多くを語らない
尊敬している知り合いで、多くを語らない人がいる。
人に流されることがなく一喜一憂せずに冷静に物事を見て、楽しむときは思いきり楽しむ人。
人をよく見ていて、相手の話を否定しない。聞き上手。
あんまり自分のこと話さないよねと言うと、「別に聞かれれば答えるよ」と言っていた。
その人と話をすればするほど、感動する。
ぽろっと口にする過去や現状の話が、そうだったんだ?そんなこともやってたんだ?と驚くことばかり。
まさに“能ある鷹は爪を隠す”
その人もしかり、経験値や人間性が高い人は多くを語らない。
自分で自分のことを認めているというか、理解してるからだと思う。いつも謙虚。
周りからしたらすごいと思うことを、「普通、当たり前」と捉えてる。
驕ったり見栄を張ることもなくいつも自然体。
逆に劣等感が強かったり自信のない人は、とにかく他人からの評価がほしい。
すごいと思われたいのでよく自分の話をする。
「人の話を聞こうとする人」と「自分の話をしようとする人」
かつての私は後者だった。
誰かに自分の苦しみや頑張りをわかってほしい。すごいと思われたかった。自分に自信がなく、評価を気にしていたから。
今は、すごくてもすごくなくても、どちらでもいいやと感じる。
結局他人は好きなように評価するし、気にしたところでキリがない。
一生懸命話したところで、そこまで他人に興味がない人がほとんど。
“自分が自分をどう捉えているか” “何を思い何を見ているのか”が一番大切。
他人に全てをわかってもらう必要はない。自分が自分に目を向け、どんな自分でも肯定できていることの方がはるかに重要。
そんなわけで、「わかってほしい」が強すぎた自分を手放すことができた。
少しずつ重荷が外れていく感覚が心地良かったりする。
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