尼僧の懺悔6

どんなものでも、終わりが来る。
それがこの世の理である。

私の表側の毎日は、少しずつ荒んでいった。

師匠の病は、大型行事前で多忙もあって、悪化の一途だった。
夜に妄言で起こされることも度々あった。
前触れも心当たりもなく突然疑われ、怒鳴られた。

尼寺は女の出入りが多い。
駆け込み寺よろしく、様々な女性がやって来ては去っていった。
その中でも一番困ったのは留学生だった。

日本人なら説明のいらないことを、ゼロ以下から説明しなければいけない。
寺の生活では、理由を訪ねられても答えに窮することが沢山ある。
師匠なら答えられても、弟子の私にはわからないことも多い。
そもそも、質問をするなと教えられている。
禅宗が以心伝心、不立文字のスタイルで、くどくどと言葉で説明するような教育方針ではなかった。
理由などわからなくてもやる。やっているうちにその意味がわかる。それこそが本物だという教義なのだ。留学生にそれを伝えるのには随分と往生した。

そのうえ師匠は病気である。山の天気のような激しい機嫌の変化の理由を留学生にいちいち聞かれても、まさか病気だとは話せない。
板挟みになって辛い時もあったが、師匠が尋常でないことを察して、どんな人も早ければ一日、長くても半年程で去っていった。
そのたびにホッとした。もはや一人の方が楽だった。

遠距離の彼とはその間もメールでやり取りをしていた。
もはや彼という愚痴のはけ口がなければ私は一日も生きれないような気がしていた。
どんなに毎日が灰色で辛くても、携帯の画面の向こうにいる彼が「愛しているよ」と言ってくれるだけで、私はこの世界に立ち続けることが出来た。
救いのない内容のメールを毎日送り続けても、いい加減にしろと投げ出さず、愛を囁いてくれた彼の根性には今もって敬服している。
彼は彼なりに、確かに私を支えてくれていた。

表面的には形で抜いたように同じ生活を送りながら、張り詰めた緊張感のなかで岩に当たらないように激流下りをするような毎日は、徐々に私の体を蝕んでいった。
そうしてもうすぐ、私の人生は転落を始める。

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