬間にはこう言い放っていた。

「だったらいいです」

 そして、袋を店員につきかえした。

「ふぇっ!?」

 店員はそれまでの一連の中で一番大きな声を出して驚いてくれたが、私は構わずに去り、サッカー台へとスタスタ歩いた。

 確かに店員のリアクションも、無理はない。わざわざ引き返してきてまでほしいと言ってきたものをただでやるというのに、断られたのだから。

 私は、なんだか許せなかったのだ。ミスをしただけのくせに、サービスと言って誤魔化していいものなのか。その光景を見ていた次の客からは、普通に袋代を取るのに。これでは私が悪者のようではないか。難癖をつけてごねたみたいではないか。

 こんな憤りを覚えさせた、レジ袋の有料化にも今更腹が立つ。そもそも有料でさえなければ。

 しかし、考えてみれば、後ろに並んでいた客もせいぜい三円だの五円だのの袋のことでいちいち文句を言うとも思えない。むしろ、あのタイミングで馬鹿正直に店員が私の袋代を先に精算した方がヘイトを集めただろう。クレーマーのせいで待たされる時間ほど、無意味で不愉快ものはない。決して態度が良かったとはいえないが、店員の対応はある意味では適切だったといえる。

 あの袋は私に一度差し出しているから、もう他の人には渡すことはない。そのまま処分するだろう。

 つまり、私はくだらない正義感のために袋を一枚無駄にしただけなんじゃないだろうか。限りある資源から生まれた結晶を、使いもせずゴミに変えたのだ。有料化は環境に配慮しておこなわれた施策であるはずなのに。私は悪者のようだったのではなく、まぎれもなく悪の権化だったのだ。この地球を蝕む害虫であったのだ。

 持参した小さな袋にギチギチに商品を詰めながら、そんなことを考え、店を出る頃にはわりとどうでもよくなった。