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学校の帰り道

(短編:約2,700文字ー約6分)

帰り道


 学校帰りの買い食いが好きだ。

 持ち帰ったものを暖房のきいた家の中で食べるのも悪くないが、寒空の下、コンビニ前で買ったばかりの中華まんにかぶりつくトキメキは外でしか味わえない。

 鼻の頭を赤くしながら、陽菜は買ったばかりのオレンジ色のピザまんを、コンビニの外に置かれたベンチに座って一口食べた。
 トマトソースの甘さと、チーズの濃厚な塩味が口いっぱいに広がる。求めていた味に陽菜は目を閉じて、口角が自然にあがるのを止められなかった。

「だからー、陽菜のタイプってどんな奴だよ」

 そう言うのはクラスメイトの上原裕太だ。

「そうだなー、美味しそうな肉まんを半分こしてくれる人とかタイプだなー」
「おい、『まんじゅうこわい』みたいな返事やめろよ」

 白い息とともに文句を言いながらも、少し間隔を空けて隣に座った裕太は、まだ口をつけていない肉まんを半分に割って渡してくれた。ゴロゴロとした大きな具からは、まだ熱いぞと主張するように湯気がたっている。

 ピザまんとどちらにするか散々悩んだ結果、陽菜はピザまんを買ってしまったが、やはり肉まんも捨て難かった。
 しかも裕太が買ったのは普通の肉まんではなく、贅沢肉まんというけしからん代物だ。ホカホカと湯気をあげ、むっちり白く、艶々の肉まんを見せつけるほうが悪い。

「じゃあ、ピザまんも半分こね」

 陽菜はかじってしまったところを避けて、とろけて伸びるチーズに苦労しながら半分にしたピザまんを差し出す。裕太は「おお」と低い声で小さく答えながら、無愛想にそれを受け取った。

「見て見て。右手に肉まん、左手にピザまんを持つと、なんだか食いしん坊になったみたいじゃない?」
「実際に食いしん坊だろ」
「それは言わない約束でしょ」

 へへっ、と笑って陽菜はピザまんより少し大きい右手の肉まんにかぶりつく。

「で、実際のところはどうなんだよ?」

 裕太も二種類の中華まんを頬張りながら、先ほどの話題を持ち出す。

「そうだなー、食後に温かい飲み物をくれる人がタイプかも」
「だーかーらー」

 そう言いながらも、先ほど肉まんと一緒に買っていたホットコーヒーを器用に陽菜のほうに差し出した。

「ユータのそう言うところ、本当に好きだよー」

「おい、頼むよー」っと情けなく言いながら、残りの中華まんを大きな口で一気に食べ切って立ち上がった。裕太の気持ちいい食べっぷりに思わず見惚れていた陽菜は、慌てて訊ねる。

「どこ行くの?」
「コーヒー買ってくる」
「え? ここにあるよ?」
「それは陽菜にやるから」
「それなら自分で買うからいいよー」
「まだ食べてる最中だろ?」
「でも、たかってるみたいでヤダ」
「俺の奢りだから気にするな」
「気にするよー。じゃあ、別の機会にお返しする」

 その言葉に同意するように手を振ってから、裕太は店内へ入っていった。その背中を見ながら、陽菜はそんなつもりはなかったのにと落ち込んだ。

 少し前から陽菜の好きな異性のタイプを聞いてくるが、できれば誰のために聞いているのか知りたい。

 もし誰かに頼まれて聞いてるのだとしたら、それは寂しい気もするし、裕太本人が知りたがっているとしたら、それはそれで今の関係が変わってしまいそうで怖い。

 裕太は陽菜にとって、リアルで気楽にくだらないことが話せる大切な存在なのだ。今までそんな異性に会ったことが無かったから、本当に貴重だと思っている。裕太に対する気持ちが友情なのか恋なのかは、まだよく分からない。
 それでも、そばを離れたくないという気持ちは変わらない。

 もし、裕太が自分以外の女の子と付き合うと言い出したら……?
 嫌だ。そんなこと考えたくもない。
 今の関係のまま、この先も過ごしたいと思うのは、わがままなことなんだろうか?

 そんなことを思いながらマフラーを少し上げて、まだ温かいコーヒーをすする。すると、店内から戻ってきた裕太がこちらへ歩いてきた。

 少し猫背で歩く、その姿にドキリとする。
 さっき大きく口を開けて、中華まんを一気に食べた時も陽菜の心を揺らした。この気持ちが恋なのか、そうじゃ無いのか、今はまだ確定させたくない。

「そういえば、今日の数学の授業ってばっちり?」
「当たり前だろ。塾でもやったとこだし」
「じゃあ、明日にでも教えてー。よくわかんないトコがあってさー」
「まあ、いいけど」
「やったー」

 そうやってふたりの時間を約束することで、陽菜は自分の抱える不安を軽くする。卑怯だとわかりながらも、この心地よい関係を変化させることをなんとか先延ばししたいのだ。

***

「ぼちぼち帰ろっか」

 小テストの結果や陽菜の家で飼っている犬の話など、他愛ない話をしている間に、手に持った紙コップはすっかり空になっていた。
 名残惜しいが明日の約束もしているしと心の中で納得して、陽菜は立ち上がりスカートの裾を払ってそう言った。

 裕太も陽菜が質問に真面目に答えてくれないことを理解して、やれやれといった雰囲気でベンチを離れる。

「ほんと、陽菜は猫みたいに気まぐれだよなー」

 そう言って、苦笑いしながら正面から陽菜を見た。
 一重の涼やかな裕太の瞳とぶつかり、不意打ちのその視線に、陽菜は顔に熱が帯びるのを感じた。今まで横に並んでいたので、正面からほとんど目を合わせていなかった。
 顔どころか、全身にドクドクと血がめぐるのを感じながら、そっと視線を逸らす。

 やっぱり恋なのかなー、と陽菜はギュッと目をつむってから、すっかり暗くなった空を見上げた。

「困ったなぁ」

 小さく呟いた陽菜の言葉は、裕太の耳には届かなかったようで、「遅くなる前に帰るかー」と歩き出した。

「うん」

 陽菜は頷いてカバンを肩にかけ直すと、裕太の隣に並んだ。

 恋とか友情とかって本当に難しいなぁと、陽菜はまだ熱を帯びた頬に手を当てた。

 冷たい手が少しずつ温かくなるのを感じながら、裕太の横顔をこっそり見上げる。

 こんなふうに異性と並んで帰ることすら、入学前には想像もできなかった。いつの間にかこの状況になったことは、陽菜にとって驚きであったが嬉しいものだった。
 しかし時間はさらに流れようとする。
 自分も、その周りの人たちも、いつの間にか変化していく。その変化の全てが、陽菜の望むものとは限らないから少し怖い。

 だから、この瞬間の、初冬の澄んだ空気や匂い、音や色、白い息遣い、陽菜にとって初めての恋が始まるかもしれない、震えるようなこの想いを、そして不安を、空間ごと全て切り取って、宝箱にそっと保管できたらいいのにと思う。

 しかし、それが不可能なことだと知っている。

 だから、淡く輝くようなこの瞬間を少しでも目に焼き付けようと、陽菜は瞬きを惜しんでこちらに気づくまで、裕太を見つめ続けた。

 そんなふたりを見守るように、夜へ向かう宵の空には三日月が柔らかく微笑むように浮かんでいた。



 了



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