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【読書記録】『エイミー・フォスター』『氷の宮殿』-短篇集の最初の一篇を読みました-

 世界中を船で巡った経験のある作家、ジョゼフ・コンラッド(1857~1924年)といえば、彼がコンゴ川を訪れたときの経験をもとに執筆した『闇の奥』が、代表作として知られていることだと思います。

 大学生のときに、中東部アフリカの歴史を研究していたということもあり、光文社古典新訳文庫から刊行されている『闇の奥』を読んだことを、いまでも覚えています。

 あれから何年経ったことでしょう。数えることが恐ろしいので誤魔化しておきますが、つい先日、コンラッドの別の作品を通読しました。『エイミー・フォスター』という短篇小説です。

 ドイツからアメリカ行きの船に乗り込んだ男性が、難破によりイギリスの海辺の町に流れ着き、母国との社会的、文化的な違いに翻弄されて、悲劇的な結末を迎えるというお話です。

 その男性は、異なる言語を使い、母国の文化を大事にし、社会に順応できないながらも、優しく手を差し伸べてくれた「エイミー・フォスター」という少女と結婚します。

 そして、彼女との間に産まれた子供に、自分の母国と同じ生活様式を覚えさせて、同じ言語で話すことができるように育てていくことを望みます。

 しかし、エイミー・フォスターとの間で子育てに関する相違が顕在化し、彼女からも、異なる他者として見られてしまうようになります。最終的には、彼を理解してくれるひとはいなくなりました。

 この悲劇的な物語は、遠い昔のことであり、海外のことでもあり、手触りとして感じられないながらも、どこか人ごとのように思えないのです。人間の本質を突いてくる現実的な物語として、わたしは受け取りました。

 F・スコット・フィツジェラルド(1896~1940年)の『氷の宮殿』は、主人公「サリー・キャロル」が、婚約者の郷里である寒さ厳しい地域に逗留した際に、自分がいままで生活してきた環境との相違に苦悩するというお話です。

 婚約者の故郷の人々は、サリー・キャロルの感性には魅力的に映りません。そして、自分が育った南部地域への差別や偏見が根強いことに、彼女は反感を覚えます。

 雪の降る彼の故郷で生活をすることに、なにかしらの意義や楽しみを見出そうとする彼女ですが、いままでの自分の居場所に勝るところが見つかりません。

 自分に良い影響を与えてくれるだろうと憧れて、新天地を追い求めてみたものの、実際に生活をしてみると、目の前の現実に幻滅し、息苦しさを感じてしまうのです。

 全く違う環境に身を置くことになったとき、それがまだ「予定」であるときには「わくわく」した感情を抱くかもしれません。しかし、実際に生活をするようになってみると、想像していたよりも遥かに多くの「つらさ」に出会うという経験は、決して珍しいことではないように思います。

 そういう意味で、時間的にも距離的にも遠いアメリカを舞台にしたお話とはいえ、身近に感じてしまうところがありました。

 実は、『コンラッド短篇集』(岩波文庫)も『フィツジェラルド短編集』(新潮文庫)も、最初の一篇しか読んでいないのです。

 短篇集を読むときは、一気に最初から最後まで読まずに、本を変えながら楽しんでいます。引き続き、別の短篇小説+解説も読んでいきたいところです。

 わたしは「解説」を読むことも好きなのですが、必ず最後に通読することにしています。まずは、自分なりの視点で味わいたいのです。そのあと、「こういう風に読むことができるのか!」「こうした背景のなかで書かれた作品なのか!」といった、専門家の解説を、知識として蓄えたいのです。

 また改めて、他の作品の感想も書きたいと思っております……!

【参考文献】
● ジョゼフ・コンラッド(中島賢二編訳)『コンラッド短篇集』岩波文庫、2005年。
● F・スコット・フィツジェラルド(野崎孝役)『フィツジェラルド短編集』新潮文庫、2012年改版。

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