尼僧の懺悔11

久々に自坊に戻っても、私はあいかわらず病人のままであった。

セクハラ加害者である兄弟子も、もちろん職場に残っていた。
師匠は相変わらず忙しかった。
私のいない間にどんなことがあって、当事者にどんな処分が下されたかは知らない。
しかしそれまでと全く同じような生活を続けなければいけないということに、私は少なからず落胆した。

セクハラ加害者を追放しろとか降格しろとか、そんなことを望んでいたのではないのだが、たとえば顔を合わせなくていいように仕事を調整するとか、師匠の監督のない状況で同じ屋根の下に置かないとか、最初くらいは配慮されるのかと期待していたからだった。
正直、私の申告は狂言扱いだったのかと思わざるをえなかった。

とはいっても、ほかに頼る寺院などない。
師匠のよりほかに、私の面倒を見る関係者がすぐに見つかるとは思えなかった。
つまり、尼を続けるにはこの状況に耐えていくしかない。
それ以外の道は、尼をやめる「還俗」しかないのである。

実家で散々父親と衝突し、すでに十二分に染みついていた出家的価値観はもはや変わりようもないと身にしみていた。
しかし、それでも、一度下界の風を浴びた私の心境は、以前とは少なからず変化していて、この状況と自分に疑問を抱くようになっていた。

ほどなくして、対外的に資格を取らせようと考えた師匠の配慮か、それまでまったくされなかった住職試験の話をされた。
少し前なら、喜んで受けた話も、病気で本が読めなくなっていることを理由に、今は無理だと断った。

尼僧として外側を保つことばかり考えていた私は、その頃、自分の中に一向に育っていない信仰心に気が付いてしまっていた。
ルールに従って死に物狂いで日々を勤めても、理不尽なことは容赦なく自分を襲い、精神は簡単に病む。
神仏のそばにいても、兄弟子はセクハラをしてくるし、唯一の味方であるべきの師匠も私を本当には信じてくれてはいない。
これだけ困難な状況にあって、神仏への信仰が育てば本物だったが、私の心はどんどん信仰から離れていって、ありがたいとも罰が当たるともおもわなくなっていた。

男と寝て、罰が当たるなら当たれ。
当たればそれが、因果の証明になろう。
日々拝み奉り、奉仕をしているその煤けた木像が、木偶でないことを教えてくれよう。
破戒の報いをうけて私はやっと、ああやはり仏はいた神はいた正しく裁きは
下された、と心から信仰を選べるのではないか。

私は、不良娘が親からの愛を歪な形で求めるように、日々花を供え線香を焚きながら、見えない世界からもたらされるターニングポイントを待ち望んでいた。

しかし、人生はそう甘くない。

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