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川柳諸島がらぱごす2022年春号より、おしゃべりパートです!

 つづきましてこちら、おしゃべりパートです。
 ながいです。この子らどんだけしゃべっとんねんくらいながい。
 でもどこか、一点でもおもしろがっていただければ幸いです。お時間お気持ちよろしいときに、どうぞ。見出しつけてますので……。


「川柳諸島に星の降る夜、の巻」


西脇祥貴(以下、西脇) Benvenuti! 川柳諸島がらぱごすです!

城崎ララ(以下、城崎) がらぱごす春号のお届けとなります。よろしくお願いします! そしてなんと、ゲスト回です〜!

西脇 まだvol.1なのに!

嘔吐彗星(以下、彗星) お招きいただきありがとうございます。よろしくお願いします。

城崎 こちらこそご参加ありがとうございます! ということで、第一回のゲストは嘔吐彗星さんです。よろしくお願いします!

西脇 わーい!!! もうさっそくすごい方であがります。ハオハオ~❣️

彗星 (ハードルが)あがってます笑 準備号からすごい反響で、春号に期待を寄せていたみなさんは拍子抜けされてるかと思います。なんで呼ばれたのって……僕もわからないんですよ。

城崎 ファンです(うちわを振りながら)! 嘔吐彗星さんは、こんとん句会*1でご一緒したのが最初だと思うのですが、その時から句に詠まれる対象や、句の雰囲気がとても好きで、ぜひお話聞きたいなと思っておりまして……。

彗星 こんとんでしたね。城崎さんがツイッターで僕の句に触れてくれていたのを読んで、投句してよかったと思いました。じつはその前にも、海馬万句合*2でお二人の作品を拝見して印象に残っていたんです。

西脇 海馬万句合から見てくださってたんですね(うちわを振りながら)!

城崎 嬉しいです~! 海馬さんの万句合、私にとって初めての句会でした。

彗星 なのでこうしてお話できるのは楽しみで。どこからはじめましょうか……。

西脇 まずはやっぱり、お名前の由来から……。

彗星 名前は、実在するNASAの航空機から取っています。

城崎 実在の航空機……!

西脇 言われてみれば、聞いたことあるかも。。。

彗星 宇宙飛行士が無重力状態の訓練をするために乗るんですが、その酔いやすさからこの愛称になったそうです。初めて文字列を目にしたとき電撃が走って……元の名前と一部音が重なっているのも気に入って、筆名にしました。

城崎 びっくりです、すごい。嘔吐と彗星の取り合せのインパクトがすごいな。と思っていたのですが、お話を伺うと納得です。愛称なのがすてきですね。

西脇 採用の経緯からねじれた感じですね、嘔吐と彗星って! このおしゃべり、略称を頭に付けるんですが、一瞬だけ悩んで、彗星にしました笑

彗星 嘔吐/嘔吐彗星と呼ばれることはありましたが、彗星と呼ばれるのはなにげに初めてで、新鮮でした笑 川柳を作ること、「吐く」とも言うんですよね……。あとで知って、伏線だったんだなと思いました。

西脇 一応嘔吐、も考えたんですけど、嘔吐、嘔吐、って続くとなんか参加者が一回一回もどしてるみたいに見えるかなと思って笑 それはそれでおもしろいんですけど!

城崎 ……よろしければ、川柳の作り方を、お尋ねしたいです……!
 こんとん句会の嘔吐彗星さんの花言葉の句(「花言葉「あるわけないでしょ」それにする」)、すごく好きで……。ビー面句会一月号*3の「夢の国では足拭きマットになるしかない」の句も、対象の取り合せがとても魅力的でした。扱われる対象、モチーフはどのように選んでいらっしゃるのかなど、諸々気になっています……(両手にうちわ)。

彗星 (おいしい酢飯になりました🍚)川柳の作り方はまだまだ模索中ですが、対象は物や場所や現象を選びがちです。傾向としてあまり人が映らないというか、間接的な気配にとどまるというか……。
 挙げてもらった二句に関して考えてみると、「花言葉」や「夢の国」は甘さのある名詞です。甘さって無防備さのことも表しますよね。花屋は花言葉を、夢の国は夢を商用利用している……イノセンスはビジネスになる。言葉のイメージと現実の文脈とのあいだに、こんな風なねじれた間隙を見つけると、入りたくなります。

城崎 (酢めしになっちゃった……ちらし寿司の具が待たれます)まさにその甘さのある名詞に惹かれて読んでしまうところがあるので、勉強になります。名詞から受けたイメージをそのまま受け取って詩にしがちなのが個人的な反省点ですね……。

彗星 たしかに、城崎さんの語の選択には愛着を感じます。川柳どうぶつえん準備号*4に掲載された「月だったものがひかっている難波」は、「難波」の字面から海を呼び起こすあたり、イメージで成功していますよね。句跨りで波立ち感が出ていたり、「月だったもの」の捉え方も巧いのにひと息で生まれたような臨場感があります。

城崎 ありがとうございます、難波の句丁寧に読んでいただいて嬉しいです! 視覚的に見えたらいいなと思って作った句だったので、海のイメージが出ていたらよかったです。
 ことばのイメージと現実の文脈のねじれた間隙、例えば花言葉の句なら、花言葉なんてあるわけないでしょ、と言っているような花を選ぶ、というのが作意になるということで合っていますか? ただ、その作意に限らない読みが着地する可能性として緩衝地点は広めに取ってある、ということでしょうか。読みがどのように展開するか、その可能性を川柳の軽みが担保しているということ?

彗星 花言葉の句は、二段階の作意でできてるかと思います。花自身に花言葉を否定させるのが一段階目。「人が勝手に作り上げたイメージを押し付けないでよ」という態度の、花の反逆児を想定しています。その応答を聞いて「それにする」と選んでいる側はなんなのか、考えさせるのが二段階目。花の独立性を肯定しているとも取れるけど、反逆自体を再び花言葉に回収する暴力とも読める。

城崎 花言葉を否定する花自身の反逆児の存在を見せて、さらにそれを知ったうえで反逆児を選ぶ何者かが現れるということですね。後者で現れる何者かはあえてその反逆児を選ぶことで、その花に反逆という意味を見出している。わー! 

彗星 わりとジレンマで諧謔をめざした句……だったんですが、城崎さんは相聞として読まれていました。驚きましたが、十分に妥当性のある読みで、誤読ではないと思いました。

城崎 花言葉とともに売られる花を脱しきれないジレンマの句ですね……! ありがとうございます、ようやく理解の追いついた感動があります。
 こうして作意を伺うと、自分が読んだ時とはまるで違う句のようで。伺って印象の変わる面もありましたが、やっぱり「あるわけないでしょ」を笑い声とともに読んでしまえる可能性を感じています。素敵ですね。

彗星 まるで異なる反応の読みが二物衝突……までいかずとも、接触する可能性が開けてたらいいなと。軽みをうまく働かせることができれば、読み同士の反撥を適度にまぜっ返せると思うんですよね。緩衝地帯を広めに取っておいてどう着地できるか、川柳の軽みを頼りに探っています。

西脇 花言葉の句、ぼくも城崎さんと同じ読み方したんですよ。たぶん、花言葉「あるわけないでしょ」、までをひとつと取ったのかも。例えば「花言葉」「あるわけないでしょ」「それにする」みたいに、それぞれが「」に入っていたら、彗星さんのねらいで読めたのかな。勝手にいじって済みません……m(_ _)m でも、どちらかに固定されないこの幅が緩衝地帯。まぜっ返す、すでに穿ちのこころが含まれてる気がします笑 

彗星 まぜっ返すは自分でも言ってからどうかと思いました笑 やわらげる……にしましょう笑
 僕は地が暗めの穿ち気質に偏っているので、それが悪い手癖で出るとドヤ感が噴出してしまいます。なので穿ちの作意は抑えて、むしろ不足しているほうのおかしみや、軽みに作意を注ぎ込んだほうがいいんです。灰汁を抜いてヌケ感を得るには、「甘さのある名詞」で試行するのが理想的だったんじゃないでしょうか。

城崎 地が暗めの〜と伺うと意外な気持ちですが、軽みに作意を注いだ方が〜という部分になんだか納得してしまっています。まさに私はその作意に魅力を感じて嘔吐彗星さんの句に惹かれているので……。「夢の国では~」「花言葉〜」「NASAから〜」と夢と浪漫に溢れていて。そこから作意も含めて、いろんな読みを取れるように読み方を磨いていきたいです。ワー楽しい! ここまで自己分析して句になるところへ持っていっておられること、本当にすごいなと思います。

彗星 ……質問をいただいたおかげで、かなり自己分析的になっています。とっ散らかった部屋の片付けに付き合ってもらっているみたいで、申し訳なくなってきましたが……。川柳の三要素*5とか、このあいだ知ったばかりですしね……。
 花言葉の句について、コメントをいただいているうちに冷静になってきました。これ、思ってた以上 「花言葉」の持つエモい文脈に引っ張られますね。まずは関係性で読むよなぁ、読ませてるよなぁと……。お二人のおかげでやっと客観的に読み直せました。ありがとうございます……(深々)!

西脇 花言葉を調べるとき、花言葉「〇〇」って表記のしかたをよく見るせいもあるかもですね。こっちも勝手にそれを引いてきちゃってるかも、おもしろいですねえ……。こちらこそ楽しませていただいてます(*^-^*)

城崎 こちらこそ、初手から怒涛の質問詰めで申し訳ないです……、聞きたいことを聞かせていただいたうえ、自作解説までしていただいてしまい……。嬉しくてにこにこしています。すみません……。しかしお話していただいて、私も自身の読みの癖に気付けたので、本当にありがたいです。

彗星 自分の川柳についてこんなに語るのも、聞いてもらえるのもなかなかない機会なので……。恥ずかしくて漏れ出ないように気を付けてますが、いま結構幸せを感じてて、平均より元気です。僕ももっと川柳読めるようになりたいです。

西脇 川柳やる人を元気にするがらぱごす……。効能が出てまいりましたね。これは今後ひとを誘いやすくなりました、ありがとうございますm(_ _)m笑 ぼくも読めるようになりたいですー! たのしい×たのしいが広がっていけばいいのにって、ほんとに思います。勉強勉強……。

 

「新しいものと出会うのは勿論たいへんな喜びですけど、身近なものが化けてくれた時の喜びもまたひとしおですよね」


西脇 ところで、 「人が映らない」に向かう感じ。彗星さんの句に照らして、ああーってなりました。軽みへの特化もすごくよく分かる、自分はどうしても言いたいこと吐き出し系で句を作りがちなので、彗星さんの軽やかさはいい意味でべたべたしていなくて、かえって謎でした。どうやって肉抜きしてるのかなあって……。 もしよければ具体的に、句作の内訳を伺いたいです。

彗星 自分は句のヴィジュアルが浮かんでも、作ってみると物足りないと川柳から言われてる気がして、そういうときは操作を加えます。でも盛り過ぎると引かれて、また削って……加減が難しいですね。

城崎 イメージをことばに起こして川柳にすると、川柳のほうから物足りないって言われるような気がするってことなんですね。盛ったり削ったり……、私もよく川柳と頭を突き合わせています……。

西脇 川柳から物足りないって言われる時というのは、ことばがヴィジュアルに対してもの足りない、ということですか?

彗星 ことばがヴィジュアルを十分再現できていたとしても物足りないって言われるので、「もうひと捻りほしい」ってことなんでしょうね。笑いや理、ナンセンスさやパンチを求められている感じです。なので具体的な操作としては、見た目や音で工夫する、そこから生じる意味のズレがあったら利用できるか試す。名詞、助詞、言い回し、語順を変えてみる。いくつかねじれ方を並べて、ピンとくるものがあったら採る……、といったところでしょうか。

城崎 わかった気がします! こんとん句会に向けて作っていた句のなかでいくつかそういった操作をした覚えがあるので……。助詞や名詞をずらすだけでも、随分見え方が違ってきますね。

西脇 もう一捻りか……。あー、助詞とか表記を組み替えるの、ぼくもやりますー。助詞がわりとむちゃくちゃでも、その方が広がりを確保できることとかもありますよね。頭ん中でがしゃがしゃやって、とりあえず納得したら一旦書きだして、でも数日経ってみたらあー、ってなって、また触る笑 

彗星 ヴィジュアルのみではちょっと物足りないかなという句も、連作に入れるとよかったりするので取っておきますが、句会ではあまり手応えがないかもしれません。まだ場数を踏んでないので、はっきりとは言えませんが……。

西脇 並びの中で、前句と後の句に支えられて光り方が変わって見えること、ありますね。逆もまた然りで。どうしたからこうなった、って言えないのがもどかしいですが笑
 しかしもう一捻りの元が、笑い・理・ナンセンス・パンチであること、案外重要かも知れません。

彗星 基本的には、作るとなると、レイヤーを重ねないと落ち着かないというか。ひと粒で二度も三度もおいしいように作りたくなります、貧乏性で。同時に僕は文化資本に乏しいので、あまり造詣を必要とするもの、元ネタのあるところには依存できない……。身近な言葉をどれだけ異化できるか、好きなだけ試させてくれるので川柳にはまったんだと思います。

城崎 一粒で二度三度美味しい川柳、メチャメチャ素敵です。
 なんとなく思ったのですが、嘔吐彗星さんのように身近なものを熱心に取り扱ってくれる川柳だから、愛着をもって見る姿勢になるのかもな〜と思いました。ためつすがめつ見ようとしてくれていることへの嬉しさというか。新しいものと出会うのは勿論たいへんな喜びですけど、身近なものが化けてくれた時の喜びもまたひとしおですよね。

西脇 重ねているのにそう見えないのが、彗星さんの句のふしぎなところです……。シュッとしてる、というやつでしょうか笑
 ぼくも身近なものを化けさせたい派です! 新語っぽいことをするにしても、身近な語の組み合わせから行きたいです。読んでもらいたいって欲もありますし、実際他の方の句で頭に残っている句にも、文化資本を振り回している句はそう多くない気がします。極端な話、川合大祐さん*6がおっしゃられていた*7ように、出てきた固有名詞を知らなくても、その語感のみで想像を膨らまさせる、っていうことばの据え方が許されるのは、川柳ならではなのかもですね。

彗星 自分ではドライで冷たい川柳を作りがちだと思っていたので、愛着を持って見てもらえるというのはありがたいです。身近なものって見れば見るほど当たり前じゃなくなってきたりしますね……。シュッとしてるというのも、読みの回路は重ねつつ、見え方としては削いでいたのか、という気付きがありました。
 固有名詞を語感のみで捉える面白さ、川柳で広く共有されている印象あります。元ネタの消費に収まらない昇華を目指す気概も感じますね。そこも書き手と読み手、双方の信頼感が成り立たせる領域のような気がします。西脇さんの「中島みゆき」縛りの川柳*8からは、深淵を凝視し続けるようなこわさを感じます。

西脇 逆を求めたがる癖があるかも知れません。ドライな句からは熱を、人なつっこい句からはその裏の冷静さを。でも今までだいたいそうして読み取れてきたから(と、思ってるんですが)、川柳ってやっぱり多義なのかも。彗星さんの句は、見せ方の研ぎ澄ませっぷりがいつもためいきものです……。同じことしようとしても、ぼくならもっとしゃべっちゃいます! 書き手も読み手も、消費ですますもんか、という。固有名詞自身の私、みたいなものにも、違和感をもって接しようとしているみたいですね。あ、一般名詞に対してもそうか。
 みゆきさん句は、みゆきさんを柱にあらゆる品詞をぶん回したい、といういたってみゆきさん頼みな実験です笑 どうぶん回しても、みゆきさんがぶっ刺さっていてくれるとなぜか落ち着くこの不思議。やってみるとわかりますよ! あ、いつかがらぱごすで、みゆきさん川柳大会やろうかな。「中島みゆき」読み込み必須笑

城崎 西脇さんの句の玄人感については、一度掘り下げたいところでもあるんですが……。いつかがらぱごすでやりましょうね……! もちろんみゆきさん大会もいいですけど笑。
 中島みゆきさんの句、私は本当に音楽に疎くて中島みゆきさんの曲も存じ上げないのですが、たしかに特定の個人という個体を軸にした実験的な回転を楽しんで読めている部分があります。

 

「意識しないでも心根のわずかな変化が反映されやすいのが川柳、ってことなのかも。それだったらそれでコワいですね笑」

 

西脇 しかし穿ちの作意でうまく受けとめられるの、むずかしそうですよね。ぱっと渡辺隆夫さん*9や石田柊馬さん*10が浮かびますけど、詩的鍛錬×人生経験が唸りを上げるようにならないと、穿っていてもドヤに陥らない川柳は作れないのかも、とさえ思います……。ここらへんが技術の部分なんでしょうか。

彗星 そうですね、穿ちで嫌味にならずにすっと刺し込むのってむずかしい……。『はじめまして現代川柳』*11で読んだ印象になりますが、渡辺さんや石田さんの穿ちは、おかしみの切れとともにある感じがしました。風船を割るような、攻撃性のある笑いというか。

西脇 古川柳まで戻ると、穿ちもおかしさの一分野のように思えます。生活のなかの描写ならなおさら、社会のことを読み込むと「よく言った!」みたいなすっきりする気分もある。しかし鶴彬さん*12の穿ちまで行くと武器にもなってくるし、武器でありながら軽みが満ち満ちてるのが鶴さん(鶴さんて)のすごみだと思うんですけど、それもよーく見ると、蜘蛛の糸みたいに細くはあっても、おかしさにつながろうとしているのかな。

城崎 深くなってきた……、とちょっと目を閉じている城崎です。
 穿ち、軽み、おかしみについてなんですが、私はまだこの穿ちの感覚が捉えきれていない気がして。斜に構えるみたいな感覚であってますか? ドヤ感が強くなるとかえっておかしみに入るんじゃないかなと思うんですが、合ってます……? 先程挙げられていた渡辺隆夫さんの句「切れとはぷっつんぞなもし」を私は穿ち強めに読んでいるのですが、お二人はどうでしょう?

西脇 ぼくも目を閉じましょう……、いかん寝そう。
 穿つときの視点が関係ある気もします。雑に言えば、高い位置から穿てばそりゃなんとでも言えるでしょ、ってなるし(ドヤ感が強くなる)、それを反転させて使えば、城崎さんの言われたみたいにおかしみにつなげられる(ひねた読み方かも知れません……)。で、低いというと言い方があれですけど、なんと言いますか、穿つべき現場から穿ちに行くと、ことばの重みが違ってくるので、知覚する順番が逆になる感じがします。ぱっと見おかしい、けどよくよく読むと、重たく刺し貫かれてんぞ、みたいに。「切れとはぷっつんぞなもし」は、そんな句かなあとぼくは思いました。ぷっつん、とかぞなもし、とかぱっと見何言うてんの、ってなりますけど、切れについて実は真剣な議論があって、とかがわかってくると、そのうえでこれを言う凄みがわかってくるというか。同じ渡辺さんの句「天皇家に差し出す良質の生殖器」も、二回目くらいまではただ笑って読みますけど、三回目から、笑いの出てくる底が違ってくる体感があります。これ笑うのか、いや、笑うんだ、と思って笑う、あー、伝わりにくくなってる自覚が、すみません……m(_ _)m

彗星 なるほど……いまの西脇さんの読みのあとでは言うべきことが残されていないなと思いながら聞いてました笑
 僕は「ぞなもし」をリアルで聞いたことがなくて、ニュアンスを掴み切れてないところはあるんですが、穿ちの句だと思いました。西脇さんの言われた、高ささえあればなんでも穿てるけど重みが違ってくるというのは、たしかにそうだなぁと。この句は本質的なところを突きに行ってるけど、ぞなもしって問いかけなんですよね。断言していないし、脱力感のある音だからガードを解いてしまう。けど、そう、じつは刺し貫かれてる。天皇家のほうの句も、刺されたときにはその深さが測れない。刺さっているのは文脈なのかも。笑うんだと思って笑う、読者に共犯関係を誘いかけている句でもありますね。
 こうやってドヤに陥らない穿ちを見ていくと、詩的鍛錬って、やっぱり川柳にもあるんでしょうか。先述の『ねむらない樹』で暮田さんが書かれていた「川柳は上達するのか?」という短文*13が印象深くて。短歌や俳句と比べて川柳には上達の鍵というものが存在しない、というお話でした。かっこよかったので信じました笑 でも作り続けてみると推敲してよくなる感触もあったりして、どうなんだろうなと……。短歌と比べて、拘束感がないのは確かなんですが。

西脇 上達、鍵とかコツはない気がするんですけど、上達ということばをあてがうことが出来ないだけで、なにがしか変化していくことはあるんじゃないか、って思いませんか?
 ぼく、中村冨二*14さんの『千句集』*15をひじょーにのろのろ書き写してるんですが、年代順に掲載されているおかげで、なにか違ってくるのがわかるんです。幹になっている意識とかことばを選ぶセンスとかはぶれないんですけど、出し方とか言い方に絶対変わった! ってときがある。意識しないでも心根のわずかな変化が反映されやすいのが川柳、ってことなのかも。それだったらそれでコワいですね笑 川柳としての上達・洗練、というより、単純に文体の洗練だとしたら、文体=人、と言えなくもなさそうです。

城崎 「川柳は上達するのか?」すごく好きで私も信じてます笑。詩的鍛錬なのかはわかりませんが、川柳を読んでいく過程で様々な表記や形態に出会うと、世界が広がっていくような気がしますね。人生経験はどうなのかなあ、ただ色んな視点の人々と寄り合っていくことで、自分の中にレパートリーが増えて面白くなるんじゃないかなと思います。

彗星 なるほど、出し方。たしかにベスト盤とか全集とか眺めると、軸は同じでも出し方変わったっていうのありますよね。無意識が反映されるのはこわいけど、やっぱりそこを見たくて書いてるところありますよね。ああ、視点のレパートリーを増やすと言われると、鍛錬や上達よりも抵抗が少ないです。なんでだろう……、根本は同じことのような気がするのに。はじめたばかりだからですかね。人生経験が唸りを上げる、というのは、人格が成熟して物事にたいする解像度が上がる……、というようなことでしょうか?

西脇 ああそうですそうです、解像度、レパートリー! 分析ありがとうございます笑 想像力ですよね。色んな視点から物事を見られて、しかも解像度が上がれば、把握の精度も変わる、持つ感情も変わる。すると自然、ことばの選択や言い切るべきポイントの選定にも変化が出てきて、前は言いきれなかったようなするどさを持ち合わせられたり、その中にスムースにおかしみを添わせることもできるようになる。中村冨二さんの句で一番好きな「サーテ、諸君 胃のない猿に雪がふるよ」を、たとえばでさえおそれおおいですが、今のぼくがゼロから作れたとしても、中村冨二さんの「サーテ、諸君~」とはまったく違う浮ついたものに見えると思うんです。変なたとえかなあ。とにかく差は、なにがしかあると思うんです。

彗星 具体的に言われてみると納得です。中村さんの句を読ませている差は、想像力にあるということですね。
 経験が詩作に影響することを思うと、自分が続けた先の差違もまた見たくなります。鋭くなるのか、惚けるのか笑 穿ちでもう一句挙げたいのが、石部明さんの「国境は切手二枚で封鎖せよ」で、これは思いっきりキメ顔ですよね。ここまで来ると突き抜けた爽快感があります。大見得がキレキレ。

西脇 石部さんの切手二枚、そうか、穿ちだったのか……! 今うろこが落ちました。詩性に振った句だと思ってましたが、国境封鎖って、まさに穿ってますね……! これはおかしさにずれていかないです、決まってます。おかしい→すごみの流れに近いですが、詩性→すごみ、みたいになるのかなあ。勝手なイメージですが石部さんの切り方って、無刀流の切り方みたいだ、と思ってます。。。

  

「いい意味で明後日の方を向くような勢いがあって、一見読者を置き去りにしているようにも見えるけど、それはむしろ読者の潜在的な知性や感性をとても信頼している証に思えます」

 

彗星 僕もそうなのですが、お二人とも短歌も作られているそうなので聞いてみたいのですが、歌人の川柳ってどこかこう、サービス精神を感じませんか? 川柳専門の人の中には、腰を据えて読み手を試すくらいの構えがあるような気がして……。あくまで始めたばかりで、読み比べてみてなんとなくの印象なのですが。

城崎 歌人の川柳! すっごく好きなんですよ。サービス精神、ウェルカム感と同義ですかね? わかりやすさと安直に言ってはいけないと思うのですが、魅力的な句と出会うことが多いです。これも私の受け取り方によるのかも知れないのですが。
 個人的に正岡豊さん*16の川柳&短歌がとても好きで、初めて出会った川柳のひとつでもあります。私が川柳と出会ったのが短歌ムック『ねむらない樹 vol.6』の現代川柳特集*17の場だったので、ずっと現代川柳の側からドアを開けてくれている感じはしています。初見で何だこれ〜!?という驚きや目新しさはあっても、決して怯んでしまうような、そういうこわさは感じなかったので……。

彗星 ウェルカム感、読み手に届ける意識なんですかね。正岡さんの「アルブミンロイシンバリン薔薇器官」の句とか、特盛感があるけど名詞のみで脈絡がないぶんあっさりしていて、かつ音も見た目も洒落ています。パフェみたい。そう、驚くんだけどわかる、それは詩語の共有もあると思いますが、言葉のからくりで面白がれるところも大きいのかなと。秩序と無秩序の淵を狙ってくるというか……。
 ぼくがリスペクトしている歌人、我妻俊樹さん*18の川柳だと「最近のアメリカ人はCGだ」(ネットプリント『ウマとヒマワリ』12 「ミッドセンチュリー」)とか……。飛躍した論理と奇妙な納得感とが反響しあって、すごくツボを押されるんですよね。

城崎 パフェ感!あります、とても。なんだろうな、見た目から楽しませにきてくれているというところも、まさに……。
 言葉のからくりを面白がる、すごくそうだな〜と思っています。推し歌人の木下龍也さん*19の短歌にはかなり創意工夫というのかな、自由度が高い短歌があって、川柳でいえば川合大祐さんと通じるところがあるんじゃないかなと感じています。
 「最近のアメリカ人はCGだ」、かなり妙な納得感があり、こういう絶対そうじゃないけど頷きたくなる、みたいなのすごく面白いですね。絶妙な共感域。

彗星 木下龍也さんの短歌、「二階堂ふみと四階堂ふみふみと六階堂ふみふみふみ」を思い出しました。いま読み返すとこの歌、川柳にも見えてきますね。たしかに、発想の自由さと固有名詞使いという点でも川合さんと通じる部分がありそうです。

西脇 ふみふみふみ、二階堂とふみの回数の規則性がはっきりしているので、たとえ二階堂ふみさんを知らなくても、読めた気にならせてくれるのがすごいですね! しかも理屈とか意味よりも、笑いを多めに置いてってくれるのがまたいとおしいです。木下さんの短歌の中ではおそらく代表として取り上げられにくい、というか取り上げるにはあまりにスピードがありすぎるお歌なんでしょうけど、これぞTutti Frutti*20ですね。
 ところでぼく、『はじめまして現代川柳』でばっちり柳人の方々の川柳から浴びたもので、歌人の方の川柳があまり区別付けられてないかもです……。『はじめまして~』だと柳本々々さん*21が短歌もされてますね。柳本さんの川柳はひらがなに開かれているのが多かったり、寓話・童話のようなモチーフを使われていて読み手にやさしいです。
 短歌に比べて、全体にサービス精神が大事な文芸なんだな、という印象でした。笑かしに来てくれると言いますか。初期の川柳が社交的な文芸=身近な集団の反応を前提にした文芸だから、というのが根っこにあるのかもですね。

彗星 たしかに、川柳の笑いもサービスですよね。詩性も、読みの土壌があるところに働きかけることを思えばサービスですね……。
 歌人の川柳とどこに差を感じたのか……、もう少し考えてみると、特にポスト現代川柳の作品から受けた印象と比較していた気がします。既存の読解に収まらない、いい意味で明後日の方を向くような勢いがあって、一見読者を置き去りにしているようにも見えるけど、それはむしろ読者の潜在的な知性や感性をとても信頼している証に思えます。そういうところも含めて、暮田真名さんの川柳が好き過ぎるんですよね。

西脇 韻律の工夫のしかたが、なんか他の短詩型より、ビートがある感じがしませんか? もちろん他の形式でもあるんですけど、十七音内でなにやってもいい、っていう共通理解からなのか、ビートの色合いが豊富な気がするんです。見た目、表記のバリエーションも、より豊富な気がして。豊富、っていうと違うのかな。でも禁じ手のない空気が、豊富にさせてるのはあると思うんです。そうやってパフェの中身をもりもりにして、でも器は十七音ですっきりと。
 そうそう、ふつうこのことばの並びだと怯むぞ、っていうのが結構あるのに、それより先にわかる・面白がるが来ちゃう。小池正博さん*22の「都合よく転校生は蟻まみれ」だって、ほんとならは? って遠ざけちゃいそうなんですけど、上・中・下に分けたら分からないことがない、くやしいんですけど笑 それで読めちゃう。掘り下げの余地はともかく、とりあえず一回読めちゃう。この句切れごとへの気遣いみたいなことも、他にあまり見ないのかも知れません。秩序と無秩序、ってきっといいところを突いていて、そのさじ加減で作者ごとの色が出てくるのかも。あー、だからぼく榊陽子さん*23大好きなんだ、榊さん、秩序立てて入ったと思ったら、無秩序に突き落してくださる句が多いので笑 我妻さんもまさに、秩序と無秩序の間の皮膜を撫でるのが絶妙だなあ、と思います。論理の飛躍だけならどんだけでもできるけど、納得感を確保してしかも邪魔させないのは技、ですよねえ……。

城崎 西脇さんの川柳が笑かしにきてくれてるっていうの、もう私は感覚の話になってしまうんですが、『はじめまして現代川柳』を読んだとき、ものすごく楽しかったんですよね。どのページの川柳も読めば読むだけ楽しくて、面白くて、すっごい楽しい思いがして。渡辺隆夫さんは私も大好きで、「切れとはぷっつんぞなもし」は声に出して読みたい大賞だと思っています。ぷっつんぞなもし。笑かしにきてくれてる感じしますもんね、おかしみの部分かな。
 ポスト現代川柳の川柳、たしかにパッと置いていかれるような、あるいは好きにしてもオッケーみたいな感覚を受け取ることがあるんですよね。ただ、それはまさに嘔吐彗星さんの仰ったように読者の感性や、潜在的な知性への信頼からくるものだと思うのですが。私はとくに物語のように読んでしまうのが手癖なので、そういう放り出され方が大好きで。お名前があがったので便乗して、暮田真名さんの『ぺら』*24に「真っ二つになる車体感覚」という句があって、もうこれは車の気持ちになればいいのか、読み手が真っ二つになるような何か大きな感覚を受けたのか、どう読んでいいのかしらと一旦胸の中に持ち帰って、それからゆっくり解いて読む……みたいなことをしたんですよね。自分の持っている感性や、体験、あるいは想像力などを総動員して、自由に読んでいいんじゃないかなあという気がするんです。こういうところすごく好きなんですが、現代川柳の読み方って句会の評などを拝見していても、かなり自由な印象を受けます。

西脇 『はじめまして現代川柳』って、章立てもすごく狙ってますよね。石田柊馬さんや石部明さんといった方々の世代から始めて、いったんさらに遡り川上日車*25さん、中村冨二さんたちの流れをさらってから、ポスト現代川柳に突入する。順に読んでいくと、三章でほんまに突入、って感じがします。衝突、って言ってもいいかも笑 それまでの川柳にちらちら見えていた意義とか踏み込みみたいなものが、まったくすぱーん、とひっくり返される印象です。だからって意義を捨てているわけじゃもちろん無くて、そう、まさに、明後日ですよね笑 出てくる人出てくる人まったく違う方を見ていて、しかもそれが全部それぞれの方向に煮詰められている、という。十七音に凝縮されていてより濃いから、それが分かりやすいのかな。
 城崎さんの「物語のように読んでしまう」、ものすごく分かって、あーだからお互い特選になったりするのか、と今分かりました笑 じつは『はじめまして現代川柳』以前に暮田さんの川柳は知っていたんですが、そのときは、もっと長い文章からの書き抜きみたいに見えたんです。こうやって読みを広げまくってもいい感じが、川柳だと出るのはなんなんでしょうね。同じことを俳句や短歌でもできるか、と考えると、差はあるような……。

 

「何かを川柳にする/しないという時点で既にそれを選択しない私という私性でもあるんですね」

 

彗星 沼な話題に踏み込んできました……。もうすでに、危ない橋から落ちて流されてる気分です。
 西脇さんの海馬万句合での大賞句「川を見てたらなにもかもおれだった」がリフレインしてきました。この句から受けた衝撃は今でも、川柳における私性を考えさせてくれます。

西脇 川の句、引いていただいてありがとうございますm(_ _)m せっかく私性、ってことばを出していただいたので聞いてみたいのですが、川柳を作る時の私、って、どんな感じになってますか? いつもより「いる」か、外に引いてるのか、かえって注入したりするのか……。

彗星 僕は私性のしがらみが嫌すぎて短歌から川柳に流れてきたところがあるので、川柳は私が「はじめからいないぜ!よっしゃあ」という解放感で作ってたりします笑  短歌ではまとわりついてくる私にたいして、三十一音前後の中で右往左往するというか。私を強化したり、躱したり、色々と抵抗を試みるんですけど、個人的にそれは私性が気持ち悪いもの、怖いものだからじゃないかという感覚があります。

西脇 短歌の時とはぜんぜん扱いが違いますよね。だいたい十七音までしかないから、すっと出すと私は読み取りにくくなりますし。ぼくはばりばり自分の気持ちいいリズムとかを選んでしまうし、つねに自分の発語の一環、と思ってやっている節があって、私私しすぎかなあ、って思う時があるんです。どうでしょう??

彗星 川柳に私を持ち込むとなると、十七音……。逃げ場がないですよね。袋小路でタイマン、といいますか。なので西脇さんの川の句を見たとき、異様な迫力があったんですよね。私を掘り下げていけば、そもそも私ってなんなのかという根源的な問いまで行き着く。そこでまともに直視させられる、私というものの異物感。哲学的だけど観念的でない、剥き出しの問いをぶつけられる体感があって、驚愕しました。

城崎 私性、思うところが色々あって複雑な部分もあるんですが、私も川柳は私のいない文芸だと感じて入ってきたんですよね。句の中に現れる必要がないというか。作り手がいなくてもいい/誰でもいいような感覚。ある種のドライさ。文字数も限られているので逆に属性を決めて私性の川柳をとことんやってるのがむしろサラリーマン川柳とか、シルバー川柳みたいなものなのかなあと思いました。人間だなあと感じる川柳です。

西脇 ……なんか……うっとうしいですよね、「私」笑 なんで短詩やると、私ってとたんにうっとうしくなるんでしょうね? うっとうしいものがありがたがられてるからなのかな。そもそもがうっとうしいものだからなのか……。だからある程度自身の作る姿勢ができた方は、私をなくしていく、ってよく言われるんですかね。
 でも楽しんでるのもかなしんでるのも私だし、私がいないと殺風景とか、だれでも代替可能なもの=味気ないものに感じてしまう。私性、っていうとき、知らず知らず詩をやるつもりで向かい合う私、ってのを、わざわざ切り出してるのかも、と今思いました。それが、川柳十七音だとたしかにタイマン、一本橋の上での向かい合いになるから、最低限躱す余地はなくなりますね笑

彗星 僕はそもそも一人称を使うのも避けがちなので。できうる限り自分から切り離したくて……。けど、そうすることで「切り離したがってる自分」の輪郭はむしろ浮き彫りになる。結局私から逃げ切れてはいない。

城崎 何かを川柳にする/しないという時点で既にそれを選択しない私という私性でもあるんですね。うーん逃げきれない。

西脇 そう、逃げ切れない……。川柳だって、ある句を作って出す以上、操作がある時点でそこに個人がいますもんね。でも短歌のように十七と十四の往復をせずに済む、我妻俊樹さんのおっしゃったような「通り抜けできる詩型」*26だから、川柳を作ると多少私を放れるのかも。

彗星 うっとうしいものがありがたがられるって、なんだか神みたいですね……。私性って神性なのか……、は置いておいて、なぜうっとうしくなるのか。音数の短さにたいしてハイコンテクストだから、というのはありそうです。私という存在に前提がありすぎて、短文で理解を求めると読み手にかかる圧が高まりますよね。小説なら未知の他者を描写するのにもっと文脈を可視化するスペースがあるけど、短詩にはない。だからあらかじめ重なった共感域に依存せざるをえないけど、作者も読者も他人なので当然お互いはみ出します。ベン図のイメージで、重なった部分から重なっていない部分を補完するように私性からプレッシャーをかけられる。うっとうしいけれど、応じさせられる……。

西脇 余計なお世話! って笑 ハイコンテクスト、納得です。重なった部分から、重なっていない部分へのプレッシャーかあ……。つくるときだけでなく読みも、このプレッシャーにさらされてきたとしたら、たまったもんじゃないですね。。。
 なんで「みんなに伝わること」が、こんなにマウント取り続けられるんでしょう。なんかの幻想がある気がする。あと商売のにおい。共感ありきのワンダーでも仕方ないとは思うんですけど、共感がワンダーにたかるのは胸くそ悪いですね!!! ちなみに短歌を作るときも、歌の方からこういう要請来ることってありますか?

彗星 短歌からはこういう、「共感の範囲を見極めて、うまく想像力に訴えろ」という要請が強かった気がしますが、最近は諦められたのか何も言われないですね笑

西脇 笑 そうでない短歌もたくさん出来てきて、目に触れるようになったからかもですね。
 あー、引いていただいたから余計思い出して、しかも自解で申し訳ないんですが、「川を見てたら~」の句が出来たとき、ぼく本当に川を見てたんですけど、目に入るぜんぶのもの――川の水、水の分子一個一個、それに反射する光、流れに巻かれてるもの、川底の石、砂、ごみ、川原の草、虫エトセトラエトセトラが、みんな存在することで「俺いるぜ」って主張してる気がして。それが気持ち悪い、怖い、でも事象として現に今あるな、しかもこの「俺いるぜ」ってやつ、なんか知ってるな、と思ったので、それらを強引につなげてあの句になったんです。だから、すっきりした笑 川柳じゃなきゃああならなかったのでしょうね。

城崎 川の句、伺っていくと収斂的な? 普遍的な? すごい私性をドセンに据えた句なんですね……。西脇さんの句はTwitterで拝見してるだけでも中島みゆきさんのことが好きすぎるひとだな……、という感じで既に私性の一端がバリバリに伺えるんですが、「俺いるぜ」という感覚、この俺って、西脇さん自身の実際に川を見ていたという身体を伴う感覚があります? 西脇さん自身が川と、そこにあるすべての俺! いるぜ! と主張してくるものに対するウワメッチャいる! というのと同時に、ここに向き合ってる俺自身もいる、という感じ? 句が断定で終わっているので、印象としてはそのシーンをすっぱり切り取ったような清々しさも感じます。

彗星 「目に入るぜんぶ」って目を逸らしたくなりそうなものですが、ぜんぶ受け止めてるところに極まった正気がある。圧倒的なエトセトラ、本当に”なにもかも”の実存が詠まれていたんですね……。通り抜けるを超えて、森羅万象との一体感……? 頭がショートしてきました笑

西脇 川の句、こうして読んでいただくとどんどんスピリチュアルの深みにはまりそうなんですけど笑 彗星さんの言われた実存とか、城崎さんの言われた身体を伴う感覚、というのと、いわゆる私性って、なんだか結びつかなくなってきませんか。こうしておしゃべりしている間にも、ぼく自分が使っていた「私性」という意味が、なんか違ってたんじゃないかなあ、って思えてきて……。

自意識とか我みたいのが「私性」と呼ばれる奴で、それこそ身体感覚とか実存、って呼ぶしかないのかな、もうちょっと反射的にとらえないといけないもの、そういうのはまた別にあるのかもしれません。で、ぼくはそれを当てにして川柳している。……これは私を離れているのか、どうなのか……(泥沼)。

  

「どっちもむっちゃ楽しんでると笑 倍お得!」

 

城崎 川柳、時々、ジグソーパズルのピースを貰うような気持ちになります。作り手から十七音あるいは十四音のピースをもらって、それを自由に読み解くような。本当は作り手が見ていたパズルは三千ピースとか五千ピースとかなのかも知れないけど、読み手には限られた数しか渡せないのであとは好きに読んでね、みたいな自由さ。寛大さであり、ある種の放置感。完全な理解は求めてないようなところがあって、そこが私性との距離でもあるのかなと思ったり……。
 これは以前、西脇さんに私の川柳はすごく私性の句だと感じた〜と伝えてもらった時からずっと試行錯誤している部分でもあるんですが、どうにか私性を削り取って、目だけ残せないかなと模索しているんですが。

彗星 僕は身体感覚とか実存とかがこわいのかもしれません。城崎さんの「雪肌精 鏡以外は全部割る」という句についてTwitterで自解*27を拝見したのですが、作られた経緯に実感を伴っていたそうで……。破壊願望が鮮やかな穿ちに昇華されて、とてもこわくていい句です。それは西脇さんの言われた穿ちの位置が、作者の存在の底から突き上げてきているから、読者をたじろがせる迫力になるんじゃないかと思いました。
 とともに、「私性を削り取って目だけ残す」という城崎さんの志向も頷けます。削れるだけ削る過程で、私という属性を超えたなんらかの真に迫っていくけど、普遍に溶け込まないぎりぎりのボーダーラインでとどまろうとする。目だけ残す挑戦からどんな句が生まれるのか……。一読者として目が離せません。

西脇 こわさを感じるのは、体に直結しているせいですかね? 脅威みたいに感じるのかな。川の句の連作でも、川の句以降の句は普通に読めばこわいことばっかり出てくるし。でももちろんぼくがそうしたいわけじゃなくて、出てきた以上あの通り以外に出来なかった、が本当のところで、だとすれば実存とか身体任せの発想は、本来あの通りこわいものなのか……。
 鏡以外は全部割るのもこわいですねえ。でもその迫力もきっと、心底からじゃなかったらそこまでではなかったと思います。残すのが目、というところが面白いですよね! たとえばこれが鼻、だったら、耳、だったらどうかとか、いろいろ想像がふくらみます! 城崎さんおいしいものお好きだから、舌だけ残した句も読んでみたいです。。。

城崎 見たものを題材にして架空の物語を作ることがわたしのやり方なのかな〜、と、挙げていただいた「雪肌精〜」の句を思い出していました。嘔吐彗星さんの身体感覚や実存がこわいかもしれないというのと少し似てるのですが、実存している人間のことを題材にするのが私はすごく嫌で、本当のことを扱う時も物語にしたがってしまうんですよね。ずっと現実逃避してるのかも。遊んでますね。ありがとうございます、すてきなものを作れるように頑張ります!

彗星 「本当のことを扱う時も物語にしたがってしまう」、「私性というとき、知らず知らず詩をやるつもりで向かい合う私をわざわざ切り出してる」、どちらもわかる気がします。私性を制御するために、虚構やキャラクターが必要とされてる節もありますよね。
 城崎さんが車体感覚の句を読んだプロセスが興味深くて、僕はこの句はたぶん、読み解きにかかる前に満足してしまったんですよね。自分には見えてなかった摂理が突如現れて、転ばされて笑って、コミュニケーションが完成してしまった。でもたしかに、戸惑いが読みの出発点にもなりえますね。物語的に読み取る読者にとって、放り出されるって嫌なんじゃないかと思っていましたが、ここまでお話を聞いて、認識を改めました。自由に読み解く意欲を刺激してくる、パズルピースとしての川柳。僕はお二人よりも怠惰なので、現代川柳の必ずしも物語を必要としてなさそうなところに惹かれたのかもしれません。

西脇 放り出されれば放り出されるほど、読み取りたさが刺激される、というところはあります! 川柳の原体験がそれだったから、よけいなのかな。でも彗星さんの、転ばされて笑ってコミュニケーションが完成、の快楽も分かるんですよね。たとえば評をするとき、読み取って読み取っておなかいっぱい! となる句もあれば、まさしくTutti Fruttiなのでもう技術を指摘するくらいしかやることないでーす、というのがはっきり分かれる。で、そのどっちもむっちゃ楽しんでると笑 倍お得!

城崎 最近ビー面の発表があったこともあり、いただいた評を読み返してきたんですが、彗星さんの評は本当に丁寧で、技巧や操作についても目を向けてくださっているのが印象的です。回覧板の句*28のシーンを読んでいただいたのも嬉しかった。彗星さんは怠惰とおっしゃったけど、真摯な読み手だと感じています。むしろ、私は物語的に読もうとする読み手って作り手からは嫌がられるんじゃないかなと思ってきたところがあって、好意的に受け止めていただいて安心しました。
 噛み砕かずにそのまま面白がるのもまた楽しい! それも同意です、筒井祥文さん*29の「いじわるは初音ミクちゃんやめてんか」の句はそのまま可愛い〜! と受け取ったりしています。

彗星 たしかにお二人の評を拝見して、句の世界観へ身を委ねていくような印象を受けていました。句から積極的に物語を構築できるのは、川柳から膨大なエネルギーを受け取る感度があってこそですね。お二人は川柳に傾ける熱量がすごいですからね。それに比べると、僕はまだ川柳との距離感を保とうとしてるんだと思いますが、没入しないと相対化できない領域があるんだろうなと、お話して感じ入りました。

西脇 そう見えてますか笑 ぼくはここだけの話、ねらって没入してます。どちらかというと距離を置きたがり→上から見たがりになりがちなので、そうならないようにあえて身を投げているつもりです。うわー、彗星さんが没入したら、どんな句書かれるんでしょうね……!

彗星 ああ、その動機を伺うとさらに頭が下がりますね……。僕は体力がなくてもろもろ諦めがちなんですが、そのぶんなにを省略してしまっているのか、都度自覚を持たないといけませんね。
 物語的な川柳といえば、暮田さんの「代わりにテオと暮らしてあげる」(ネットプリント・いくらか「かわいいフーリガン」)。まさに戯曲の中で転換点となる台詞を抜き出したような一句ですよね。僕のような受け身な読者にさえ、否応なくドラマを起ち上げてきます。さらっとしていて劇的で、パズルピースのチョイスが……巧いと言わざるを得ない笑

西脇 暮田さんの句、いいですねえ……。うしろにどんどん広がりを持って、分け入らせてくれる大きさ。センス、と言っちゃおしまいですが、ここにうまさがあるのは否定できない。真似できませんもん。なんなんでしょう、こういうところにはっきりとある、川柳のうまさって……? 今後の検討課題です……。

城崎 まさに劇的。今挙げていただいた暮田さんの句メッチャ好きです。だから暮田さんの句が好きなのかな……。「さざんかは燃えると知っておきなさい。」(月報こんとん3月号「帰れなかった」*30)とかも、もうくらくらしちゃいます。ショートストーリーが一本書けてしまいそう。Twitter上でワードパレットという、いくつかのキーワードからお話を作る遊びがあるんですが、それに似たことばの強度があります。
 ところで、そろそろ収束へ……、と舵を切りたいところでもあるのですが、最後にもうひとつだけ質問しても良いでしょうか。嘔吐彗星さんが普段よく目を向けているもの、好きなものやこと、川柳になるにしてもならないにしても、そういうよく目を向けているな〜、というものがあれば教えてください。これは単純にどんなものがお好きなのかな〜、という好奇心なので、一言でも、なんでも構いませんので……!

彗星 質問ありがとうございます! 好きなものやこと、そうですね……、コーヒーが趣味です。色んな味と遭遇する面白さと、飲んだら消える残らなさが好きです。実体がなくなるところが。よく目を向けているのは、倫理問題ですかね。表現をするにも受け取るにも避けられないから、という義務感もありますが、ジレンマそのものに強い引力があるんですよね。僕はディストピア小説を読んで倫理に関心を持つようになったのですが、現実の倫理問題を考えるうえでも示唆に富んでいるので、よく読み返します。まとめると、消え物とジレンマが好きです。

西脇 まとめ方! でも彗星さんの川柳がまとっている感じ、この二つでよく分かりますね。

城崎 あー! もしかしたら失礼な真似をしたのかも知れません、と聞いておいてから申し訳なくなっていたため、嬉しいです。教えてくださってありがとうございます! その人の見ているものや、向いている方向を知ったからどうということではなく、その人を通して川柳や短歌を読むようなことはしたくないと思っており……ものすごく単純に、その人の好きなものを知ると嬉しいし、自分のなかで関心を抱くものが増えたりするんじゃないかなという好奇心から出た質問でした。浅慮。反省!!
 それはそれとして、消え物とジレンマがお好きと聞いてにこにこしています。個人的にすごく美味しいと思っている珈琲が文京区の謎屋珈琲さんの謎屋ブレンド*31なので、もしなにか機会があればぜひ〜! そして倫理問題、その義務感に従って目を向けておられることに感銘を受けています。そうありたいと思いながらつい受け流してしまうような態度をとりがちなので……。

西脇 そろそろ、お時間ですかね? うわー、言いたくない。お時間って言いたくないです。

彗星 そうですね、そろそろ引き揚げないと……。川柳諸島、すごかったです。全身が川柳になってしまいました笑

城崎 本当にたくさんお尋ねしましたが、お話していただいてありがとうございました。ウフフ、川柳浸しな早春でしたね! お付き合いに心から感謝しております。

彗星 こちらこそ、すごく楽しかったです!
 僕にとって間違いなく、川柳を始めてから最も濃厚な期間でした……。お二人とのお喋りを通じて、これから川柳をやっていくうえで大きな財産ができました。本当に迎えてくださってありがとうございました🙏

西脇 ありがとうございます、ぼくもなんか、これを糧にまだまだやれそうな気持ちになりました。なんべんでも言いますけど、始めて良かった。。。 
 それでは、海と島々が待っててくれてるので、そろそろ。今号もご覧いただき、ありがとうございました!

城崎 楽しくて、個人的にもいろんな気づきや収穫のある春号になりましたね……。本当にありがとうございました。お疲れさまでした!
 ではでは、春号をご覧いただきありがとうございました。また次の季節にお会いしましょう〜!
                          
                          (次号へつづく)


*注


 *1 「こんとん句会」 現代川柳の名実ともにトップランナー・暮田真名さん(句集『ふりょの星』、左右社さんより発売中! これは製本された事件ですよ、奥さん!!)主催の句会。句と評は暮田さんのnote↓で読めます。


 *2 「海馬万句合」 修辞の魔術師・海馬さん(句集『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房)は、瀟洒なデザインに惹かれて読むとひっくり返ります)主催の句会。句と評は海馬さんのnote↓で読めます。


 *3 「ビー面句会一月号」 第一回こんとん句会の参加者から始まった句会「川柳句会ビー面」は、毎月開催のネット句会。最尖端の川柳が、毎回50句近く出されます。会報はネットプリントで配信されますが、ツイッターでも閲覧可能。一月号は主宰であるササキリ ユウイチさんのツイッター↓で読めます。


*4 「川柳どうぶつえん準備号」 川柳諸島がらぱごすは前号まで、「川柳どうぶつえん」という名前でした。その前号が準備号。川柳どうぶつえんのnote↓で読めます。


*5 「川柳の三要素」 川柳において大事だとされる、うがち・軽み・おかしみ、の三つの要素のこと。これ以上はまだ勉強中ですのでなんとも。むしろなにかご存知でしたら教えてください。

 *6 「川合大祐さん」 テキサス州長野県出身(ソース:『川柳スパイラル』13号 P.26)のプロフェッショナル現代川柳グラップラー。この紹介がおふざけでないことを確かめるためにも、句集『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)をご一読ください。たぶん書店の棚にあるのを見るだけでも、ご納得いただけると思います。
 
  〈代表句〉

   ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む

   中八がそんなに憎いかさあ殺せ

   だから、ねえ、祈っているよ、それだけだ、

 

*7 「川合大祐さんがおっしゃられていた」 『川柳スパイラル』13号に掲載の対談「小遊星 第13回」にて、このあたりのお話をされています。

 *8 「西脇の『中島みゆき』縛りの川柳」 西脇はツイッターアカウントにて日に三句川柳をやっており、そのうち一句を毎日みゆきさんに捧げるべく、「中島みゆき」読み込み必須と決めてやっています。
  例)さて、と鼻をつまんでみる中島みゆき

 *9 「渡辺隆夫さん」 現代川柳でことばの腕力が一番強い方にして、キャラ川柳のパイオニア。強すぎて、危なっかしいことも多々ありますが、それくらい極端な部分を身をもって残してくださった、ポスト現代川柳の恩人です。怖いものなしに見えるのですが、本当はどうだったのかなあ。句集『渡辺隆夫集』(邑書林)あり。どんな危なっかしさか知りたい方向けに句を引きます↓

  〈代表句〉

   宅配の馬一頭をどこから食う

   天皇家に差し出す良質の生殖器

   しばらくね私蛇姫すっぽんぽん

 

*10「石田柊馬さん」 現在の現代川柳の、ひとつの頂点にみえる方。現代川柳の錨にして大空。『はじめまして現代川柳』はこの方から始まりますし、超絶代表句「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」で現代川柳にぶん殴られた人は多いんじゃないでしょうか。いつかお会いしてみたいです(ぼそっ)

  〈代表句〉

   杉並区の杉へ天使降りなさい

   もなかもなかもなか苦しい詩語がある

   水平線ですかナイフの傷ですか

 

*11「はじめまして現代川柳」 現在一番手に取りやすい現代川柳アンソロジー。現代川柳、気になるけどどれから読んだら? という方にはこちら。『川柳スパイラル』誌主催の小池正博さん編著、書肆侃侃房刊、定価一八〇〇円+税。西脇の住む田舎の書店でも置いてたので、お近くの大きめの書店にはきっとあります。35名の76句=二千六百六〇句収録。多っ!

 *12「鶴彬さん」 史上唯一特高に殺された、戦う川柳人の元祖。意味やねらいはそれぞれちがうでしょうが、現代川柳をされている方はどなたもどこか、なにかと戦っている印象を受けます。その戦いの、いちばん太い支柱としていまも居てくださる方。じつは全川柳が青空文庫で読めます↓

  〈代表句〉

   手と足をもいだ丸太にしてかへし

   万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た

   タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう   

 

*13「川柳は上達するのか?」 短歌ムック『ねむらない樹』vol.6に掲載された、暮田真名さんのエッセイ。暮田さんは各所に川柳についての文章を載せてみえますが、いずれも必読です。上達、の指標すら通用しないのが現代川柳です。

 *14「中村冨二さん」 戦中~戦後にかけての現代川柳をばきばきに拡張してその土台を作った、はじまりを完成させた人のお一人。共感とワンダーの橋渡しをしつつ、普及にかかわる大仕事をいくつもなさった巨人。西脇が現代川柳やってみよう、と思ったきっかけの方。この項は西脇が書いているので、ひいきして代表句を五句引きます↓

  〈代表句〉

    墓地で見た街は見事な嘘だった

    汽車に轢かれるのも一つの舞踏です

    私の影よ そんなに夢中で鰯を喰ふなよ

    良心も頭が禿げてる

    では私のシッポを振ってごらんにいれる

 

*15「千句集」 そんな中村冨二さんの句集です。どうがんばっても実物は手に入りませんが、なんと柳人なかはられいこさんのおかげで、ネットで読めます。なかはらさんありがとうございます……↓

 最後の句があの句って、もう泣けて泣けて仕方ないんですけどみなさんはどうですか。

*16「正岡豊さん」 短歌ムック『ねむらない樹』vol.6の現代川柳特集にて、川柳「錦鯉」、短歌「かぜききぐさ」に加えて、短文を寄せておられた。城崎はこの「錦鯉」のうちの一句、「愛のべっこう飴だけでいい」に魅了されて川柳に迷い込んだといっても過言ではありません。現代短歌クラシックス『四月の魚』(書肆侃侃房)が手に入りやすいと思いますので、とびきり好きな一首を引用致します。

  きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある

 
*17「『ねむらない樹 vol.6』の現代川柳特集」 そう、vol.6は現代川柳特集だったので、前述の暮田さんのエッセイも載っていたわけです。歌人の方の川柳もたくさん載っています。今からでも取り寄せましょう。

*18「我妻俊樹さん」 以下、我妻さんのツイートより引用。
「短歌は長すぎる夜の不眠を埋める形式であり、川柳は昼のまどろみをよぎった夢をあわてて書き留める形式。」

短歌同人誌『率』10号に誌上歌集「足の踏み場、象の墓場」。歌人の平岡直子さんとネットプリント「ウマとヒマワリ」を不定期発行中。

 我妻さんの川柳は瀬戸夏子さん・平岡直子さんのユニット誌『SH』や、ネットプリント、ご本人のnoteにて読むことができます。怪談作家でもあり、竹書房文庫より実録怪談の単著・共著多数。

 *19「木下龍也さん」 城崎の推し歌人。現代短歌の申し子であり綺羅星。文中に引用された短歌「二階堂ふみと四階堂ふみふみと六階堂ふみふみふみ」は、第二歌集『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房)に収録。また同作者の『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)は、短歌に留まらず全ての創作者への祝福と激励に溢れる指南書。

 *20「Tutti Frutti」


*21「柳本々々さん」 暮田真名さんをポスト現代川柳のトップランナーとするなら、柳本さんはポスト現代川柳のポーラー・スターです。ふわっとした口調でとんでもないことをやってのける句多数。するどい論客でもあられ、文芸誌にも執筆多数。ご著書に『バームクーヘンでわたしは眠った』(春陽堂書店)あり。

  〈代表句〉

    はろー、きてぃ。約束の地にまるく降り立つ

   「ほろびるの?」鯨から電話が掛かってくる

   夏目漱石(CV:柳本々々)

 

*22「小池正博さん」 暮田真名さんを現代川柳の世界へ引きずり込んだ川柳句集『水牛の余波』の作者にして、『川柳スパイラル』主宰、しかも現代川柳のバイブル『はじめまして現代川柳』編著者という、昨今の現代川柳ムーブメントの仕掛け人。もはやフィクサー。というよりはきっと、種蒔き人であられます。『水牛の余波』は入手困難ですが、『小池正博集』(邑書林)は探せば買えるはず。

  〈代表句〉

    はじめにピザのサイズがあった

    都合よく転校生は蟻まみれ

    水牛の余波かきわけて逢いにゆく

 

*23「榊陽子さん」 現代川柳肉体派筆頭。というと暴力柳人みたいですがそうではなく、肉体の感覚にずし、と訴えつつ軽み・おかしみも備えている、そんな、感想を言う前に体が反応してしまう川柳の作り手。西脇の心の師匠。下ネ●も肉体性の一側面である、という遠大な教えをくださった方。句集『うらぽて』は石田柊馬さんとの魂全乗せ川柳ラリーで、読むと震えます。

  〈代表句〉

    かあさんを指で潰してしまったわ

   月とどぶと1時間延長しかなかった

   誓い(画鋲の口移し)

 

*24「暮田真名さんの『ぺら』」 暮田真名さんの第二句集。B1サイズのばかでかい紙一枚に、ひたすら川柳が載っています。BⅠ、カーテンくらいの大きさです。

 *25「川上日車さん」 川柳が、いまの現代川柳に分かれたはじまりの人のお一人。ここまでやっていいのか、とうれしくなるより戦慄するような切り込み方で、川柳の視野をざっくざっく広げてくださった方。句をまとめて読もうと思うと、『はじめまして現代川柳』しか目下手に入るものはなさそうです。

  〈代表句〉

   錫  鉛     銀     

   と 書いてあつた 脅かしやがる

   ありありてありあまれるところの 水

 

*26「通り抜けできる詩型」 2018年5月5日に開催された「川柳スパイラル東京句会」での、瀬戸夏子さんと我妻俊樹さんのトークイベントにて我妻さんが語られたこと。
 以下の小池正博さんのブログ「週間「川柳時評」」にて、我妻さんの発言を読むことができます↓

 
*27「自解」 ↓のスレッドにて語っておられます。

 自句自解、川柳では掟破りだそうなのですが、えー、おもしろいし読みたい、と思ってしまいます。この自解もおもしろいですよ。現代川柳よう分からん、という方にこそ読んでいただきたいです。コンパクトですし。

 *28「回覧板の句」 城崎さんが第三回ビー面句会にて発表された、

    器 ぶつ 損 「回覧板です」セーフ

  の句のこと。
 ちなみに第三回の句の一覧は↓にて読めます。


 *29「筒井祥文さん」 読むたびに現代川柳の余裕の部分を感じられる、やわらかいことばと思想の柳人。誤解を承知でいえば「わかりやすい」。けれどそれは大きなカン違いであり、句を読めば読むほど、なにかがズレた世間へ迷い込まされます。わかりやすいがゆえに、いつズレたのかがわからない。そのため一度読むと、折々思い出して考え込んでしまいます。そういう意味では禅問答に似ているような。句集『筒井祥文』集(邑書林)あり。

  〈代表句〉

   ご公儀へ一万匹の鱏連れて

   めっそうもございませんが咲いている

   そういう訳で化物に進化した

 

*30「月報こんとん3月号『帰れなかった』」 月報こんとんは、暮田真名さんと、暮田さん選による「第一回川柳句会こんとん」で選ばれた二三川練さん、松尾優汰さんの三人が毎月発行している川柳ネプリ。暮田さんのツイッターアカウント@kuredamanaをフォローすると、発行時にアナウンスを受け取れます。
 ネプリ配信と同時にnoteに掲載されるため、3月号は↓で読めます。


*31「謎屋ブレンド」 金沢に本店を構えるミステリーカフェ謎屋珈琲店のオンラインショップ(https://nazoyacafe.thebase.in)で購入できるドリップ珈琲。味わいは深くてまろやか。文京区にも店舗あり。本格的な謎解きとミステリファン垂涎のカフェメニューが楽しめる。この時期はお手軽に楽しめる、濃くて美味しいカフェオレベースもお勧め。



……以上です。ながかったでしょ。
ここまでお読みくださって、本当にありがとうございました。どこかひとつでもおもしろがっていただけてたら、この上ないよろこびです!

それではまた、次の季節に。みなさまどうぞお元気で!!!



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