10年前の旅の話 セルビア
コインランドリーの乾燥機を待つ間に行った喫茶店のマスターと今まで行った旅行の話になりました。
マスター曰く、私は東南アジアバックパック旅行のイメージがしっくりくるとのことですが、ヨーロッパが好きです。全然結び付かんとのことですが、長い休みをもらえたら旅先はヨーロッパを選びます。マスターが興味を示した2つの旅先について、しばらく書いてみます。
今から10年前、働き始める直前のことです。
大学院の修士2回生、なんとかギリギリで卒業が決まり、日本から出たい、関西から離れたい、の一心でヨーロッパに行きました。
当時、所属していた研究科のコースは学生の75%以上が留学生で、同期9人のうち日本人は3人、これでも他学年に比べて日本人が多めでした。
留学生の半分は中国から来ていて、コースに与えられた研究室が彼らの溜まり場になっており、彼らの圧にはなかなか勝てない。研究室に置かれたパソコンをなかなか使えない。
そんなときは他国からの留学生と日本人が徒党を組むわけです。あかないパソコン席の横で一人で困っているよりも、三人くらいで困っていたほうが譲ってもらえるのです。
そうして韓国、タイ、ベトナム、スペインなど出身が様々な留学生と仲良くなっていきました。なかでも一番親しかったのがセルビア人の友人です。
その友人が帰省するとのことで、そして、お父さんがパン屋さんで毎日おいしいパンが食べられるとのことで、ヨーロッパの滞在中にセルビアに行くことになりました。
当時ロンドンに住んでいた友人の家を拠点とし、途中にベオグラード3泊4日、パリ2泊3日を挟む約2週間の旅行でした。
ロンドン到着後、友人の家にスーツケースを置かせてもらって、翌日にはリュックだけ背負ってセルビアへ。連日のヒースロー空港です。ミュンヘン経由ルフトハンザ航空でベオグラードまで。
空港から友人宅へ向かう車の中で、「あれは爆撃の跡」と都心の廃屋マンションを指差しながら教えてくれて、旧ユーゴスラビア諸国に来たことを実感しました。
両親が腕を振るったご馳走で迎えてくれて、友人の実家ってええなあって遠路はるばる日本から来て、そんなことを思いました。そして、連日あまりのご馳走に腹を下しました。
有名なセルビア人と言えば、テニスのジョコビッチですが、彼の名前と同じく、セルビア人の苗字は「ビッチ」で終わります。(サッカーで日本対セルビアの試合を見ていたら、全員が「〇〇ビッチ」だった。)
友人は「スキー」で終わる名前で、それはお父さんがマケドニア出身だから。そこでは「〇〇スキー」という苗字がほとんどらしい。(マケドニア対セルビアは、スキー対ビッチになる。)
彼女は外国語として英語とフランス語と日本語が堪能で、家ではマケドニア語とセルビア語が混じる。国力が高くないから、幼少期からの外国語教育が盛んで、みんな複数の言語を操れるそうですが、みんなが喋れるので、それ自体にそこまで意味はないと言っていました。タクシーの運転手をしている知人は7ヶ国語喋れるけど、稼ぎが足りないと。話せてもそれを活かそうとするかどうかは、かなり個人に委ねられているし、活かすなら外国に行くしかないようでした。
さて、セルビアで何をしたかというと、動物園に行きました。たまたま前を通ったので、とりあえず入るか〜と言って入っただけです。
普通の熊がいました。
友人が思い出したように話し始めます。
「数年前に酔っ払った若い男の人がここに落ちて、熊に食べられた」
旅の目的のひとつだった友人のお父さんが焼くパンですが、いちばん覚えているのはパイ生地のパンです。
そのわずか2時間後にとても甘いケーキが出てきました。
友人がよく「日本のチョコレートは甘くないからおいしくない!」と言ってましたが、セルビアのお菓子はすべてがめちゃくちゃ甘いのです。これを基準にすると、日本のチョコレートはたしかに甘くありませんが、しかし私にとっておいしいのは日本のチョコレートです。お土産にセルビアのチョコレートを買っていくと良いと言われましたが、やめました。
あと、この旅行中のことでよく覚えているのは、ゴミ収集車が毎日来ること。「何曜日がゴミの日?」って聞くと「毎日。なんで日本は毎日来ない?」と返されました。
あともう一つ。公園の売店で買ったサンドイッチを食べながら歩く友人の姿がカッコよかったこと。「日本ではみんな歩きながら食べないよね?こっちは誰も気にしないよ。食べたいように食べたらいい。」と言ってました。
あれから10年経ち、私はよく歩きながら食べる人になりました。食べたいように食べてます。
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