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空襲からの学校防護はまず「御真影」

 表題写真は、木曽中学校(現・木曽青峰高校)にあった奉安殿です。この中には国から下賜された天皇・皇后の「御真影」と「教育勅語」が収められていました。もともとはいずれも校内にあったのですが、校舎の火事で焼けて校長が殉死したりする事件もあり、校舎とは別の場所につくるようになったものです。が、対応はそれぞればらばらで意匠もいろいろでした。
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「防空事情」1943年1月1日発行の新年号

 財団法人大日本防空協会が1943(昭和18)年に発行した新年号は「学校と児童の防空」を特集します。もちろん、児童の避難や消火訓練などを紹介していますが、防空実施計画について、学校防護団員召集、警報の受領伝達に次いで

防護実施の計画について
基本の2動作に次いで御真影と教育勅語謄本が出てきます

「御真影及勅語謄本の奉護」が出てきます。堅固な奉安殿がない場合、非常の場合に避難させる場所や経路を決めるようにとあります。

奉安殿があっても御奉遷場所を決めておくようにとの記事も

 また、別の記事では奉安殿があっても非常の際の「御奉遷場所」を予定しておくようにとありました。
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 そうした大日本防空協会の方針の後、1943年9月11日に文部省が発表した「学校防空指針」を受けて作った同年11月制定の山形県立鶴岡中学校「学校防空業務書」を入手しました。校長の下、教職員学生が一体となって学校を守る「自衛防空」と、地域の防空活動に協力する「校外防空」を位置づけ、それへの態勢作りを求めています。

 第1章「総則」第2に触れている「自衛防空の本旨」は、被害を最小限度にすることであり、その主眼点は①御真影・勅語謄本・詔書謄本の奉護②生徒の保護③貴重な文献研究資料・重要研究施設の防護④校舎の防護―となっています。
 何はともあれ、御真影をはじめとする皇室関連の品が守るべき第一のものと、現場の業務書に明記されていました。大日本防空協会の方針が国を経て行き渡っていました。
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 では、長野県上田市の小県蚕業学校(現・上田東高校)が1944(昭和19)年12月9日、長野県内で初めて空襲された時、どんなことがあったかを見てみます。小県蚕業学校の場所はこちら(赤い円内)。

日中戦争当時の市街地図より

 比較的中心部から離れてはいますが、市街地の一角ではあります。同校にも、御真影などを納めている奉安殿が1942(昭和17)年までには完成していて、漆喰などのしっかりしたつくりになっていました。

小県蚕業学校の奉安殿

 戦時中の新聞には、実際の被害などが伏せられていて様子が分かりませんので、1988年3月8日付信濃毎日新聞の特集記事を参考に当時を見てみますと、12月9日午後7時40分すぎ、小県蚕業学校にB29から投下された焼夷弾が集中的に落下し、約80発が命中します。いずれも親爆弾から分解した子爆弾でした。一つの親爆弾に38発の焼夷弾が結束されていたとみられるので、畑に落ちたものなどを考慮すると、3発ほどの親爆弾が落とされたことになります。47分に火災発生。55分には地元の消防隊が出動し、市内全部や近郷の警防団も出動して消火に当たります。

 宿直だった人の証言によりますと「赤、黄、青の花火のような光が、一連になってぽっぽと静かに落下してきた。公使さんに連絡するため廊下に飛び出したとたん、あちこちに火の手が上がって火の海。壁に飛び散った火がダラダラ燃え落ちてくる。火たたきなど何の役にもたたない」。焼夷弾から噴き出したゼリー状の燃料に火が付き、それがどろどろと燃えながら落ちてくる様子が明確に記録されています。
 「当時は、まず御真影を―ということで、消防団員と一緒に隣の蚕専(蚕業専門学校=信州大学繊維学部)へ持ち出すのがやっと」。やはり、ここでも御真影の確保が最優先でした。本館や蚕室など10棟880坪が焼け落ち、標本や書物も全滅します。一方、まだ火の入らない倉庫からコメやクルミを持ち出したりといった活動はありました。

 消防の記録では、川の水を3時間ほど放水していますが「水利不足」で、延焼を防ぐのがやっとだったようです。この上田空襲は、なぜ空襲されたのか、何が目標だったかもわかっていません。本土空襲が本格化し始めたごく初期に、なぜ長野県の上田市か。それはともかく、夜間で奉安殿があったことから、御真影優先でも人的被害が出なかったのが幸いでした。
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 こうした皇室最優先の防空対応が、戦前の学校教育の延長線上にあるのは確実です。奇しくも、そんな姿を浮き彫りにした空襲被害でした。

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