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「地球規模のプリン問題――気候変動と世代間の責任」

過去の排出、その責任は誰が取るべきか?

家族の中でこういう経験はありませんか?
「冷蔵庫のプリンを食べたのは誰だ!?」と家族会議が勃発。でも、肝心のプリンは数日前に消え去り、犯人が名乗り出ないまま結局「まぁ、次から気をつけよう」という話で終わる。これ、実は気候変動問題とそっくりだと思うのです。

「汚したのは誰?」の難しい問い

気候変動という「地球規模のプリン問題」は、過去の汚染が原因で起こっています。けれど、当時汚染をした人たちはすでにいないことが多い。今、この負の遺産に苦しむのは、私たち現世代や、さらに未来の世代です。

しかし、「じゃあ責任を取るのは誰?」という問いに答えるのは、なかなか難しい。そこで登場するのが、道徳的・政治的な責任という考え方です。

世代間の「ツケ」の関係

過去の世代が環境を汚染し、その恩恵(たとえば産業革命の成果や近代化)を存分に享受した結果、現在の私たちはその「ツケ」を支払わされています。未来の世代も、さらに膨らんだツケを背負うことになるかもしれません。

これを「世代間の相互関係」と言います。でも、この関係は一方通行。未来の世代は過去に文句を言うことも、修正を求めることもできません。「おじいちゃん、なんでこんなにプラスチック使ったの?」なんて、タイムマシンでもない限り無理ですよね。

責任の所在と「人権」

気候変動を「人権」の問題として捉えると、さらにシリアスな話になります。貧しい国々や脆弱なコミュニティは、気候変動の影響を最も強く受けていますが、これらの人々は、過去の汚染にほとんど関与していません。

この視点から考えると、過去の汚染で最も利益を得た先進国が、責任を取るべきだという主張も説得力があります。いわば「食べた人がプリン代を払う」というルールです。

「将来の世代に何を残すか」の選択

ジョン・ロールズという政治哲学者は「公正な貯蓄原則」という考え方を提唱しました。簡単に言えば、現在の世代は未来の世代のために資源を貯めておくべき、というものです。しかし、これは人口増加や資源の枯渇を考慮していないという批判もあります。

一方で、政治哲学者スティーブン・ガードナーは、「未来の世代には、過去よりも良いものを残そう」と提案します。たとえば、グリーンエネルギーの導入は、その象徴的な例です。これは「今ちょっと我慢して、未来の子どもたちにプレゼントを贈る」ようなものですね。

それでも進まない現実

とはいえ、現実には解決は簡単ではありません。先進国は「責任を取るべきだ」と言われても、自国の経済や生活水準に悪影響が及ぶ方法は避けたいと思っています。一方で、発展途上国は「私たちは汚してないのに、なんで苦しむの?」と不満を抱えています。

最後に:私たちにできること

気候変動問題は、未来の世代を思いやる「恩送り」の精神が求められます。でも、そのためには、過去の汚染やその責任についてもっとオープンに議論する必要があります。私たちが過去から得た恩恵をどう未来に返すのか。それが、いま私たちの前にある問いではないでしょうか。

未来の子どもたちが、笑顔で美味しいプリンを食べられるように、私たちの世代は何ができるでしょうか。

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木山すみれ
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