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給糧艦「間宮」搭乗員座談会(下)ー入浴設備も小型艦には大歓迎ー当たり前のことができない「戦争」は絶対回避を

 表題写真は1/700プラモデルの「間宮」。左が前、右が後ろで、武装はほとんどないことが分かります。(上)の主婦之友の写真は、間宮を後ろから撮影したものです。では、最後の(下)をどうぞ。
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(中)から続き
 <野菜切断競技>
 永中 次は野菜切断競技です。人参の賽の目、大根のいちょう切り、ゴボウの回し切り―これが一番多い競技種目ですが、ゴボウの5寸もあるものや、大根の拳のようなものがあったりしては、はなはだ面白くありません。(笑)
 浜西 平常はうまいことやりますが、どうも競技となると手が震えて、指を切って減点されたりします。指を切ると1点減点です。矢も鉄砲も恐れませんが、競技となると恐ろしいものですね。(笑)
 永中 茶目な兵隊がありましてね、賽の目競技の時、切り上げて眺めると、どうも見かねる不恰好に大きいのが10ばかりある。すばやくポケットに入れてすましていたそうですが、結局目方を計る段でばれましたよ。(笑)
 下津 皮はなるべく薄くはぐのがいいので、切り上げた材料の目方を調べますから…。
 前田 この3人の主計兵は優秀ですよ。
 下津 3種目を通じて、総合点が入賞圏内に入ると、楽隊入りで賞品をもらいますよ。
 田中 あの時は悪い気持ちはしません。(笑)
 田井 一般の家庭でも、作ったものを研究する競技があると、家庭料理がどしどし向上するかもしれませんね。(笑)
 下津 しかし家庭では、目の前に競争者がいないからとご主人にいい加減なものを食べさしていると、家庭の外に強敵がいます。(笑)
 永中 下津君は一週間前に、浜西君は8日前に奥さんをもらったばかりですよ。
 前田 家で料理のことをやかましく言うかね。
 浜西 言いません。いつも自分で作っているから、たまに他人のつくってくれたものはうまいです。(笑)
 下津 あれ(妻)の実家では料理のことを非常に心配したそうですが、私が教えるからいいと言ってもらいました(結婚しました)。(笑)
 <海賊を捕えた台所艦>
 記者 今事変でも、お台所艦はずいぶん活躍なさいましたでしょう。
 永中 昭和12年(1937年)の8月24日、事変の当初に上海に行きました。今の、上海の商船ふ頭のあるところに横付けにして、懸命に糧食を陸揚げしていると、敵機が我々の上空を飛んでいる。そして司令部から、敵機が間宮を狙っている、一時も早く任務を終えて帰途につけというのです。高射砲で防ぎながら、糧食を全部おろして帰ってきました。
 田井 やはり上海戦のときですが、釜のふたを開けて、一度ぐるっとかき回そうとしたら、艦ががぶって、窓から海水がどっと釜に入りましてね。そのまま(ご飯を)炊いてちょうどいい加減な塩味になったから、塩をつける必要もなく握り飯にして配給したことがありましたよ。(笑)
 下津 福州へ行った時のことでした。島影から妙なジャンクが現れてきた。すぐランチで乗り付けてみると、支那の正規軍が海賊になっているやつでした。われわれを見ると、キャーッというような悲鳴をあげて、青竜刀をばったり落として両手をあげた。(笑)そこで、兵器だけを取り上げて逃がしてやったところが、翌日その海賊が、ブーブー鳴いている豚10頭を連れてきましてね。引き換えに兵器を返してくれというのですよ。(笑)むろん兵器は返しませんでしたが、豚10頭はちょっとした獲物でした。(笑)
 永中 戦闘で、敵の為にほう炊装置が破壊された時には、釜の代わりに士官が使っている瀬戸引きの風呂を使用することになっています。ほう炊破裂という声を聞けば、すぐにこれを消毒して代用する、これがやられたら、食器消毒用の大たらいを使う、こう三段構えになっていますから、艦が相当破壊されても、ほう炊作業は続行できます。破壊箇所も、工作兵が急速に修理するのですが、今事変ではむろん、そんなことはありませんでした。
 <銀飯・風呂・洗たく屋>
 記者 お台所艦自慢のお料理は何ですか。
 吉見 海軍名物はさつま汁ですよ。東郷元帥、山本権兵衛伯など、鹿児島から海軍の将星がたくさん出ていられるから…。
 浜西 海軍の一番のごちそうは、麦の入らぬ白いご飯にハムサラダです。
 田井 年に5、6回、その白い飯にありつくことがあります。白い飯のことを銀飯と言っていますが、その時は君が代を歌って万歳を三唱して、しかる後いただきます。(笑)
 下津 台所艦名物の一つに風呂がありますよ。市中の銭湯のように大きいのです。そこへ20日も1か月も風呂に入らず勤務している潜水艦や駆逐艦の乗員を入れるのです。
 浜西 実際、あれは喜ばれます。入りに来たときの顔と、磨いてきた顔とでは、こんな顔を持っていたのかとびっくりしますよ。(笑)
 下津 本艦には洗たく室もありましてね。連合艦隊の官品全部、私品の約半数を、市中の洗たく屋に負けぬ手際で仕上げますよ。洗たく賃は、市価の半分から3分の1です。
 記者 万一太平洋戦となれば、お台所艦の任務はますます重大になりますね。
 田井 腹が減っては戦ができん―これがわれわれの合言葉ですからね。こいつを唱えながら、3晩でも4晩でも、徹夜して食糧を積み込み、配給に飛び回りますよ。もっとも、現在でも、徹夜することは珍しくありませんけれども…。
 記者 軍務御多端のところを、長時間まことにありがとう存じました。皆様はじめ、無敵艦隊のご健勝を祈りあげて、この会を終わることにいたします。ありがとうございました。
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 以上で記事の転載は終了です。まだ太平洋戦争前であり、戦闘艦ではないことから、かなりリラックスして本音も出した、ある意味、貴重な体験者の証言になっていたと思います。備品購入を営業で賄っていたとは!
 そして、戦争というと軍艦など兵器だけイメージしがちですが、それらを動かすのも生身の人間たちという、当たり前のことを忘れてはいけません。食べる事、ゆっくり風呂に入ること…そんな当たり前のことすらできなくなるのが戦争であり、間宮も戦火の中で最後を迎えます。
 あらためて、犠牲になられた方のご冥福をお祈り申し上げます。当たり前のことを当たり前にできる、戦争のない世の中が一番と感じています。

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