1943(昭和18)年の英米排斥の中、卒業アルバムで意外なものが見過ごされ
表題写真と下の写真は、太平洋戦争下の1943(昭和18)年3月、長野県伊那市の伊那高等女学校を卒業した生徒たちが手にした、卒業記念アルバムです。紀元2603年とありますので、年代特定です。当時の卒業アルバムは卒業した年を入れていました。
教員や生徒の記念写真のほか、生徒たちのさまざまな学校での活動記録が載っています。もうこのころは一般にフィルムを手に入れるのも厳しくなっていたのですが、よく丁寧につくったものだと思います。
七夕祭りの学芸会など、楽しい写真もありますが、
戦時下のせいで実施されたのでしょうか、板の間でのなぎなたや木刀を使った精神鍛錬は苦しいものだったでしょう。
そして、防空訓練や奉安殿作りの奉仕活動の砂利運びといった、まさに戦時下らしい写真もありますが、このページのカット…
ミッキーマウス使っています\(゜ロ\)(/ロ゜)/
この年の1月、国はジャズや軽音楽など英米の退廃音楽約1000曲の演奏禁止リストを発表。合わせて英米排斥の風潮が高まり、月間雑誌「ユーモアクラブ」が「明朗」になったり「キング」が「富士」になったりしているのですが。
これ、大丈夫だったんか?
まあ、英米排斥の風潮も、法律で縛るものではなかったし。
野暮な教員がいなくて、編集も生徒にまかせてくれたのでしょう。文化や好きなモノに、国境は関係ありませんしね。文化交流の大切さ、逆に実感させてくれます。
ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。