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狂気も最初はシンデレラ

狂気だって最初は、純粋無垢で可愛げのある姿をしている。最初は何の気なしに、ちょっとやってみたら意外と得意で、面白いな、好きだな、自分でもいいかもしれない、みたいな、日常にありふれたシーンだったりする。とっても純情。周りの人に褒められたり、勉強みたいに周りの人がよしとするようなことだと、なおさら自分を認めてくれた気がして、ますます興味が湧いてくる。

興味が湧けば、ちょっとやってみるだけにとどまらず、自主的に取り組んで、もっと上手くできるように、もっと人から褒めてもらえるように、頑張る。エネルギー源は、自分の好きという気持ちと、人から褒められる達成感。たとえそれがどんなに小さくても、思い込みが激しいだけで打ち込み続ける理由にはなる。好きになるのに、人生を変えるような経験は必要ない。

些細な「好き」という感情や、他人が少し褒めてくれた経験だけでエンジンを動かし続けられる人には、狂気のセンスが垣間見える。他の多くの人であれば忘れてしまうような取るに足らない経験を、狂気の人は鮮明に覚えている。時に覚えているだけでなく、増幅させる。何事も上手くいかない人にとって、取るに足らない小さな成功体験は、理性を忘れるほどの大きな原体験になる。虐待を受けた子供にとって、親が見せる小さな笑顔が大きな意味を持つように。モノクロの宇宙は塗り替えられる。小さな希望と大いなる狂気があれば。

傷つける人と傷を癒してくれる人が同じだと、執着心は二倍増しになる。癒してくれる時の気持ちよさが忘れられなくて、どんどんその快楽にはまっていく。執着心の中でも、人への執着心は、とりわけ悲劇をもたらす狂気へと発展する。

小さな傷を隠し続けている人は、傷が癒えることを知らない。負傷したら前線を退いて医療キャンプに戻り、適切な処置を経てから銃を担ぐのが戦場のルール。しかし衛生兵がいなければ、キャンプに戻ることはできない。小さな傷を隠しながら銃を放ち、さらに傷を重ね、タバコで得られる快楽物質で痛みを誤魔化しながら戦場に残り続ける。時に大きな傷を負っても、かすり傷の治し方すら知らないので、タバコの量を増やすしか対処法がわからない。彼はメディックを知らない。

自暴自棄になれれば、破滅に向かっているようなスリリングな人生こそが生であり、安定した人生は大切なものを捉え損ねているようにも思える。「あいつらは大切なものから目を背けながら、そんな自分を認めながら、そんな自分をさらに誤魔化しながら、生きている。もはやそれは死んでいる」そう思える。彼らとは違って自分は少なくとも自分の感じたことに素直だ。

自分の不幸は他人には手に入れられないものなんだと、占有権を誇ることで、自己正当化ができるようになる。

不幸であることの占有権。単純な幸せの拒絶。その拒絶の裏には、複雑で根深い、さまざまな要素が絡み合っている。人と同じような幸せを掴んでしまうかもしれないという、アイデンティティにまつわる問題。周りから求められる普通になることができず、期待に応えられないことから生じる自己嫌悪。自分は普通では満足しないという驕り。どれもこれも、薄汚くてひねくれた、クソまみれの自分勝手。真夏に放置されてうじが湧いた炊飯器のように、目を背けたくなる。箱をあければ、悪臭と憎悪に満ちた狂気がそこにある。ちょっとみなかったうちに、日常にありふれた白米は、強烈な嫌悪の対象へと変貌する。

天才と狂気が紙一重なんだとしたら、薄くて分厚いその一枚の紙は何だろうか。最低限のモラルだろうか。育った環境だろうか。人との関わりだろうか。優しくしてくれる人、愛してくれる人、期待していい人、裏切っても最後には戻ってくる人、死ぬまで付き添ってくれる人、法を犯しても良いと思える人、世界が全て自分の敵になっても構わないと思える人、この人のためなら死んでも良いと思う人、この人のためなら自分が自分じゃなくなっても良い人、モノクロの世界を色とりどりに塗り替えてくれた人。自分の頭の中にしかいない、フィクションのあの人。

みんな、嫌いになっちゃった。

「私シンデレラっていうの!お姉様に虐げられてたけどある日王子様に気に入られて大逆転しちゃった!私?私は特に狂ってないけど?」

シンデレラ、お前が大成するなら掃除がめちゃくちゃうまいとか、洗濯の手際がめちゃくちゃ良いとかであってくれ。


よろしければぜひ