戦時下の標語、とにかく付けるー資材確保の方便か、時流に乗るためか
1942(昭和17)年11月末、大政翼賛会が「国民決意の標語」を発表します。およそ40万件の応募作品の中からえりすぐったという触れ込みの10件で、当時の新聞報道によりますと「今後、機会あるごとに全国にばらまくことになっている」とのことで、この標語を使ったさまざまな品が出回ります。表題写真とこちらは、大政翼賛会の意を呈して作られたとみられる、家庭薬売りのおまけの紙風船です。
10件の標語のうち5件まで取り入れた、まさに模範的な品物です。標語だけでなく絵に加え「頑張れ」と加えたり。また、残る1面には、よく使われた戦意高揚の言葉に独自の標語らしきものを入れています。標語を入れたのは資材を確保するための方便か、戦時下で受けると思ったのか、そのあたりは分かりません。ただ、家庭内に戦時下の雰囲気を持ち込む役割は十分果たしています。
ちなみに、10件の標語は以下の通りです。
・さあ、2年目も勝ち抜くぞ
・たった今笑って散った友もある
・ここも戦場だ
・総べてを戦争へ
・今日も決戦明日も決戦
・頑張れ敵も必死だ
・理屈いう間に一仕事
・その手緩めば戦力鈍る
・「足らぬ」「足らぬ」は工夫が足らぬ
・ほしがりません勝つまでは
最も有名な「ほしがりません勝つまでは」は当時、国民学校5年生の作品として話題になりましたが、戦後、父親の作品だったことが判明しています。いつの時代にも売名行為をする人がおり、見抜けない人がおりというところでしょうか。
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こちらは、1943(昭和18)年4月、長野市で行ったサーカスの入場券です。
象さんの横に小さく標語が入っています。
標語を入れて国策に協力していますと示す、紙を確保するための仕方なさ感が伝わります。
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こちら、やはり薬の広告。
標語より、メインは食い合わせの図としか思えませんが、それでも戦時下にご奉公というところでしょうか。
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