尼僧の懺悔3

どういう偶然か、境遇の似た二人の出家が、ネット上で出会った。
最初はそれだけだった。

仏教において、他宗派は近くて遠い。
同じようなことをしているのにも関わらず、全く別の世界に生きている。

拠り所も経典も違えば、衣装や法具、読経の節や鳴物など、数百年も昔に袂を分った仏教の宗派は、なんでもガラパゴス化していく日本文化の草分けとも言えるだろう。
物珍しさも手伝って、彼とのメールは頻回になっていった。
少し年下だった彼は、車で二時間程度のとある観光地の寺で働いていた。働いていると言えば聞こえはいいが、つまりはどこぞの師匠についている師弟で、本所勤務の平職員である。

艶っぽいメールが届くようになったのはいつからだったか。
彼の名誉のために言っておくが、最初はおそらく社交辞令的なものだったのだと思う。女の子を見たらとりあえず褒める的なニュアンスで、それらのメールは送られていたに違いない。
私はというと「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」的に、彼を揶揄う部分も多分にあったが、お互いがお互いを挑発しあうようなメールを重ねるうちに、どうやら男女の仲になってしまっていたようだった。
そもそも恋愛偏差値は低いのである。
ミイラ取りがミイラになっただけの話だった。

会うこともないし、会えるはずもないと思っていた相手と、会ってみたいと思い始めたのはいつだったのか、はっきりとは覚えていない。
数か月程度だった思う。
たとえ会っても一回きりだし、お互いの境遇上、二人の関係に未来があるでもない。
もともとちゃんとした所属のちゃんとした師匠の子弟である。秘密がバレて怪我をするのはお互い様で、利害関係も一致していた。
もはや火遊びでもするような心境で、案外容易くその一線は超えて行ったような気もする。

半日休みという奇跡のスケジュールが降って沸いたある日、二人のプラトニックな関係は終焉を迎えた。
有り体に言うと、会ったその日に寝たのである。
いくらロマンチックなことを書き連ねても、出会い系で会う男女とやっていることは大差ない。セックスしたい男女が会えば、そうなる。

すでに20を楽々と越えていた私にとって、捨てるタイミングを失っていた処女は重荷でしかなかったので、それを体よく清算したような部分もあった。
知らないことは知りたい性分もあって、このまま“男女の契”を知らずに死ねるかという気持ちもあった。
修行道場で会ったアラ還処女たちを見て、男を知らぬ事は、やはり人生における損だと感じたのもある。
なにより、過去に“両想いでありながら付き合うことさえできなかった”恋の失敗から、チャンスがきたらもう逃げないと誓っていた。

思えば、この頃すでに、私の中の常識といった枠は薄くなって、一部は破綻していた。
失うものもなく、怖いものもないということは、不幸である。

そうして一度だけだったはずの、禁じられた逢瀬は、その後も続くことになる。

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