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愛について2つの視点があるとして、それは

・愛する側
・愛される側


ここ最近、愛される側で愛を待ち続けていて本当に苦しい日々を過ごしていました。


「愛する側」
この視点をすっかり忘却していました。


外側から与えられるもの(お金・愛情・名誉など)は一瞬にして自分の気分・周波数を回復させ、自分を満たしてくれる。


一方で枯渇が強烈に早い。

もっとほしい愛がほしい。
もっとほしい豊かさがほしい。
愛をくれ!豊かさをくれ!
くれくれくれ!


自分の中に心のお家があるって分かってる。自分とつながったらこの豊かな感覚の中で永遠の安堵感を感じられる。分かっているのに....


外側から与えられる愛、豊かさ。これは強烈で刺激的な麻薬的なもの。次々与えられないと満たされない。頭では分かっているのに、すぐに刺激に意識が向いてしまう人間な私。


与えられてる瞬間はいい。でも枯渇するときが苦しくてたまらない。さっきまでの満たされた周波数からの落差。不安・疑い・無価値感。


分かっているのに戻れない。分かっているのに持っていかれる……


♡♡♡♡


そんな日々でしたが、このたび新しい視点を取り戻しました。


愛する側であること
GIVEする側であること


本当は私が中心になって自分の世界を創っているのに、何者かの下に入り込んでしまうと、与えられる側・愛される側になってしまいます。それはそれで、一つの生き方、楽しみ方でもある。


でも、私だって愛している。愛を与えたいと思っている。私だって愛する存在なのだ。


昔、宇宙理論に出会う前。もう8年も前。


夫が浮気をしたときに約1年苦しんで苦しんで苦しみ抜いて自分に向き合い続けた日々がある日突然終わりを迎えました。瞬間的に。その瞬間はとある文章を読んでいて突然やってきたのです。


「愛する人が幸せなら、私は幸せじゃないか」


この感覚がその文章に導かれて瞬間的に自分の中に湧き上がってきました。「私もこの感覚で生きていいんだ」って自分に許しを与えられた瞬間でした。


その瞬間から、夫の浮気に苦しむ私が完全に昇華されました。あれは本当に私にとって奇跡の体験で、その日からガラッと人生が変わりました。次の日もその次の日になっても、前の私に戻ることはなかったのです。


本質的な愛に到達した体験でした。強烈に愛につながった、強烈に無意識につながった瞬間。愛されることよりも豊かな、愛することを体感した経験。


私が真ん中にいて、誰の下にも誰の周りにも入らない存在状態になるから愛されることを求めなくなります。自分自身が愛に満ちているから愛を与える存在にもなれます。


ここで思った。私は何を出し惜しみしてるんだ?出し惜しみする分、そんなに元々持ってない!愛の貯金はこれからもずっと続けたい、でも同時に私が満たされた分、心を開いてそれを世界に出していきたい!


ここ数日、いろんな出来事、いろんなアドバイス、周波数の合う仲間とのおしゃべり、憧れの存在状態の人たちが私に思い出させてくれました。ありがとう♡

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