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ハリガネツキのてあて


心が大きく揺れてしまった日の夜
ベットに横になってると、たまに、おでこにそっとしっとりとした温かい手が当てられている感覚がある。

そんな時決まって見る夢。それは場所も、身につけている服も毎回違うのだけれど、向かう先はいつも同じ

お気に入りのTシャツとショートパンツ、履き古したサンダルの姿で、毎日のように通る商店街のアーケード前に立っていた。

この夢を見ている時の私はこれが夢だと分かっているぐらいに意識がしっかりしている。ただし体は意思と関係なく勝手に動いていて、それを現実の自分が俯瞰している、自分が2人同時に存在している、そんな感じだ。

現実では廃れた商店が並んでいるシャッター通りのはずだが、今はどのお店も多種類のランプで煌びやかに外装を彩っている。しかし私以外の人の姿はない。このチグハグさを不気味だと感じてしまいそうなものだけど、なんてことない、これは夢だ。私は何の疑いもなく目がくらみそうな眩しい拱廊を歩き出した。

夢というのは非現実的なものだと思う。いきなり場所が変わったり、知らない人と談笑していたり。それでもそんなものだと特に疑問なく受け入れている。

この夢も、そう。
もうとっくに抜けててもいいはずなのに、商店街がいつまでも続いている。どれくらい経っただろう、やがて私は一軒の店の前で立ち止まった。そこは外装が凝った他の店と違い、中から差すレモン色の灯りがほのかに辺りを照らし、劣化して文字が掠れた看板が立て掛けられた素朴な店だった。

からからから、、と戸を開けるとさっきまでガラスの扉を照らしていた灯りは開いた途端に音もなく消え、薄暗い店内は背の高い雑草が覆い茂っていた。足元は見えないし、目と鼻の先で虫が羽ばたいた気配がして、飛び上がりそうになったけど、夢の私は構わずに自分の背丈と同じくらいの草をかき分けて奥へと進んでいった。

草に足がとられそうになりながら、しばらく歩くと向こうの茂みの方から、ガサガサと草をかき分ける音が聞こえてきた。そして背丈ほどある草から抜け出した時、向こうからきた人も同じく出てきた。ラインが入った黄色のポロシャツにライムグリーンのパンツを身につけた短い髪の女の子。この夢ではいつも見かける顔馴染みの人だった。

お互いまじまじと見つめ合っていたけど、何も言わずお辞儀をして、それぞれ別の方向へ歩き出した。彼女が去っていくとき、ふわっとスパイスの香りがした気がして、今回は追って声を掛けてみようかとそちらに足を向けたけれど、結局先に進むことにした。


“……で……きみ……”
“……え…”

虫の鳴き声や小川を流れる水の音に混じって人の喋り声がかすかに聞こえてきた。
声のする方へ進んでいくとガーデンチェアに腰掛けた三人組の男女がいて、そのうちの一人は私だった。その前の席に座る男性は身振り手振りで何やら熱心に話をしている。
見覚えのある光景に胸が痛くなってきた。夢の私はその人たちの姿が完全に見える位置まで歩き立ち止まった。

“僕の友人にも君と同じ趣味の人がいるよ。今流行っているみたいだね。まあ私にはよくわからないけど。”
“君の大切にしてる人と同じように私たちのクライアントにも同じ気持ちで接してほしいんだ。”
“一緒にやっていく上で大切なことは何だと思う?…うん、それもあるんだけどね…。”

これは今日の出来事。
友人の紹介で現れたその人の第一印象は気さくで朗らかな人だった。でも話してみるとこれまでの経験上、絶対に相容れないタイプの人だと気づいて胸の辺りがツキツキと痛み、危険信号を出し始めた。口数はどんどん少なくなって、喋らなくなった私は友人には悪いけど、その後の予定も取り止めてもらい逃げるように帰ったのだった。

別に、悪い人じゃないんだと、思う。
ただその相容れない考え方や喋り方は、私の追い出してしまいたい思い出を突いてくる。それが我慢できなかった。

逃げたくても夢の私は中々動かない。
無表情でその光景を眺めて三人が席を立ち、ふっ…と煙のように消えたのを見て歩き出した。意識の私は嫌な出来事を追体験して、痛み出した胸の痛みがどんどん大きくなっていった。溜まり溜まった奥の底の濁りがかき混ぜられて、泥水が広がっていくみたいだ。さっきまで無表情だった夢の私も、同じように顔を歪ませて足早になっていた。あの光景の前は、蛍のような光が辺りに漂っていたのに、今は暗闇が広がり方向感覚が狂いそうになる。前に進んでいるのか、それとも逸れた道を行っているのか、はたまた戻ってしまっているのか、わからない。気がつくと全速力で走っていた。

どんどん大きくなる胸の痛みは二の腕から手のひら、指先と身体中に回ってきた。痛みを誤魔化すために滑稽にも両手をブラブラと振り降ろしながら、それでも進む。やがてお腹から背中に広がり前のめりになって、痛みが足に到達したとき、とうとううつ伏せに倒れ込んだ。

激しい息遣いと全身の痛み
もう、一歩も動けない。我慢していた痛みがこの世界では溢れる様に襲ってくる。こうして動けなくなるくらいに。


「オヤオヤこれは久しい友人ですね。どうしたんです、そんなところに寝そべって」

さく、さく、と草を踏む音が聞こえ、話しかけられた方に目をやると口元に手を当てて頭を傾げた、ハリガネツキさんが立っていた。



ああ辿り着いたんだ。と安堵して息をついたら激痛が走った。今回は一段とひどいかもしれない。

「どうも…こんばんは。遊びに、来ちゃいました」

息も絶え絶えに、声を絞り出してそう言った私にハリガネツキさんはにっこりと微笑んだ。

「それは素晴らしい。イヤイヤ今夜は特別な宵ですな、ドレちょいとお待ちを」

ハリガネツキさんは、そばに建てられたのテントに尻尾を揺らしながら入っていき、銀のポットと陶器のカップを二脚持って出てきた。そして私の隣にぽすんと座って、腰につけていたポシェットに手を突っ込み、折り畳みの小さな机とブランケットを取り出した。

「夜汽車食堂のケーキがあったんですけどね全部食べちゃいました。でもね、そのかわり今日届いたばかりのお茶があるんですよ。とっておきのお茶です。」

カラカラと変わった笑い声をあげてポシェットから次々とピクニック道具を出していくハリガネツキさん。動けない私を見て、異変に気付いたのかウキウキとお茶の準備をする手を止めて、考え込むと閃いた、とばかりにポンと手を当ててうんうんと納得したように頷くと私の隣に寝そべった。

「ソウソウ、そうでした。私としたことが、今夜はアステールの日。だから私のテントの前で寝そべっていたんですね。こんな大事なことを忘れていたなんて、思い出させてくれてどうもありがとう。でも貴方、うつ伏せになってちゃ見えないでしょう。さてはうっかりさんですね?ドレドレ」

ふふふと笑い、よっとと起き上がり、ごろんと私を仰向けにさせたハリガネツキさんは、そのまま私の額を撫でてくれた。ふわふわしっとりの小さな手が心地よくて身体中を走っていた痛みが溶けて緩んでいく。

「ありがとう、ハリガネツキさん」
「オ安いご用ですよ。」
「…ハリガネツキさん、あのね」

今日こそ、話そうと思っていた。自分が感じてしまう違和感、悪意ではないものをそう捉えてしまうこと。貴方に話せばきっと正体がわかるそんな予感があるから。



「…えっと実は体が痛くて起き上がれなかったんです。だからもう少しだけこのままでもいいですか?」

喉まで出かかった言葉を飲み込み、少し甘えてみる。

「ソウでしたか。それでは」

ハリガネツキさんは蒼い惑星に手を伸ばすと撫でるような仕草をして、その手でまた私の額を撫でてくれた。するとモヤモヤしたものがすぅと吸い取られ、爽やかな風が吹いたかの様にすっきりと体が楽になった。そしてバラバラになってた私の意識と体がひとつに戻った。

「ありがとう」
「お安い御用ですよ。さ、今晩は語り合いましょう」
「いいですね。あ、お菓子を用意すればよかったですね」
「そんなの気にしませんよ…アアデモお茶菓子がないと寂しいですね。そうだ、またこのクレヨンをお貸しするので好きなお菓子を描いてください」

なんでも出てくるポシェットから12色のクレヨンを取り出し渡してきた。初めて使ったときは描いたドーナツが本物になってびっくりしたっけ。

「はい。じゃあハリガネツキさんもお好きなマドレーヌとそれからー…」

星夜の下ブランケットに身を包み暖かいお茶を飲みながらクレヨンで出現させた甘いお菓子をつまんで、私たちは語り合った。

心が大きく揺れてしまった夜、
私は決まってみる夢がある。それは場所も身につける服も毎回違うのだけれど、向かう先はいつも同じ。あなたに会えば心と体がバラバラになってしまってもひとつに戻れる。夢でも現でもいいから、もう少しだけそばにいて。


「貴方はもう戻り方を知ってるはずですよ。ですが、急に手を離された恐ろしさもあるでしょう。いつかこの手が要らなくなるその時までは、道を繋いで待っていますね」



end?



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