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尼僧の恋4「壁」

返事はいらないと書いた手紙に、返事のくるはずはありません。

茹だるような暑さの夏休みに残されたのは、私は尼僧だ、という現実だけでした。

手紙を書きはじめた時は、不意討ちをしてきた後輩に、一撃お見舞いしてやりたい気持ちで筆が走りました。
先のない告白なら、最後まで秘めておいてくれればいいのに。
それが優しさなんじゃないのか。
自分勝手に想いを伝えればそれで終りなんて。

でも書き進めているうちに、この手紙を受け取って私と同じように煩悶するかもしれない後輩が想い浮かぶと、自分のしたいことが仕返しではないのだと気が付きました。

どうにも失恋せざるを得なかった我々の、成就していただろう恋を、とにかく消化したかった。
なにより後輩には、私との関係を負の思い出にして欲しくなかった。
どうか落ち込まないで。
この恋を後悔しないで。
間違いなんかじゃないから。

私はおそらく、過去のどの瞬間よりも彼が愛しかったのでしょう。
私を下界から物理的に隔ててくれる塀があってよかった。
いわゆる女らしい何もかもを捨ててなお、好きだと告げられてしまった私は、恋の負け犬ではなくなったことで本能的な衝動が抑えられなくなっているようでした。
自由に出入りができない高い土塀があるという現実で、理性がぎりぎり保たれているような所さえありました。

出家たるもの男女の恋などに心揺さぶられてどうするのか、などと後ろめたく思うほどまだ修行もできていません。
尼という生活に馴れるための修練はしていても、心が育つのはもっとずっと先で、つまり今はただの21歳の女が坊主頭でいるというだけです。

新しいことばかりで浮かれるだけの墨染ライフは、突然息をするのも苦しくなるような、沼へと変貌していきました。

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