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尼僧の恋7「夏の終わり」

数日後、課題を口実に再び図書館でメールを開くと、後輩から長めのメールが届いていました。

驚いたことにメールの文面は、いつも口数が少ない彼とは正反対で、饒舌ですらありました。

返事はいらないと書いてありましたが、僕にも言いたいことが沢山あります。あの手紙をもらって何も言い返せないのは悔しいので、少し書かせてもらいます。

理路整然としかも整った文面で、彼がいつから私を好きだったのか、二人で映画にいった後の気持ちや、寺から帰ってきたら告白しようと決めていたことを知りました。
彼にしてみれば、私はほとんど勝手に、回りになんの知らせや前触れもなく出家を決めてしまい、自分の気持ちを伝えるチャンスがなかったことや、まして自分のことはすでに眼中になかろうと思っていたことが書いてありました。

そこに手紙が来て、好きだったなどと書いてあって、先輩これはなんなんですか、あなた尼僧なんですよね、フラれた俺はどうなるんですか。

どうなるなんて、そもそも考えていなかった私は、ただの坊主頭の21才の愚かな女として、その文通めいたやり取りが続くことを望んでいました。

なにより、普段は言葉を紡ぐのに慎重な後輩が、テキストになるとこんなにも饒舌で積極的ですらあったことに感動し、知らない一面の発見の嬉しさに、興味のほうが勝りました。

ていうか、随分饒舌なんだね。正直、驚いてる。

恥も外聞もなく、土足で駆け出して一方的に彼の心にあがりこんだ私に怖いものはありません。
また先輩後輩という関係をすでに捨てて告白をした彼自身も、私の言動に半ば呆れつつ、惚れられた弱さなのか、この奇妙なやり取りを無視して終わらせる強さもありませんでした。

結果、頻繁ではないものの、私が図書館にいく時だけのこの不思議な文通は、数回続きます。

お互い言いたいことを言い合って、他愛のない話をし始めたあたりで、もうこれくらいにしましょうと彼に釘を刺されて、文通は終わりました。

彼の文章は、今まで会ったことのあるどんな男より魅力的でした。
投げた球はまっすぐに届いて、またまっすぐに返ってきました。
あんなに側にいたのに、私は彼の文才や洞察力、優しさや男としての矜持には少しも気が付かず、自分のモーションに対する反応の鈍さばかりを気にしていました。
ばかやろうは私の方で、わかっていなかったのも私の方でした。

出家してもメールしてくる、かつては好きだった困った女の先輩を、彼が内心どんな風に思っていたのかはわかりません。
しかし、出家していなければあったであろう二人の恋はほんのすこしだけ成就し、そのことによってわたしの中の清姫は空気を抜かれてペタンコになって、成仏したように思えました。


夏休みが開けても、寺に住み込みを始めた私はサークル活動もほとんどいけなくなり、後輩と再会することはしばらくありませんでした。
前より自由な時間がなくなったため、後期授業が再会しても、顔を合わせて会話することもほとんどなくなりました。
二人きりになる時間は、偶然か避けられていたのか、再び来ませんでした。
私たちは、ただの先輩後輩に戻ったように思えました。

ただ私は、夏が終わっても、最後の恋に依存し続けることで、自分の女としての部分を支えていきました。
どんな形であれ、女は愛されることで強くなるという事実を知りました。

もとより私には、もはや捨てるべき女などありません。
髪も化粧も流行の衣装もないけれど、人を本気で思っていれば伝わるものはある。
むしろ保身してばかりいて、怪我を恐れて本気でやらないから失敗ばかりしていたと、はっきりと自覚しました。

夏休みのおわった20平方メートルの枯山水の庭で
蝉の死骸を掃きながらつくづくと

女を捨てて得たものが
おんなそのものの性(さが)だった

という皮肉に、
打ちのめされるのでした。

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