尼僧の懺悔5
出家同士の恋は先がない。
どこぞの子弟である彼も、師匠の鶴の一声でどこかの寺へ婿養子に入れられることは最初からわかっていた。
それは明日かもしれないし、10年20年先かもしれなかった。
私は尼僧で、結婚はそもそも論外だった。
先のない恋ほど、溺れやすい。
いずれ失うと思えばこそ、強く手の内に握りこみたくなる。
私も彼も、明日に悔いを残さぬように、臆面もなく毎日愛をメールで囁きあった。
彼のメールが来るたびに、私の情念は育って行った。
日々切磋琢磨するような、道場修業時代なら男になんて溺れなかったと思う。目の前にやることがあってゴールがはっきりしていれば、道に迷うことなどない。
しかし自坊は、同僚もなく先輩もなく、塀の内側で庭掃除をして、将来使うであろう専門書をたった一人で読むくらいの、代わり映えのしない鉛のような毎日だった。
時折やってくる師匠の病気の波に耐えながら、今日をやり過ごす。
そんな日々に私は窒息しそうだった。
数か月に一度、奇跡的に休みが重なると、私は彼に抱かれた。
数日先の予定しかわからなったので、逢瀬はいつも突然やってくる。
訳アリのカップルがそうするように、人目を忍んで待ち合わせをして、人目につかないホテルに直行する。
セックスは女が思うほどロマンティックなものではないと、数回でわかった。
行為そのものが言ってみれば俗っぽくて、生々しくて、動物的だった。
しかし道を踏み外すには十分すぎるほど衝動的であることも、体感した。
ずっと自分は男にモテない、そういった世界には縁のない人種だと思っていたのに、一度目覚めた私の性は、自分でも驚くほど奔放であるようだった。女を構成する外見的要素はほとんど持っていないにもかかわらず、である。
人は見かけに寄らない。
さらに言うなら、どこになんの才能があるかわからない。
会った時は奔放に、会えないときは貞淑に。
誰が男のあしらいを教えたわけでもないのに、彼は面白いように私に夢中になってくれた。
渦巻く情念を飼いならしつつ、私はスリリングな恋愛を謳歌していた。
表向きでは清廉でセクシャルな香りなど微塵もしない尼僧を装いながら。
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