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白川筋ー田舎人がみやこに馴染む道ー

新潟県のとある地域に住んでいる35歳おじさんが、2024年3月の末に京都へ行ってきました。
訪れた観光地やご飯やさん、カフェなど、私がその時どう感じたかという心境も交えつつご紹介・まとめていきたいと思います。

一部しか歩いていないらしい白川筋

 後々になって、どうやら私は白川筋のほんの一部分しか歩いていない事を知りました。
 平安神宮方面から歩いてきて、仁王門橋から白川筋へ入り、恐らく白川筋史上最も有名スポットであろう一本橋まで辿り着く事なく…三条通りに出たところで次なる目的地に身も心も持っていかれてしまったので、そこで終えたのだと思います。

 なので、区間にして200~300mぐらいでしょうかね。とても短い距離しか歩いていません。
 ただ当時歩いた私にとってはこの2,300mこそが白川筋で。現在振り返りながら書く私にとっても、この2,300mが白川筋なのです。だってそれ以降の白川筋は自分の目で確かめていないですからね。

 物凄く前向きに捉えれば、有名スポットに行かなかったからこそ、自分が京都に馴染めた瞬間の地だと捉えています。

平安神宮の大鳥居が見えますね

浮足立つ

 この白川筋を歩いたのは、京都滞在2日目。仕事の全日程を終了し、同行者とも別れて完全に1人になってから訪れたのです。
 正確にいうと、1人になって一番最初に訪れたのは京都市京セラ美術館だったんです。

この立派な構えよ。

 ただ、仕事が終わった直後で緊張状態が続いていたのだと思うのです。建物内に入ったはいいのですが、当日の展示のチケット売り場に並んでいる最中に、何か違うと感じたんです。
 特別展示物に自分が惹かれなかっただけなのか、チケット代金(2100円だったかな?)を高いと思ってしまったのか、直接の原因は良く分からないのですが、要するに浮足立っていたんです。

 仕事が終わった解放感に対して、建物内で静けさを求められるのをストレスに感じたんだと思うんです。

 なので美術館は無料エリアを軽く見るだけに留め、早々に後にしました。

 別投稿で触れようと思っていますが、平安神宮も本殿しか拝めずに庭園を見られなかったので、2度目の京都の際にリベンジしたいと思います。

戻る白川筋

 話を白川筋に戻しましょう。そんな感じで浮足立っていた私を救ってくれたのが白川筋だったのです。

 一本橋付近に近寄っていないので人もそれほど歩いておらず、綺麗な清流が流れる横に人の住まう住居がある。

 造りは全然違いますが、私も四方を山に囲まれた土地に住んでいるので、川という風景は切っても切り離せない当たり前の風景なんですね。

 白川筋を歩きながら、その当たり前を京都という遠方で感じられたその瞬間。

あ、私は今京都にいるんだ。いてもいいんだこの土地に。
私の知ってる町並みが京都にもあるんだ。

 という感覚に落ち着けたんです。いつもの私に戻れた瞬間でした。

川と同居する住宅
精麦所とか書いてあった気がする。精麦ってなんぞ。精米の麦版?
風景に入り込む工事中の雰囲気も結構好き。『イマ』という瞬間を感じられる要素。
ここにしかない筈なのに、どこにでもありそうな路地が好き

 観光地というのは当然、非日常を味わうところです。でも常に非日常状態が続いてしまうと、やっぱりどこか疲れてしまうと思うんですよね。

 どんな些細な事でも良いので、日常の自分を取り戻す作業が出来ると、より一層非日常を楽しめると思います。

 早めに日常を取り戻せて良かったです。

 ありがとう白川筋、ありがとう白川筋を推薦してくれた友人。ありがとう、一本橋まで行けなかった方向音痴な自分。

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