マガジンのカバー画像

教育現場のワオキャリア | 先生のキャリア

33
教育現場の多様なキャリアストーリーを紹介しています。
運営しているクリエイター

#仕事

働く場所として、学校は最高の場所。これまで培った経験も、得意なことも、「自分」の全てが生きる仕事

一般企業や高齢者福祉などの現場を経て、現在は岐阜県の町立中学校の主幹教諭として町内の小中学校を飛び回る渡邉和代さん。 大学時代には国文学を専攻し学びながら、建築CADの専門学校にも通い資格を取得。学校教育への思いは抱きつつ、当時の教員採用は異例の高倍率時代。かといって、周りと同じようなリクルートスーツに身を包んで就職活動に向かうことはどうしてもイメージできず、新卒採用ではなく、一般採用という形で民間企業に就職した。 その後、そのときどきの出会いと直感を大切にしながら、さま

先生は社会を作る重要な担い手。仕事と育児の両立への悩みから、オランダに移住して見えてきた教員という仕事の本質とは?

2019年よりオランダに移住し、現在はオランダと日本の教育をつなぐ会社Edubleを立ち上げて代表を務める三島菜央さん。 三島さんは、高校中退を経験し大学に入学。留学、ベンチャー企業での勤務、高校教諭といったさまざまなキャリアを経て、現在のオランダ移住に至っている。 多様なキャリアを歩んできた三島さんが、なぜ教育分野の仕事を選んだのか。なぜ高校教諭を退職した今も、オランダの教育についての発信を行っているのか。それらの理由について三島さんに詳しく話を聞いた。 教育分野を志

いくつもの肩書きを持つのは、自分らしくあり続けるため。パラレルティーチャーになって気づいた、先生が生き生き働くために大事なこと

現在、大阪市にある私立一貫校、常翔学園中学校・高等学校で、文理進学コース長をされている古島尚弥さん。 大好きなバスケットボールを続けたいという理由で目指した教員というキャリアを選び、教員を続けながらオリンピックの審判員を目指す日々だったという。しかしあるときから、教員とバスケットボール以外にもNPO法人の理事、地元自治体の教育委員、本の出版、キャリア教育で使うカードゲームのファシリテーターなど、いくつもの顔を持つ、自称「パラレルティーチャー」になっていた。 さまざまな人と

子どもとの間に壁をつくらないあり方を大切に。逗子の小学校教員が語る、“企業”での勤務経験と“教員”という仕事への思い

神奈川県にある逗子市立久木小学校で、研究主任として、日々子どもたちの主体的かつ探究的な学びを研究、実践している大窪昌哉さん。 そんな大窪さんは教員になる前の約7年間、一般企業で経理の仕事に従事していたという。そこからなぜ、どのような経緯で教育現場に転職することを決意したのだろうか。 また、企業での経験が自身の教育観にどのような影響を与えているのか。その後の14年間の教員生活で実感していることと合わせて、話を聞いた。 人ともっと関わりたくて、教員の道へ ——大窪さんは教

大学職員から美術経験ゼロで公立小学校の図工専科に。子どもの「やりたい!」を叶えるクリエイティブ・ラーニングの環境づくり

「教育現場で働いてみたいと思うのであれば、怖がらずに覚悟を決めて飛び込んでみてほしい」と語る山内佑輔さん。 山内さんは、大学職員から美術経験ゼロであるにも関わらず小学校の図工専科教員に転身。「図工のことは何も分からない」というピンチを逆手に取って、さまざまな企業やアーティストとの共創による新しい授業や学びの空間づくりに取り組んできた。 「学校の先生」という枠に収まりきらない取り組みをされている山内さんに、教育現場へ転職して感じたことについて話を聞いた。 学校の垣根を越え

宇宙飛行士を目指して自衛官になり、今は高校教諭に。挑戦を繰り返した数学科教諭が子どもたちに伝えたいこと

自分が教員になったとして、自信を持って子どもに伝えられる「何か」があるだろうか? 教員を目指す人の中で、この問いに逡巡する人も少なからずいるのではないだろうか。自衛官を経て、現在は公立高校の教員として数学を教える舘弘士さんも、かつてはそんな若者だったという。しかし、教員になるまでに経験した数々の挑戦が、今に活きていると感じることは多々あるようだ。 自衛官から教員の道へキャリアチェンジした異色の経歴を持つ舘さんに、これまで歩んできた道や今の仕事についてお話を伺った。 異色