尼僧の恋1「告白」
尼になったあたりの話を数回書きましたが、つまらないので書きたいものを先に書くことにします。
なにせ出家の日常は恐ろしいほど単調です。
こまごま書いてもいいのですが、大まかに言うと最初のころは読経、飯、掃除、飯、読経、掃除、風呂就寝で終わります。
時々お寺の通常業務が挟まってきますが、住職でもない限りそんなに影響はありません。掃除のところが葬式や法事になる程度。
これは尼僧だろうが男の坊さんだろうが同じです。
日常そこそこ色んな事件も起こったのですが、それはまた次の機会に。
ところで、二十歳で出家した私ですが、まだ大学生でしたので、出家体験期間の半年間休学した後、再び通学は継続しました。
もちろん出家前の人間関係は継続しています。
出家したかったとはいえ、とくに信仰に厚い人間でもなく、中身は田舎からでてきた、ただの女子大学生。
可愛らしい女になろうとはしていなかったものの、中身は男を好きになるヘテロセクシュアル。女子校出身で恋愛偏差値は相当低かったけれど、出家前には、それ相応に気になる男子がいました。
大学生活前半は、同ゼミのバンドマンに片思いしたり、サークルの後輩とちょっと映画にいったりと、派手な恋愛はしていなったものの、そこそこ甘酸っぱい子供じみた世界で息をしてたように思います。
それなりにアプローチはしていたのですが、何せ恋愛偏差値が低い。自分の投げた球に誰も反応はしてくれないことに、半ばあきらめのようなものもあって、出家しようと決意するときに誰かの顔が思い浮かぶようなことはありませんでした。
小学校のときに好きだった幼馴染みを、高校まで後生大事に想い続けているような女です、当然手を繋いだりしたこともありません。その先は言わなくてもいいと思います。
今から思えば、投げていた球がショボすぎて打者に届いていなかっただけだった。そんなの、相手がイチローでも打てるはずがないのです。
それが、出家という選択を私がしたことによって急に磁場が変わります。
すでに寺で住み込みを始めていた私ですが、休学中ほったらかしにしていたボロアパートを夏休みに引き払うことを決め、師匠から半日の休みをもらい、本格的な引っ越しの段取りをしていたある日のこと。
近所に住んでいたサークルの後輩が尋ねてきました。
話があるんでちょっと外いいですか?
先輩後輩の関係上、一緒に飲み歩いたこともあり、男女の関係になることはなくても一緒に映画に行ったこともありました。
引っ越しのお別れをいうには随分大仰な奴だなとしか、その瞬間は思いません。
なんの疑念も抱かず、剃髪して作務衣と言う、ありふれたラフな坊さんスタイルで部屋の外にでた私は、直後に人生最初の「告白」をされることになります。
もうどんなセリフなのかは忘れてしまいました。
忘れてしまったというよりは、聞こえていたけど日本語を理解するのに時間がかかって、ちゃんと覚えていられなかったのかもしれません。
どうやら彼は、私が半年間下界との接触を断っておためし修行期間していた間、ずっと思い続けていた、というような内容だったような気がします。
付き合ってくれとかでなく、思いを伝えに来たと。
ていうか、今か。
それを口に出したか、出さなかったかも覚えていません。
剃髪して通学すると否が応でも目立つのを、心のどこかで楽しんでいた自分。マイノリティとして生きることにカッコよさを感じて、あこがれの墨染をきて生きる喜びに毎日は充実していく一方でした。
そんな人生最高に充実していた日々に突如訪れた、まったく別の方向からの落雷のような告白。
ほぼ脊髄反射的に「その思いを受け取ることはできても、応えることはできない、だって出家したのだから」というような模範解答をした私は、その後どうやって寺に帰ったかも覚えていません。
ていうか、今か。
ていうか、今か。
ていうか、今か。
ありえない。ありえないことはないけどありえない。そりゃあ前は種まきしてたからありえなくはないけど、ありえない。ありえないけどありえない。
門限通りに寺にかえるだけの理性は残っていたものの、心は随分とかき乱されました。
しかしながら、それまで半年真面目に修行していたおかげだったのか、だからと言って出家を翻意するほどそれが重大なことだとはわかりません。
淡い恋が成就したからといって、せっかく手にした第一希望の就職先を蹴れるほどの気概も、恋愛偏差値も、そもそも持ってはいないのです。
そして長い夏休みが訪れます。
庭の掃除をしながら、半年間自分を思い続けていたひとりの男の事を、反芻する夏がやってくるのです。
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