海辺の街

昨日に引き続いて、学生時代住んでいたアパートに思いを馳せる。

大学から徒歩15分の好立地←

 大家さんに連れていかれたそのアパートは、さっきまでいた2万円のアパートから徒歩で50mほどしか離れていない場所にあった。

 築40年という事だったが、一定の年数で床板を張り替えているという評判どおり、内側は綺麗だった。
 キッチンは昔ながらの「台所」とか「御勝手」という言葉の方が似合いそうな作りだったが、コンロも2つあり、使い勝手は良さそうだった。

 そして何より、エアコンがあった

 「まあもうちょっと前の子たちならね~、クーラーなんて無くても何とかなったかもしれないですけど、今の時代はねえ~、暑いよね~。」

 私の数少ないリアクション、リクエストのひとつであるエアコンの有無の一点突破のみで、大家さんはこのアパートの契約を取り付けるよう営業トークをすすめてくる。

 あ、いや正確にはもう少しだけ営業トークが続いた。

 「歩いて15分ぐらいで大学の敷地にも着くしね。その割に大学前通りよりもお家賃抑えめだから。あ、あと!駐車場も停め放題なの。さっきのアパートのところとか、私の家すぐそこなんだけど、この辺一体うちの土地だらけだから。お父さんお母さんも遠慮せず息子さんに会いに来てくださいね。」

 大学からここまでは、大家さんの誘導車に従って父の運転するクルマでやってきた。確かにそれほど遠いといったイメージは無かった。

 「二人がここで許してくれるなら、俺はここがいいな。」

 用意の良い両親は、印鑑など契約に必要な諸々を既に持ってきていたようである。予算まで大分余裕のある家賃2万5千円で、息子が納得しているアパート、反対する理由は無かったのだろう。

 契約成立。私は晴れて第二海山荘103号室に入居する事となった。(GoogleMapで調べると出てきますよ)

確かに15分で着く・・・大学の敷地には

 大学生活は4月からだったが、ひとり暮らしに慣れる為にも私は3月の20日頃から住まわせてもらうことにした。

 基本的に方向音痴だった私は、何度か大学までの道のりを何とか覚えようと毎日歩いた。しかし毎回道のりが変わり、挙句の果てには大学構内で迷子にすらなった。

 そう、新潟大学(そういえば初言及な気がする。)の敷地は無駄に広い。私は6年間この大学に居たわけだが敷地の隅から隅までを覗いたことはない。というか、そんな現役学生は前体の5%もいないはずだ。だって大学構内に狸が出るほどなのだ。
 農学部の実地フィールドなんかもあったりしたので、南国植物のようなものも植わっており、誇張抜きで独自の生態系を築いていても何ら不思議ではなかった。

 それでも何とか道のりは覚えられた。しかし、自分なりの最短ルートをどれだけ駆け足で歩いても、或いは自転車を使ったとて、私が所属していた経済学部が主に使用していた人文社系のキャンパスまでは、徒歩で40分弱、自転車でも登り坂が続く為に行きは25分ほどかかっていた。

 それもそのはず、後になって知った事だが、大学の西側にアパートを借りるのは、工学部の人間が大半だったそう。私と同じ時期に入居した「茨城県のたかだくん」も、工学部の人間だった。

 確かに大学構内まで15分で着く事は出来るのだ。大学最西端に位置する北門(何故北門なのか未だ謎)までは。
 しかしそこから工学部キャンパスは歩いて5分ほどで着くのだが、私が勉学に励む人文社系キャンパスまでは、そこから更に20分ほどかかった。

 そう、大学構内に入ってからの方が長く歩くのである。

 北門近くにあったセーブオンという群馬県発祥のコンビニが、『コーブオン』と呼ばれていたのは、学部の人間が良く使うセーブオンという理由があった。

その他にも色々文句はあれど

 内見程度では見えてこなかった事だが、103号室というのは建物の真ん中に位置している。少し考えれば分かった事ではあるが、両サイドと上の階に住人がいることとなる。

 私は地元の友人こそ数回だけ遊びに来てもらった事はあったが、基本的に人を招くタイプではなかった。さらに拍車をかける形で、途中から私は掃除という家事を放棄し、私以外の住人を寄せ付けない要塞と化してしまったその部屋に、両親すら上げる事をしなくなった。

 そんな非社交的な私と対照的に、世の大学生というのは社交性が人の皮を被って生きているような存在ばかりだった。
 1週間に1~2回は両サイド或いは上の階でどんちゃん騒ぎが始まる。

 れっきとした騒音被害だったので、最初のうちは大家さんを通じてクレームを入れていたが、そのうち行為がエスカレートしていき、壁ドン(最初の方の意味)からはじまり、終いには隣の部屋の住人の扉を蹴り上げて奇声を上げるという奇行を繰り返すこととなる。

 私は至って真面目な抗議活動をしていたつもりだったが、出てきた住人とその友人たちに扉を蹴り返される報復を受けたり、大家さんから逆に「女の子の部屋にそういう事をするのはちょっと・・・」と逆クレームを入れられる始末。(今にして思えば至極当然)

 と、文句を言いだしたらキリがないが、それでも私はそのアパートを第二の故郷とし、今でも愛着を持っている。

昨日撮影した第二海山荘。現役住民からすれば私は完全に不審者である。

 大学や最寄り駅までは30分以上かかるし、スーパーと呼べるお店も隣町まで行かねばならないのでかなり遠い。だけど漁港までは歩いて5分程度。

 何となく気分が落ち込んだ時は、何もない海を見に行きました。

 流星群の時には、街頭ひとつないその漁港まで歩いて星空を見にいきました。巡回中のパトカーに「こんな暗がりで釣り道具も持たずに何をしているんだね?」と軽い職質を受けながらも、

 「今日、流星群だから」

 と手短に済ませると、

 「おおー!そういえば今日かー!」

 とパトカーから下りてくる警察官の面々。婦警さんが、

 「あ!今流れました!あそこ!」

 と言いながら、一緒に星空を眺めたのも良い思い出です。勤務中の警察官と流星群を見られる体験なんて、世界でもそんなに沢山の人が経験していないはず。

 だから私はあの街が好きだ。ひとり暮らしをするなら、やっぱり海の側がいいなと、未だにそう思うほどには、あの街が大好き。

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