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尼僧の恋5「後輩」

一方的に告白されて、突如沼に落とされた私が、渦中の後輩へ手紙を書いてからは、記憶の彼を拾い集める毎日が続きました。

後輩との思い出は、ありふれたものばかりでした。
出会いはサークルの新入生歓迎会。
ひとつ下の学年で、ごく普通に入部してきた彼は、どこにでもいる冴えない大学生でした。
身長もそんなに高くないし、ボーダーのTシャツにジーンズの服装もごくありふれたもの。
記憶に残るのは、男子にしてはやや色白なことと、少しだけ色素が薄くてブラウンがかった瞳くらい。
話しかけてもゴモゴモと、レスポンスもよくありません。
すこし言葉のはじめを言い澱むような歯切れの悪さが、奥手なのか照れ屋なのか、山陰出身ということもあって、恋愛圏外というような地味な男でした。

もともと姉御裸で男友達のほうが多かった私は、サークルのコンパの度に、隅っこで同学年の男子と固まって飲んでいる彼に、何かとちょっかいを出すのが常でした。
彼にとっての私は「先輩の酒が飲めないのか」などとパワハラ紛いの台詞で安酒を勧めては酔い潰そうとしてくる、厄介な先輩の一人でしかなかったと思います。

ただひとつ、彼はめっぽう酒が強かった。
私もサークル内では酒豪と言われて、一升瓶を抱えて飲むと恐れられていた方ですが、彼はその気弱そうな見かけとは裏腹に、私以上のアルコール耐性がありました。
そのせいかサークルの打上げで夜が更けても、酔い潰れることは殆どなく、私も彼も最後まで生き残ってしまうのでした。

私は弟程度の気軽さで一緒に飲んでいたのですが、サークルでほぼ毎日のように顔を合わせ、飲み会でだらだらと絡むうちに、後輩との距離はどんどん縮んでいたのかもしれません。
彼のレスポンスの悪さが吃音によるものだと気付いてからは、噛みまくってなかなか言葉が出てこない彼の台詞を先読みして、私が会話の主導権を常に持つようになり、ずっと話が続くようになったことは確かでした。
一年ほどの間に、オドオドして気弱そうだった後輩は、私の言動に無遠慮に突っ込んでくるようになりました。
いかにも人のよさそうな外見とは裏腹に、少し毒のきいた後輩の突っ込みは、酒豪で無茶振りのめんどくさい私を大いに喜ばせ、一緒にいる時間は自然に増えていきました。

アニメと時代劇が好きというオタク風な趣味をもった彼と、時代装束が好きで古典文学に傾倒し時代劇を見まくっていた私の趣味も少なからず、二人を近づけてくれる要素でした。
いつの間にか、例年春に公開される某探偵少年アニメの映画を共に見に行こうという話になったのが、出家直前の20の春。
それまで二人きりというシチュエーションで会ったことがなかった私は、その段になってようやく彼が恋愛対象の舞台に乗っていることに気がつき、途端に意識し出すようになっていました。

二人で午後からの映画を見た後、喫茶店で時代劇の話でひとしきり盛り上がったものの、何事もなく解散した時、やっぱり先輩後輩以上の関係ではなかったのだと思いのほか落ち込んだことを考えると、その頃には私も完全に彼に惚れていました。

出家前の夏休み中、もう一度だけ彼を芝居に誘いました。
近鉄小劇場でした。
マキノノゾミ脚本のその芝居がどんなストーリーだったかはもう忘れました。
というより、彼との時間が今日で完全に終わるのではないかと、そればかりが心に引っかかっていました。

帰りの阪急電車で二人寝落ちして、私は彼の肩にうっかりもたれて眠ってしまいます。
途中で気付いたにも関わらず、下車する駅までそのまま眠り続けました。
私はこの儚い幸せが、目を閉じている間は永遠に続けと心の中で願っていました。

30分程度で電車は終点に到着します。
駅では何事もなく、じゃあ修行頑張ってくださいなどと笑顔で後輩に言われて、人生最後になるであろうデートは、あっさり終わりました。

出家前に残して置きたかった恋の思い出は、もはや何もない。
私の人生なんてそんなものだ。

帰り道、バス停のベンチで、珍しく買ったタバコを吸いながら、空振りに終わった最後の恋の余韻を、煙と共にぼんやりと眺めて、私の片思いは終わりました。

その後、サークル全員による出家直前の送別会コンパが開かれました。
花街で朝までハシゴ酒の、いかにも京都の大学生らしい飲み会でしたが、やはり二人にはなんの変化も起こりませんでした。
後輩はいつものまま最後まで潰れずに朝を向かえ、サークルのその他のメンバーと同じように白々と明るくなった頃に帰っていきました。

そうして半年が過ぎて、私は尼僧になりました。
望み望まれて選んだ出家の道は、まったく新しい価値観で私の人生を塗り変えていき、私は女であることからいち早く抜け出したとばかり思い込んでいました。
告白をされるまでは。

そうして話は、返事はいらないと書いて送った、あの手紙に戻ります。


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