見出し画像

僕を記憶に刷り込む作戦

「〇歳までしか一緒に過ごしていないので、父or母の記憶は何もない」

こういうの、よく見聞きする。そのたび、マジかよおおおでもそうだよなあああ、ってなる。よく見聞きするあまり、たぶん一日に一回はこの言葉が思い浮かび、ひとりで勝手に激しく悲しみ、目の前が真っ暗になる感覚さえある。

「〇歳まで」。これ、数字はバラバラなんだけれど、一番大きいところだと「10歳」だったかな。

仙豆は3歳1か月。これだけ濃厚な3年と1か月を一緒に過ごしていても、外出時は抱っこ抱っこ攻撃を甘んじて受け入れてスキンシップをはかりまくっても、それを更にあと数年積み重ねても、僕に万一のことがあれば、彼の記憶には残れないのだ。そう思うだけで、その気になれば涙を流せる。

僕自身は、4歳か5歳頃の、父と母の記憶はある。いやでも、父のタバコが臭かったとか、母のトイレに一緒に入ったとかか。

親ではない古い記憶で、幼稚園の時におたふく風邪になって長めに休んだ後、久しぶりに登園したら、園庭で再会した先生がすっごく喜んでくれて、心配していたとか会えてうれしいとか、そんなようなことを言いながら力いっぱい抱きしめてくれたのを、今思い出した。

嬉しいなんてもんじゃなかった。先生が僕のことをそんな風に思ってくれていたのだということを全身で感じた数秒だった。もうちょっと他人みたいな気持ちで見ていると思っていた。どっちかといえば、僕のことは好きじゃないんじゃないかくらいに思っていた。だからもう、天にも昇る心地だった。毎日抱きしめてもらうためにはどうすればいいのかなとも、思ったりしていた。

…そうだ。これをやろう。いつもやってるような気もするけれど、もっとやろう。言葉と表情とハグ。全部を使って「大好きだよ!いつも一緒にいたいよ!大事な存在だよ!特別な存在だよ!」を、分かりやすく温かく伝えるようにしよう。そうすれば、もし万が一のことがあっても、彼の記憶の隅にほんの小さく残ることが、今の時点でもできるかもしれない。

母親との記憶も今ひとつ思い出した。たぶん僕が幼稚園生の頃。まだ日が出ていない早朝、母のこぐ自転車の後ろに座っていた。真冬だったと思う。あんまりキンキンと寒いので寒いと言ったら、母の服の中に入っていいというようなことを言われて、母の着ていたコートかジャンパーかの中にもぐり込んだ。もともと外が真っ暗なので、余計に真っ暗になった。自転車がどこをどう走っているのかが分からなくなり、それが刺激的だった。風は当たらなくなり、母親の背中の体温で確実に暖をとれた。嬉しかったし、楽しかった。

父の一番古い記憶は、寝かしつけで、布団の中で絵本を読んでもらった思い出。本当になんとなくうっすらだけど、優しい存在で、だから大好きだと認識していたことは覚えている。

このあたりの記憶を参考にして、「息子の記憶に自分を残すプロジェクト」を着実に進めていきたい。

記憶というものは、繰り返し思い出すことで定着する。だから僕とのことで息子が喜んだことがあれば、それを繰り返し話題にして、思い出させるようにしてみよう。

この写真とトップ写真は、先日上野の博物館に2人だけで行った時のもの。銀杏が臭い臭いと眉間に皺を寄せて言っていた。銀杏の臭さと僕が結びつくかもしれないけれど、記憶に僕を残してくれるなら背に腹は代えられないから、これも積極的に話題にしていこう。

ただのかわいい写真1
ただのかわいい写真2

…息子の記憶に残れないかもという心配事。僕に万一のことがなければいいだけの話なんだけど、誰にも予測がつかないようなことが起こる可能性はゼロじゃない。

もし僕に、父か母、どちらかの記憶が全くなかったとしたら、僕はそれをどう思うだろう。寂しい、ぼんやりとでも思い出したい、くらいの気持ちにはなると思うんだよな。そういう意味でも、このプロジェクトは常に意識していこうと思う。オズが10歳になる頃まで、ずっと。

サポートありがとうございます。仙豆と次男と母ちゃんを守ったり支えたり励ましたり笑わせたり、誕生日をスペシャルにしたりするのに使わせていただきます。