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良貨が悪貨を駆逐する

専修大学経済学部教授の西部忠先生に、仮想通貨の流通についてご寄稿いただきました。「悪化と良貨」のたとえから、今後、仮想通貨が展開していくときの課題をわかり易く解説いただいています。

コミュニティ・ドック

良貨が悪貨を駆逐する Good money drives out bad.
西部 忠

 経済学の法則の一つに「悪貨が良貨を駆逐する」 (Bad money drives out good.)という「グレシャム法則」がある。19世紀スコットランドの貨幣・信用論者マクロードが16世紀チューダー朝の財務長官グレシャムにちなんで名付けたとされる。
 この法則の意味はこうだ。度量単位名称)例えば、ポンド)と額面価値が同じだが、金の含有率、すなわち、実質価値が異なる2つの金貨があるとしよう。人は利己的だから、金の含有率が低い「悪貨」を先に使い、それが高い「良貨」を手元に残そうとする。すると、悪貨が流通して、良貨は退蔵される。一般に、素材自体が価値を持つ商品貨幣の場合、額面価値と実質価値の差が小さくて、資産性に優れた良貨が保蔵されてしまう結果、悪貨が次第に世に出回るはずだ。
 同一の度量単位(例えば、円)を持つ金貨と金貨に兌換可能な兌換紙幣でも、兌換紙幣から先に使おうとするので、同じことが生じる。不換紙幣の場合も、通貨発行量の差によりインフレ率の異なる2つの通貨があるとすれば、やはりグレシャム法則は成立する。高いインフレ率の悪貨が低いインフレ率の良貨を駆逐するからだ。
 グレシャム法則は、貨幣の鋳造者や発行者にとって実に好都合である。金貨の金含有量を減らして鋳造費用を削減すれば、額面価値と実質価値の差(造幣益)を獲得できる。その結果、貨幣の実質価値は低下し、インフレ傾向が進む。インフレは国の財政赤字を実質的に削減する。このような二重の利益ゆえに、国家は絶えずインフレを引き起こすよう悪貨を鋳造・発行する傾向がある。そして、法貨以外に選択肢がないならば、そうした悪貨が大手を振って世に出回るので、使用者は搾取される。
 これを現代に当てはめてみよう。中央銀行が発券する不換紙幣と財務省造幣局が鋳造する補助通貨が法定通貨として流通している。一万円札の製造原価は高々10円程度にすぎない。この実質価値の小ささは悪鋳された金貨の比ではない。不換紙幣はまさに正真正銘の悪貨なのだ。
 戦後、円はドルと1ドル=360円の固定相場で交換でき、ドルは金と1オンス=35ドルで兌換できた。よって、円は間接的に金と兌換できたのだ。ところが、1971年、ニクソン大統領は金準備不足からドルと金 の兌換を停止し、1973年に先進国は変動相場制に移行した。それ以降、各国の法定通貨は貴金属のようなモノの価値に基づく碇【いかり】を失った。変動相場制は法定通貨間 の相対的な交換比率を表示するだけであり、金本位制のような絶対的価値を表示するものではなくなった。したがって、外国為替市場における投機筋の思惑次第で大きく乱高下することがしばしば起こる。
 1997年のアジア通貨危機では、資産バブルの終焉を予想した投資資金がマレーシア、タイ、韓国等のアジア諸国から国外へ流出した結果、通貨と資産が暴落して実体経済が不況に陥り、人々の生活が危機に瀕した。現代の貨幣は商品売買のための流通手段や価値尺度、価値の保蔵手段であるだけではない。売買差益を儲けるための投機対象になっている。つまり、現代の貨幣は実質価値の傾向的低下による量的劣化を被るだけでなく、実質価値の相対化と虚無化を伴う大きな価値変動という質的劣化に強く侵されている。
 日本銀行はアベノミクスによる景気回復のためにインフレターゲット2%を実現しようと、マイナス金利を伴う現金通貨の無制限供給、すなわち質的量的緩和を続けてきた。円安により輸出企業の業績は改善し、株価も上昇したが、銀行が貸出を増やして、預金通貨を市中に供給しようとはしないから、インフレは想定通りに生じない。それは、銀行がリスクを考慮すると貸出先がないと判断しているからであろう。良好な投資機会がないのに、貨幣ストックの増加で名目物価を上昇させ、景気を良くしようというのがインフレターゲット政策だ。それは、人々の貨幣錯覚によるインフレ予想が持続するという極端な想定に基づく。現実には、名目賃金の上昇は鈍くて実質購買力が低下した家計は財布の紐を締めてしまった。日銀総裁はいまやインフレ率2%を実現するための期限に言及しなくなり、どうやらその実現を諦めてしまったようである。中央銀行が行う現金の集権的発行はこうした無理筋とも言える経済政策を可能にしている。
 現代の法定通貨は、その実質価値が額面価値よりもずっと低いだけではない。資本機能の度合いが極端に高まり、投機の対象となっている。さらに、中央銀行の恣意的で無効な金融政策のための道具ともなっている。悪はここに極まれりというべきか。
 ビットコインは、ブロックチェーン技術を生かして分散的発行に基づく新たな独自通貨になるのではないかと大いに期待された。ビットコインを初めとする仮想通貨は、2017年にその知名度を上げるにつれて価格は急上昇したが、2018年に入ると大暴落に転じた。その価格変動はドルやユーロに比べて極めて大きい。仮想通貨は財やサービスを買うことができる「貨幣」というより、FX)外国為替証拠金取引)のレバレッジ)証拠金倍率)をさらに 倍にしたようなハイリスク・ハイリターンの金融商品になってしまった。
 オーストリア出身の経済学者フリードリヒ・ハイエクは『貨幣の脱国営化』で、複数の通貨が共存し競争し合うことで、望ましい通貨が見いだされると述べた。そのためには、「悪貨が良貨を駆逐する」グレシャム法則ではなく、「良貨が悪貨を駆逐する」という貨幣選択(撰銭)原理が働かなければならない。既に見たように、通貨同士が同じ度量単位を持ちながら、実質価値、発行量や金利といった量のみで区別されると、グレシャム法則に服してしまう。撰銭原理がうまく働くためには、異な度量単位名称を持つ複数の通貨がそのような量だけでなく、貨幣価値の安定性への人々の信頼のような質において区別され、しかも、貨幣間の交換レートが完全に固定的ではなく、質の違いに関する人々の評価を反映してある程度変動的である必要がある。

 現在、ビットコイン以外に1600種類以上のアルトコインやトークンが存在する。こうした仮想通貨群は貨幣の脱国営化と競合を実現した。ハイエクは不確実性を軽減するための安定的価値をもつ貨幣を「良貨」と見た。現行の仮想通貨はその価格があまりにも不安定なので、ハイエク的には良貨ではない。だが、良貨の条件を通貨価値の安定だけに求めるべきかどうかは明確ではない。通貨間競争を通じて選択されるものが良貨ならば、その条件はたえず革新または発見されていくはずである。仮想通貨が投機的な金融商品を脱し、実際の取引で使える「良貨」になるためには、少なくとも、通貨価値の安定性と消費財市場の形成が不可欠であろう。

 通貨価値の安定性とは、貨幣価値が急減ないし急増しないことである。ビットコインは埋蔵量が限られた金の発掘を模すことで、時間経過とともに貨幣価値が継続的に上昇していくようプログラムされている。その意味でビットコインの騰貴傾向は必然だが、問題は、ビットコインが変動レートで販売・交換されることから生じた。FXと同様のリアルタイムの変動相場制が価値変動による売買差益を狙う投機を可能とした。実際、この要素がなければ、ビットコインの人気はこれほどでなかったであろう。ところが、これこそがビットコインが良貨になることを阻害する最大の要因である。

 現状では、ビットコインが買えるのはすべての商品のごく一部でしかない。ビットコインが値上がりすると予想するなら、保有し続ける方が得だ。値下がりが予想されるなら使った方が得だが、相手が受け取りを拒否する 可能性もある。その激しい価格変動ゆえに、こうした思惑が働き、消費の中に投機の要因が混じってしまう。

 このような仮想通貨をグローバルに売買しているのは、国際的ヘッジファンド、投資銀行、法人・個人投機家たちであろう。これは圧倒的多数である一般人からほど遠い世界だ。

 私たちは働いて得た所得で衣食住に必要な財・用役を消費して生活し、自分の価値観に基づいてライフスタイルを決め、自分の関心に基づいて趣味や活動を行い、知識や情報を身につける。感情や心理のバイアスに左右されるため、最適な選択を行えない。また、事前にすべての選択肢を知りえない。合理性に限界があるだけでなく、情報収集、意思決定、行動の能力に限界がある。  したがって、貨幣で消費財を買う場は広大無辺のグローバルな市場ではなく、自分の生活の近傍に広がるローカルな市場ということになる。血縁・地縁や近隣・仲間・友人に加え、生活、労働、趣味の場としてのコミュニティ、言語、価値、関心を共有するコミュニティがそこに大きく関わってくる。人間はグローバルに最適な決定を行うことができる合理的な主体ではなく、ローカルな領域で自分の価値や関心で切り取られた知識や情報に基づいて判断し、各種コミュニティに属して暮らしている動物である。通常の人間が日々の暮らしを営んでいくために欠かせない貨幣こそ良貨なのではないか。

 仮想通貨は投機的な資本機能だけが一人歩きして、一般人から遠く離れてしまった。それを人々の生活を豊かにする良貨へと転換するには、こうした地理的なローカリティや多義的なコミュニティを積極的に導入する戦略が有効であろう。

 現在、実証実験中の「近鉄ハルカスコイン」や本格稼 働中の「さるぼぼコイン」は、仮想通貨のブロックチェーン(分散台帳技術)やQRコード決済のような優れたテ クノロジーと、地域通貨の「地域経済活性化」や「コミュニティ復興」という良き理念を結合することで、仮想地 域通貨あるいはデジタル地域通貨という新種を人為選択的に創出しようとしている。さらに、それらは仮想通貨 のような交換レートの変動可能性を排除して、「1コイン=1円」の固定相場制を採用している。
 仮想地域通貨が良貨となるためには、消費財市場の形成も不可欠だ。加盟店による仕入れ支払いや賃金支払いへの利用も重要である。それらが通貨の転々流通性と流通速度を加速させ、その結果、通貨循環が消費財だけでなく、生産財や投資財の市場を広くカバーできれば、地産地消を通じた地域経済の活性化が達成される。
 そのためには、仮想地域通貨が、コミュニティ内の助け合いやシェア等のボランティア領域と、商店街での買い物や企業間取引のようなビジネス領域という、一見すると水と油のように相いれない両者を融合した市場を形成する必要があろう。ここでは、NPOやNGO等の非営利団体の活動が不可欠であるし、地元の商店街、商工会議所、社会福祉協議会の協働が要求される。そしてなにより、地元自治体の一過的なものではない持続的な支援が有効である。
 このように、近鉄ハルカスコインが近鉄沿線、さるぼぼコインが飛騨高山という地域コミュニティに根ざしたローカルな仮想地域通貨市場を創出し、地方創生を達成できるかどうかが今後の課題であろう。これらの事例に続き、今続々と仮想通貨と地域通貨の結婚によってデジタルコミュニティ通貨が生まれている。海外では、イスラエル発のビットコイン2・0を継承して、2017年に始動した地域仮想通貨 が注目される。ICOによって約30億円を調達し、イスラエルやイギリスで地域コミュニティ活性化をめざしている。この方向こそが、仮想通貨の進化の本筋なのかもしれない。
 われわれが今年設立した「専修大学デジタル―コミュニティ通貨コンソーシアムラボラトリー」、通称「グッドマネーラボ」は、人々の生活環境を改善し、人々の幸福を増大させるために、そして、自然環境と経済社会と がより持続可能になるために、「悪貨が良貨を駆逐する」グレシャム法則ではなく「良貨が悪貨を駆逐する」撰銭 原理がうまく働くような貨幣の革新と普及を広げて行きたい。

(にしべ・まこと 専修大学経済学部教授)


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