ぼくらは「本物」を探してる。「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」

「青春」とか「思い出」とか「愛」とか

口にするだけでなんとなく美しい言葉ってあるじゃん。

辞書を引くとほんの3行

だけども行間にはその何百倍も言葉にできないものが詰まってる。

人はそれを「人生」だとか「本物」と呼ぶんだけれど、そのことがまた話をややこしくする。

人生は青春だ、愛こそ人生だ、なんて。曖昧なものを、なにひとつ具体性をもたない別の言葉で補って知った気になってる。

青春=人生、愛=人生。ならば青春は愛で、愛は人生で、人生は……

わからない。

まったくもってわからない。

だからぼくたちは「本物」が欲しいんだ。

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」

千葉市立総武高等学校に通う高校2年生の比企谷八幡は、入学式当日に交通事故に遭ったせいもあり高校でも友達が出来なかったことから、友達を作ることを諦めて「一人ぼっち」を極めようとしていた。妙な屁理屈をこねながらぼっちな高校生活を謳歌しつつリア充を嫌い呪っていた八幡だったが、生活指導担当の教師・平塚静に目をつけられ、「奉仕部」に無理矢理入部させられる。そこで八幡は、校内一の才女として知られる雪ノ下雪乃と出会う。(wikipedia)

ラノベにありがちなグダグダ展開がくどいこともあるけど、なかなかよくできたラノベだ。既刊12巻、あと2冊で完結するらしい。

6巻くらいまで、主人公たちは奉仕部として学校の仲間たちの悩みを解決してゆく。依頼をこなすうちに奉仕部の3人、比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣は絆を深める。

だけど男子1人、女子2人の部活で誓い合う「ズッ友」は長続きせず、やがてバランスが崩れてゆく。

主人公の比企谷八幡くんはどうやら、表面上の関係とか嘘とか欺瞞とか、そういったものがない「本物」が欲しいらしい。「本物」が欲しいことは初期から一貫しているんだけれど、それが何かが一向に説明されないまま12巻まできた。

いや、奉仕部の彼らの歩みこそが唯一の「本物」といえるのかもしれない。たとえ彼らが卒業後に散り散りになって、会うことがなくなっても、奉仕部で得た「青春」や「思い出」はきっと本物だ。

恋も、友情も、愛情も、作品で説明されることはないけれど、「奉仕部」の存在をもって「本物」を証明しようとしている。

この作品の特徴は、主人公周りの人間関係に「名前」がないこと。比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結の3人は仲良しだけれど、友だちと表現されない。

雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結はよく2人でお泊まりするほど仲良しだが、親友なんて廃れた言葉で2人の関係を表すことはない。

友情とか、愛とか恋とか、そういうありきたりな言葉で片付けることを拒んでいる。だからこそ、奉仕部3人は作中かなり仲良しに見えながらもどこか危うい。

小さな波風ですぐに崩壊してしまうような不安定さを内包している。その理由はやはり誰が誰に恋心を抱いて、っていう話なんだけど(本文中にそういう描写はほとんどない)。

不安定なまま、物語が文庫本12冊も進んでいるからこそ面白い。まるで震度2くらいで倒壊してしまうボロボロのマンションをなんとか修繕しながら住んでいるかのようなスリルを味わえる。

「WHITE ALBUM2」のプロローグを彷彿とさせるような感じ。でも「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」はあくまでライトノベル。主人公たちの歩む未来がどうか、明るいものでありますように。



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