マガジンのカバー画像

防空演習で戦時体制強化も、空襲被害は壮絶

33
1928(昭和3)年に初めての防空演習が行われて以来、人々に戦時体制をいやでも植え付ける狙いから防空演習が頻繁に行われます。が、日本の防空対策は人が待機して消化させるというのが基…
運営しているクリエイター

2024年8月の記事一覧

1945年8月13日、長野市と上田市が米軍艦載機の本格的な空襲を受けます。多くの調査の…

 2024年からみて79年前の本日8月13日、日本近海にいた米軍第3艦隊第38機動部隊所属の空母ハ…

米陸軍製作の爆撃用地図の精密さに、総力戦の実力の違いを感じる

 米国陸軍が1945年に製作した「戦争用ー民間非売品」の縮尺100万分の1の日本地図を1枚、収…

1970年ころの航空写真でも迷彩模様が屋根に残る信濃毎日新聞社屋と終戦のころの防空に…

 長野県の地方紙、信濃毎日新聞社の2代目社屋は、関東大震災の年末、1923(大正12)年に当時…

防空壕と呼ばず「待避所」と強調して臣民に空襲の消火を義務付け、浸透を図っていたの…

 1943(昭和18)年8月4日に政府の情報局が発行した「写真週報・第283号」は、別に発行した「…