嫌な場所

私には怖い場所がある。

この恐怖は元々あるものではなく、前回書いた崇徳院云々により生まれた謎の恐怖症の延長線上にあるものである。ただ、前回が目がどうとか考えようがあったのと違い、今回の恐怖対象は一貫性を欠く為、またこうしてnoteに書くことで考え直す機会を得ようという次第である。

崇徳院事件以降、私には怖い場所が生まれた。
もっと曖昧だが直感的な言い方をすれば、近付くと嫌な感じがする場所があった。前回の記事を読んだ方は白峯神宮の名が思い浮かんだかもしれないが、その通りで白峯神宮も近付くだけで嫌な感じがする場所である。

では、怖いのは崇徳院だとか、或いは古いものが怖くなったのくだりから来るものなんじゃないか、という話になるのだが不思議とそういうわけでもない(古い部分が怖いという感情はあるが、それと別に場所そのものへの嫌悪感がある)。たとえば、京都御所や下鴨神社は全く問題ないが、相国寺はダメ。春日大社や興福寺は問題ないが、東大寺や薬師寺がダメ。怖いといえば、東京にある平将門江の首塚も近づける。といった、全く一貫性のない嫌悪感がある。

ここまで読んだ方は私がなんだかんだで前回のようにそれらしいまとめをするのだろうと思っている方もいるかもしれないが、残念ながら今回は本当に答えがない。いくら考えても、共通するものがなく、むしろ読んでいる皆様に何か思いつきがあればうかがいたいとすら思っている。

ただ、私から言えるのはなんとなくとても嫌な感じがするのだが、同時に私には霊感がないということである。幽霊を見たことなどないし、声を聞いたりすることもない。だから、この件は霊感では片付かないのである。というか、霊感由来なら崇徳院事件前からあるべきである。幽霊の存在は半分信じ半分疑いという立場の私ではあるが、今回は要因から取り除きたいと思う。兎にも角にも、霊感とかいった話ではなく、崇徳院から作用する私の中の何かの感性に悪く触れる要素があるはずなのである。

さて、ここまでで概ね主題の話は済んだので、ここから先は私にとって強い嫌悪の対象となる場所の話をする。これは読者の方がそこに行くことがあれば、この記事を思い出して嫌な感じがして欲しいという私の性格の悪さから来るものなので、興味がない方はここまでで終わっていただいて構わない。

その一:京都家庭裁判所
初っ端から意外な名前である。京都家庭裁判所は下鴨神社の南にある裁判所である。別に変な噂は聞かないただの裁判所である。ただ、私はここに近づくと嫌な感じがする。特に夜はその気が強い。京都家庭裁判所のお世話になる方々はその時是非このエピソードを思い出して欲しい。

その二:出雲大社(本殿西側)
ご存知の方も多いだろうが、出雲大社では参拝する際、本殿の横からする形をとる。これは本殿内の御神体が西を向いている為、それに合わせるものである。のだが、本殿までは問題ないのに、この西側の参拝ポイントに近づくと嫌な感じがした。是非素晴らしい出雲大社でこのエピソードを思い出して欲しい。

その三:薩摩戦死者墓
ここはガチ。ガチです。京都の相国寺、その東にある小さな土地である。ちょっとした土地に墓と石碑か何かがあり、低い柵がある(直視できたことがないので合ってるかわからない。詳細は検索してください)。それだけの場所なのだが、尋常でなく怖い。はじめて通りがかった時、あまりの恐怖に俯いて足早に通り過ぎることしかできなかった。ここは本当に嫌な感じとかじゃなくヤバい場所として認識している。マジのガチです。本当に怖い。別に薩摩藩がどうこうというわけではない。そんなことを言うと私の通っていた大学は薩摩藩邸跡地にある。何にせよここはマジでやばいです。蛇に見込まれた蛙とかそういった表現が適切でした。もう私は二度と近寄らないので行ける人は行ってどうか確認して欲しい。私は昼でもかなりしんどい。白峯神宮でもここまでではない。ガチの場所。ちなみに場所の名前はGoogleで直接検索したくなくてiPhoneのマップアプリで土地についてる名称確認しただけなので正式名称は別かもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?