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戦前の横書きは左か右か、広告で確認

 一般に、戦前は文字を横書きする際、右から左へ書く「右書きばかり」と思われています。そこで、戦時下資料の登場。時期は不明ですが、使われている標語から太平洋戦争当時のものと推定する売薬広告を見てみます。

よくあった売薬の名が時代を感じさせます。自力更生第一。

中段の「頑張れ、勝ち抜け」は右から左へ。通常の戦前書きとみられる「右書き」ですね。このお二人は労働者全般を想定しているのでしょうか。今一つ、かみあいが良くない気もしますが、では目を下の方に移すと…

食い合わせの絵がまた雰囲気良いですね。標語とはかみあいませんが。

 こちらの「今日も決戦 明日も決戦」は現代と同じ、左から右へ書く「左書き」になっています。

 「適当なデザイナーだな」と思われるでしょうし、中の人もそう思います。右書きと左書きの混在…実は、戦前、横書きをどちらからにするかは「決まっていませんでした」

 街の看板も本も、どれも右から書いたり左から書いたりバラバラでした。まあ、数学や理科系のものは数式等の関係上、左書きが主だったようですが。そこで文部省は国語審議会に難しい仮名遣いの改善と合わせて横書きについてもどうするか答申し、1942(昭和17)年7月17日の審議会総会で、発音に近い「新字音仮名遣表」の決定とともに、横書きは美術や統計など特殊なものを除いて、現在と同じ「左書き」とすることになりました。

 ただ、この決定は閣議決定が戦後に持ち越されたので外圧で変えられたと思う方もおられるでしょうが、読みのひらがな表記(例えば甲府は「カウフ」)にも既に不便を感じられていたので、戦前に決定していたことがやっと進んだというだけなのです。

 以上の経緯から、右書きであれば戦前物という根拠になりえますが、左書きだから戦後のもの、とは言えないのです。よって、この広告も、戦前ではなんら問題がないということになります。ただね、できれば同じ広告の中ぐらい、どっちかに統一した方が見栄えがいいと思うんですが…。察するに、あちこちから切り貼りをしたんじゃないかと。そのおかげで、戦前横書き事情を伝える歴史資料になってしまいました。

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