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高校からフルートを始めて、海外オーケストラの首席奏者に!? 「音楽が好き!」を突き詰めたらプロになっていた演奏家の話

洗足学園音楽大学には、クラシックやジャズを始めとした演奏系コースのみならず、ミュージカルやバレエコースなどの舞台芸術コース、はたまた映像や音響に関わるコースなど、全部で18コースが存在しています。

現在はプロの演奏家を始めとし、多くの卒業生がさまざまな分野で活躍していますが、今回はハンガリーのAlba Regia Symphony Orchestraの首席フルート奏者として活躍する菅野力(すがのちから)さんに、学生時代から現在の活躍に至るまでのお話を伺ってみました。

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菅野 力(すがのちから):静岡県出身。15歳よりフルートを始める。洗足学園音楽大学、スイス国立チューリッヒ芸術大学修士課程、ならびに同大学院特別修士課程を全て首席で卒業。これまでにフルートを上田恭子、大友太郎、Natasa Maric、Maria Goldschmidt、Sabine Poyé Morelの各氏に、ピッコロを菅原潤、Haika Lübckeの両氏に、室内楽を山根公男、千葉直師、渡部亨、Matthias Ziegler、Pamela Stehelの各氏に師事。
フリーランス奏者としてグラウビュンデン州立室内管弦楽団(スイス)、アールガウ交響楽団(スイス)、ミュンヘン交響楽団(ドイツ)プラハロイヤルフィルハーモニー管弦楽団(チェコ)、オストラヴァ・ヤナーチェクフィルハーモニー管弦楽団(チェコ)等にて客演首席として研鑽を積む。
チューリッヒオペラ管弦楽団、ベルン交響楽団を経て、現在Alba Regia Symphony Orchestra(ハンガリー)ソロ首席フルート奏者。三響フルート公式アーティスト。

高校に入るまでフルート未経験だった

――本日はよろしくお願いいたします! まず最初に、菅野さんがフルートを始められたきっかけを教えてください。

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菅野力さん(以下、菅野):母の影響で4歳からピアノをやっていたのですが、フルートを始めたのは高校に入ってからでした。
母が吹きたくて買ったフルートが家にあったんですけど、母は全然吹かず(笑)。それで吹奏楽部に入部すると同時に、フルートを始めたんです。

――勝手ながら、昔からフルートを習われていたのかと思っていました。

菅野:いやいや、高校入学時点ではど素人です。むしろ、ピアノの方がちょっと弾けるかな〜くらいの。

――そうだったのですね。そこからどういった経緯で音大に入ろうと思われたのでしょうか。

菅野:吹奏楽部の恩師が音大を出ていて、「音楽はいいぞ〜!」みたいなことを毎日言ってくれていて。それで部活終わり、先生に毎日呼び出されて、何人か一緒に練習を見てもらっていました。部活が終わって疲れた状態で、毎日2時間程度だったかな……。

フルートって音を出すのが難しいから、最初はよく酸欠になっていましたが、練習すればするほど楽器の魅力にハマっていったんですよね。それに僕は初心者だったので、フルートを吹くことがただただ楽しくて。

その延長で「もっと上手くなりたい!」と思ったことが、音大進学のきっかけでした。本当に単純な理由なんですけどね。

――菅野さんは普通科の高校に通われていたとのことですが、音大へ進学するにあたって、親御さんにはどのように打ち明けたのでしょうか。

菅野:最初はもう、大げんかした記憶があります! 母が音大を出ていたこともあり、音楽でやっていくことの厳しさも知っていたので、「お前がやっていける訳ない!」みたいな。

でも、そこから音大受験に向けてレッスンを見てくださる先生を探し回って、洗足時代の恩師と出会いました。それから、実際レッスンに通う中で、納得してもらえましたね。

朝から晩まで、練習中心の学生生活

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菅野:入学してからは、開門の7:15から閉門の22:00までとにかくずーっと学校にいました! 僕らのときって、今と違って練習室のweb予約ができなかったから、練習室を抑えるために開門前から校門前に並ぶ人が多かったんですよ。

僕もその1人だったのですが、自分の顔写真を貼った筆箱とか消しゴムを置いて並ぶ人(?)とかもいて、久本神社(※校門から約200m先)の前にあるファミマまで列が伸びることもあったんです。

――ええっ。今では考えられない光景です!

菅野:あと、教職も含めて合奏系の授業もいろいろと履修していたので、1限から5限まで授業が詰まってる日も多かったです。かなりパンパンなスケジュールではありましたが、授業がない時間は練習室にいることがほとんどだったように感じます。

朝練して、授業を受けて、また練習して……。思えば、練習中心の生活スタイルは高校生の頃と全く変わっていませんね。

――練習中心の生活を送る中で、プロの演奏家になろうと決断したのはどのようなタイミングでしたか。一般就職や、教員として働くことも選択肢の内にあったのでしょうか。

菅野:一般就職をしたいとか、学校の先生になりたいとか、そういった希望は全然ありませんでした。かと言って「楽器1本でやっていく!」って言い切れるほどの自信も持ち合わせてはいなかったんですけど……。

バタバタしている内に3年生になって、周りの仲間も進路について考え始めて、僕自身もこの先どうしよう……と、漠然と不安を抱えつつ練習に明け暮れる日々で。

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菅野:でも、そんな3年生のときに行われた実技試験で、はじめて首席になったんです。これまでずっと首席になれなかったことで悔しさを感じていたので、ようやく1番を取れた経験は大きな自信に繋がったことを覚えています。

そうして4年生になってからもさまざまな演奏会に出演させていただく中で、プロの演奏家として活動を続ける決意が固まっていきました。

卒業、そして留学へ

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――3年生の実技試験がきっかけとなり、プロの演奏家として活動を続けたいと思う気持ちが強くなったのですね。

菅野:そうですね。ただ、気持ちは定まったけど、具体的な進路は4年生になっても決まらず……。先生からも心配されましたが、プロの演奏家として活躍するためには、もう少し研鑽を積みたいと感じていた部分もありました。

選択肢のひとつとして留学にも興味がある旨を先生に相談したところ、「まずは日本で開催されているマスタークラスを受けてきなさい」とアドバイスをいただいたんですよね。

それで、4年生の夏休みに実際行ってみたら、やっぱり海外に行って勉強してみたい気持ちが強くなっちゃって!

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で、その後改めて先生に留学の相談してみたのですが、「今のままじゃ受からないから、まずは1年でも2年でも準備をしてから行きなさい」とのお言葉をいただき……。

色々と悩みもしましたが、卒業後は洗足の大学院で授業やレッスンを受けながら留学準備を進めることに決めました。

――準備期間を経て、海外の大学へ入学されたのはいつ頃だったのでしょうか。

菅野:1年間だけ大学院に通って受験しましたが、実際に海外の大学(スイス国立チューリッヒ芸術大学)に入ったのは大学院を辞めてから、1年半後でした。

本当、何も知らなかったんです。留学先の先生とコンタクトを取らなきゃいけなかったこととか、語学がこれだけできますよっていう証明を取らなきゃいけなかったこととか。全然知らない状態で受けに行ったら、見事に落ちちゃって

改めて、イチから再スタート。レッスンを受けて、ひたすら練習して、語学も勉強し直して……、2回目は無事に合格できました。精神的にも落ち込んだけど、今思えば自分にとって何が必要だったのか感じられたいい機会でもあったように感じています。

その後、5年間の留学生活を経て、現在はハンガリーにあるAlba Regia Symphony Orchestraの首席フルート奏者として活動をしています。

今になって思う、学生時代にやっておけばよかったこと

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――現在は国内外でご活躍されている菅野さんですが、学生時代に取り組んでおけばよかったことがあればお聞きしたいです。

菅野:いろいろあります。洗足学園音楽大学は他コースの授業もある程度は自由に履修できるので、視野を広げて履修選択しておけばよかったなぁと、今になって思いますね。特に、コード進行だけでアドリブにチャレンジする授業とか、純粋な即興演奏の授業とか……。

――確かに、時間割の自由度は非常に高いですよね。クラシック系のコースなのに、ポピュラー系の授業メインで履修している人もいたような気がします。

菅野:そうそう。それに加えて、本当にさまざまなコースの学生が在籍していたので、ずっと練習室に籠もっているだけではなく、もっと人脈を作っておけばよかったなとも思います。やっぱり、音楽って横の繋がりで仕事をいただく機会も多いので。

思い出してみると、僕が通っていた頃は、クラシック系以外にジャズ、ポップス、音響デザイン、ミュージカルコースがあったかな。これだけ得意分野が異なる人達が集まる環境って中々ありませんし、今はもっとコースが増えてるだろうから現役の学生が羨ましくもありますね(笑)

続けることの大切さ

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――最後に、演奏活動が制限されがちな時代ですが、音楽活動を続けるにあたってどんな気持ちで音楽や楽器と向き合っていけばいいと感じますか。音大生に向けて、メッセージをお願いします!

菅野:これは楽器1本でやっていこうと思う学生に向けてのメッセージになってしまうかもしれませんが、やっぱり何より大切なのは“続けること”だと思っています。

「音楽で身を立てていくには、相当な覚悟がないと難しい。そんな世界に身を置く覚悟があるなら、何があっても続けなさい」

僕が音大に入って、最初のレッスンで先生に頂いた言葉です。どんなに辛くても楽器だけは吹き続けるということを最初に教わり、その言葉が今も僕の中に残っています。

辞めなければ、可能性はあるんです。辞めてしまえばゼロになるけど、続けていれば0.1%でも可能性は存在するんです。これは音楽だけに限ったことではないと思いますが、絶対何があっても続けると思って練習するのと、そうでないのとでは練習の質も大きく変わってくるのではないでしょうか。

そのため、何があっても続ける覚悟を持ち、確かな行動を1つずつ積み重ねていくことが、活動が制限されがちな状況でも、世の中で活躍していくために必要なことだと僕は思います。


Text and Photo by 門岡 明弥

▶▶洗足学園音楽大学:https://www.senzoku.ac.jp/music/

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