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【気まぐれつぶやきep.1】〜大学生の視点から考えてみるカストロの言葉〜


こんばんは〜きむちです!🌻

大学4年生にもなると卒業要件を満たすための時間割を組む必要がなくなって、純粋に面白そうな講義だけを取捨選択していくことができるようになりました!(3年生の冬の時点で、卒業要件を満たすことができたからなんです笑)

4年生は自分の好きなこと、やりたいこと、興味の惹かれることだったりに貪欲に向き合っていける1年にしたいと思っていて、勉強に関してもそうでありたいと思っています!

今回のトピックテーマは、今期履修している授業で聞いて印象に残っている言葉についてです!

今学期もいくつか面白い講義をとっていて、その中にラテンアメリカについて取り扱っているものがあります🇨🇺

その講義ではよくラテンアメリカの冷戦時代を背景とした映画を映像資料として見るんですが、「低開発の記憶 メモリアス」という映画を資料として扱った回がありました。

「低開発の記憶 メモリアス」は1968年に公開されたキューバ映画です。この映画はエドムンド・デスノエスの小説を元にしており、監督・脚本はトマス・グティエレス・アレアという方です。

キューバ革命成立直後のキューバを舞台に、西欧の文化や開発に憧れを抱くキューバ人男性と、変わりゆく首都ハバナの様子が描かれた1本です。


そもそもキューバ革命ってどんな革命だったけ、、?

と思う方も多いですよね!

キューバ革命とは、カストロゲバラが中心となって当時の親米政権を倒し、社会主義改革を行った一連の流れのことをいいます。
冷戦の真っ只中、ラテンアメリカで最初に成功した社会主義革命だったこともあって、資本主義国であるアメリカに大きな脅威を与え、後にキューバ危機として、アメリカとソ連間の緊張が高まっていきます。

私は高校生の頃、世界史が好きだったのでよく勉強していましたが、やっぱり長いこと知識を放置するとゴッソリ忘れてしまうものですね、、🥲笑

そういった激動の時代を舞台としたこの映画の中で、私が印象深いと感じたのは

カストロの「遭遇した時代を生き抜くのだ

という言葉でした。

本映画は、架空の主人公の物語と実際の当時の資料映像が交互に映し出されるような構成になっています。

この言葉は本編の終盤あたりで流されたカストロの実際のスピーチ映像のサブタイトルとして表示されました。
(元の言語が英語ではなくニュアンスが分からないため、意訳の可能性もありますが、、)

さて、この言葉がなぜ印象に残ったかというと
私たちが生きているこの時代を ''ただ遭遇した'' ものとして捉える価値観が、非常に斬新で知的に感じたからです。

遭遇という単語は、不意に出会うこと・偶然めぐりあうことなど、偶発的な意味合いが強いです。

キューバ革命の主導的立場であったカストロは独裁者としての評価がある一方で、私利私欲に安易に振り回されない強固な信念の持ち主として伝えられることもあります。

というのも、最高指導者の地位に就いて以降も、
他の社会主義政権の最高指導者に見られるような彼自身の巨大な肖像写真や銅像を一切作っていないといったエピソードもあるようです。

スペイン系の移民としてキューバに生まれたカストロは、大学では法律を学び卒業後は弁護士として活動しながら、国を枯渇させた当時のバティスタ独裁政権に抱いていた不満を武装闘争という形で革命に繋げました。

彼が生きた当時のキューバ、及び世界情勢は、現代のそれよりも極めて波乱の多いものでした。
(もし私が第3次世界大戦が起こるか起こらないかの瀬戸際を生きていたと考えるとヒヤッとしますね、、)

そんな時代の中で革命を成功させ一党体制を築き上げてなお、私欲に溺れず成すべきことに取り組んだ彼は、視野を狭めることなく自身の置かれた環境を客観的に俯瞰する能力に長けていたのではないでしょうか?

そういった彼の知的な一面は、
「遭遇した時代を生き抜く」という言葉に非常に現われていると感じます。

数多くの時代の中から ''たまたま'' その時代に生まれ落ちたのだから、その中で何が出来るかを考え、精一杯生きる他にないという彼の思いは、現代を生きる私達にとっても参考にできるものだと思います。

瞬く間に世界を脅かした新型コロナウイルスや、いまや長期化が危ぶまれるウクライナ侵攻、物価上昇による生活の圧迫など、近年様々な出来事が起こっています。

私個人の経験でいうと、コロナウイルスと同時に大学生活が始まったこともあって、入学式や新歓祭、大教室での対面講義や初めて会う同期との交流などが一切出来ませんでした。

学校に行きたくても家に篭もるしかできなかった当時は、思い描いていた学生生活のスタートとはかけ離れすぎている実態に失望することもよくありました。

なぜ自分たちの世代だけ、、コロナ前の学生が羨ましい、、など別の世代と比較して卑屈になることもありました。

でも、いくら卑屈になっても現状が変わるわけではないんですよね。

私たちが遭遇したのは数ある中でもこの時代だったんだから、鬱憤を抱えながらでも生き抜くしかないんです。

諦めにも似たような発想の転換ですが、この考え方を取り入れることで、狭くなりがちな視野を広く保ったまま、自分の置かれた状況を俯瞰することができるんです。

周りを見る余裕が無いほどに忙しい現代人にとって、視野を広く保つための手助けになる考え方になるのではないでしょうか?


カストロの言葉は、私の価値観に新たな視点を与えてくれました。
思ってもみなかった角度から、こうした気づきを得れるところが大学での学びの面白さです🌸

皆さんにも私が感じたことが上手く伝わっていればいいなと願いながら、この辺りで締めさせてもらいます!

最後まで読んでいただきありがとうございます!

きむち


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