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コミュニティの「共感」を広めるための地域通貨

千葉経済大学短期大学部ビジネスライフ学科准教授・栗田健一先生の寄稿文です。3・11によって顕在化した「所有の精神」に対する「シェアの精神」――モノやサービスをシェアすることについて紹介します。さらにシェアの精神の発展に欠かせない地域通貨の仕組みについて論じています。

コミュニティ経済と地域通貨

コミュニティの「共感」を広めるための地域通貨
栗田健一

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な蔓延によって、人々の行動が近視眼的にそして利己的なものへとなりつつある。ドラッグストアには、毎日朝早くからマスクやトイレットペーパーを買うための人々の長い列ができる。これまで享受できていた生活の利便性が失われてしまう恐怖心があるのだろうか。皆、我先にモノや食品の備蓄に励む。トイレットペーパーについては十分な在庫があると言われ続けているのに、買い占めようとする者が後を絶たない。こうした行動が起きると、周りの人々も一層不安を感じるようになり同じ行動に向かう。それによって、本当は全ての人に十分に行き渡るはずのモノや食品が店から消え去り、特定の人や組織に無駄に備蓄されてしまうのだ。人々が感じる不安やエゴもきっと伝染病の一つなのだろう。
 自分だけよければよいという利己的な行動は、ミクロの視点からすれば合理的なのかもしれない。非常事態に自己防衛しなくて一体誰が助けてくれるというのだ。被害を受けるのは自分、家族や友人だ。でも、それはマクロの視点から見てみると、社会に対して極めて不合理な結果をもたらしてしまうだろう。本当であれば早急に必要ではないモノも備蓄されてしまうことで、本当に必要とする人の手に届かなくなってしまう。そして、一度こうした不安が社会全体に蔓延すると、多くの人が皆同じ行動を取るようになってしまうために状況がさらに悪化してゆく。こうした状況を生じさせるのは、恐ろしい伝染病の蔓延だけではない。経済の歴史の中では度々目撃されてきた。経済が不況に陥ると、生活防衛のために人々は貯蓄に励むようになる。この行動は個人レベルで見れば合理的であると評価できるかもしれないが、貯蓄によって消費が滞り不況をさらに悪化させてしまうだろう。社会的に見れば、合理的とは言えない帰結が待っている。社会にパニック状態が生じると、人々は自分の生活の維持を最優先に考えるようになるためにマネーが支配的な力を持つようになる。カネのある者は必需財を過剰に買い占めることやその備蓄に励むようになり、利得の機会を逃すまいとわき目も振らず転売行動に走る者も現れる。頭の中は利己的な所有欲でいっぱいになる。そうした人間が集まる社会は不安定で混乱を生じさせるがために、すぐにでも崩壊してしまう危険性をはらんでいるのだ。こうした人間が有する精神を「所有の精神」と呼ぶとするならば、もう一つの精神も実はある。それが「シェアの精神」である。こうした人間の精神を顕在化させ強化してゆくための仕組みが次々に登場してきた。これらの取り組みは、人間の利己的な所有欲を和らげ、モノやサービスを共有することによって得られる成果を次々に生み出している。ライドシェア、シェアサイクル、民泊、有益な情報の交換、相談事の受付け、スキルの交換等といったモノ、技能や時間を共有するシェアリングエコノミーが広がりを見せつつある。自助、公助だけでは十分に対応しきれない様々な社会問題や地域課題に対して、「共助」つまりシェアという視点から人々の中に眠っている力を顕在化させつなげていく試みとして、非常に大きな期待がかけられているのである。シェアの精神を有する人同士が形成する集団の中では、マネーの支配力が弱まることによって、利己的な行動に向かう人の数を減らすことができるようになるかもしれない。
 こうしたシェアの試みをもっと前に進めていくために、地域通貨の仕組みを活用することを考えてみたい。マネーの支配力を和らげ、人々のシェアの精神を促すための手段として地域通貨をとらえるのだ。地域通貨には「共感」を感じ取るための仕組みが備わっているため、それを使うことによって思いやりの心を持ち自分本位の行動を戒めるような人間も増えてくる。例えば、地域通貨LETSの仕組みを考えてみよう。相模原市旧藤野町の「よろづ屋」という地域通貨の仕組みがある。これは移住者コミュニティを中心に活用されており、モノや技能のシェアが広くおこなわれている。仕組みはすごく単純だ。メンバー同士が取引をおこなうと、モノ・技能の提供者がプラスを受け取り、モノ・技能を受け取った者がマイナスを負う。プラス・マイナスの程度を表すために固有の通貨単位「よろづ」が使われる。取引の結果は各自が所有する通帳に記帳される。このような取引が地域のあちこちで取り交わされてゆく。参加者同士で「ある考え方」が共有されている。その考え方とは、プラスは自分の力を地域で発揮できた証、マイナスは他のメンバーの潜在能力を引き出した証である、というものだ。面白い点は、マイナスを負うことは避けられるべき行為ではなく、他のメンバーの能力を引き出せた証として評価に値するということだ。皆がこうした考え方を共有していることで、自分の力を引き出したり、引き出してもらったりできる環境が自然と形成されている。だから、メンバーはマイナスに躊躇することなくモノ・技能をシェアするようになる。マイナスは特定者への負債ではないので負い目を感じる人は誰もいない。それが、よろづの一層の利用を促してゆく。
 こうした仕組みは、モノやサービスのシェアを通じて生活を便利にするという側面がある。だが、さらに意義深いことは、人々の生活のとらえ方が変わっていく点にあると思う。シェアという行動によってモノの所有に対する考え方にも影響が出始める。モノやサービスを所有するのではなく共有することで、安心感が生まれるだろう。なぜなら、円というマネーが消失したとしても生活を維持できるという見込みを得られる。それは一時的なものかもしれないが、いざというときの備えとしては有効に機能するはずだ。こうしたLETSコミュニティが様々な場所で形成されていけば、安心感が生まれ相手に対する信頼も形成されてゆく。それにより、利己的な行動が抑制されパニックに陥る人も減るはずだ。非常事態が生じたとしてもしなやかに対応できる力が身についている。不安や恐怖心を集団内に伝染させないための新しいマネーとして地域通貨を活用することも考えられるのではないか。それは、モノの需要不足を解消するという点については限定的な効果しか持たないかもしれないが、普段からシェアの精神を鍛えていくための手段として機能を発揮できる。だから、地域通貨は人々の意識や行動を良い循環へと変えていくための手段としてもみることができる。向社会的行動を促す化学伝達物質としてオキシトシンがある。これが増加すると、他人に対して思いやりのある行動が取られるようになるという。それは共感を形成し、道徳的な行動を促す。そうした行動が広まると信頼が集団内で形成され、再びオキシトシンが増大してどの人間も思いやりの心を持つようになる。オキシトシン→共感→道徳的行動→信頼→オキシトシン……という好循環が形成されることにより、人間の社会はうまく機能できる1。地域通貨はこうした好循環を形成することに貢献し、利己的な行動を和らげるために機能できる可能性を持っている。
 このように地域通貨をうまく活用すれば、シェアリングエコノミーを促進し安心感や信頼を形成していくこともできる。普段からシェアの腕前を鍛えておけば、社会や経済にショックが生じた場合でも柔軟に対応できるようになる。それによって、過剰な利己的行動が抑制され、身の回りのことにも思いが及ぶ、共感に基づく行動が促される。地域通貨にはまだまだいろいろな可能性が秘められているのである。


1 Zak, P. J.(2012)The Moral Molecule: The Source of Love and
Prosperity, Dutton.(柴田裕之訳『経済は『競争』では繁栄しない』ダイヤモンド社、2013年)

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