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医者「友達がいないことによるセロトニン不足です。友達を処方しておきます」

「この症状はおそらく友達がいないことによるセロトニン不足です。友達を1週間分だけ処方しとくので、また足りなくなったらきてください」

あ、そっちなんだ。てっきりセロトニンが出るような薬がもらえるのかと思っていた。

「そっちなんだ」

声に出ていた。若医者がそれに反応する。

「そっち?あー薬はもう流行ってないんですよねー。なんか僕もよくわからないんですけど、薬で出すのより質が良いらしいです。副作用も少ないとか。まあ業界の流行なんでまた戻るかもしれないですけどね〜」

随分あけすけと喋る医者だ。こういうのは患者が不安になるから言わないほうがいいんじゃないか。特にこういう病院では。

「慣れてきたら2週間とか1ヶ月分とか一気に出せるんですけど、初めてだと合わない人もいるんで1週間とかからしか出せないんですよ。なんで、また必要になったらきてください〜」

気の抜けた声で「お大事に〜」と言われるのを背にしながら、待合室へと戻る。引っ越してからはこれまでのかかりつけの病院に行けなくなったので、新しい場所に来てみたが、前の医者のほうがもうちょっと丁寧だった。今回の医者は、地方勤務で適当に過ごして、いつか東京に戻りたいなとか考えてるんだろう。

「山岡さーん」

病院の受付に呼ばれて向かい、診察料を支払い、処方箋をもらう、と思ったら処方箋は特になかった。

「薬ではないのでこのまま帰っていただいて大丈夫ですよ〜」

確かにそうだ。「友達」が、薬剤師が調合して出すものではないのは頷ける。

受付の人に「お大事にどうぞ〜」と言われながら、病院を後にする。

今回はうまくいくといいな。



病院から戻って3時間ほど経った。日中のうるさいミンミンゼミの鳴き声は既にどこかへ消え、ヒグラシの優しくてどこか儚い声が家の外から聞こえてくる。都内ではあまり聞けなかったが、久しぶりに聞くと何だか落ち着く音だ。

適当にスマホで動画を見ていると、いつも近所の薬局の公式アカウントからしかメッセージが来ないLINEに、突然知らない名前のメッセージが届いた。

ゲンキ: やっほー!駅前に新しい飲み屋できたから今日行かね?

誰だろう。ゲンキなんて名前の知り合いに思い当たる人はいないし、何より最近は誰とも連絡を取らなくなって、LINEはほぼ使っていなかった。

あー。これか。あの軽い態度の医者が「友達を1週間分だけ処方しとく」と言ったのを思い出した。あの病院にLINEを伝えた覚えはないし、どういう仕組みなのかはよくわからないが、とにかくこのゲンキは医者が僕の病のために処方してくれた「1週間分の友達」なんだろう。

ゲンキ: 行こうぜー 最近知り合った女の話もしたいし

名前の通り、元気そうなやつだ。もうちょっと捻った名前にしてもよかったんじゃないかと思ったが、これくらいわかりやすい方が、患者が素直に受け入れやすくて良いのかもしれない。とりあえず気分が乗っているうちに返信しよう。

「良いよ、行こう。今から駅向かう」

こういうのは思い立った時に行かないと、後で面倒になるのが目に見えている。さっさと準備して行ってしまおう。

財布と目薬をカバンに入れ、玄関を開ける。外に出ると、家の中からは聞こえなかったミンミンゼミがやかましく鳴いているのが聞こえて、ちょっと残念な気分になった。


「やっほー!こっちこっち!」

家から20分ほど歩き、LINEで指定された駅前のロータリーで待っていると、向こうから柄シャツ短パンの男が、でかい声で右手を大きく振りながら近づいてきた。元気そうな見た目だ。

「ちーっす、元気?俺は元気」

いかにもな喋り方だった。こいつが元気じゃないわけないだろう。だって名前がゲンキだし。

「まあまあかな、田舎はセミがうるさいね」

「田舎とかいうなよwこれでもこの地方で一番でかい都市なんだから」

都内から転職してこっちにきてから、そろそろ3ヶ月経つ。大学を卒業してから2年ほど働いた会社では、別に何かうまく行っていないわけではなかったが、自分でもわからないうちに段々とやる気が失われてしまった。仕事もそれなりにこなせていたし、人間関係もそれなりに充実していたと思う。ただ3年目になって、やりがいが見えづらくなったのと、これで良いのかな?という漠然とした不安が無視できないものになって、加えて人間関係も希薄になってきて、気がついたらベッドから動けなくなっていた。

全部リセットしよう。

悪い癖だ。小さい頃から、ことあるごとに交友関係もやってきたことも全て断ち切って、新しいことを始めることが多かった。今回の転職も、ベッドの上からオンラインで簡単に面接できる転職先を探し、適当に見つけた地方の会社に就職し、その流れのまま前の会社の退職手続きと引っ越しをした。

一度始めると手続き自体はさっさと進められるのが、自分の美徳だと思っている。もし仮に手続きが苦手だったら、こんな大胆なリセットはできなかっただろうし、仕事も前のを続けていただろうし、人間関係も前から変わらなかっただろうし、漠然とした不安からも逃れられなかったように思う。
手続き得意人間万歳。

ゲンキは例の居酒屋に行きたそうだ。

「行こうぜー。焼き鳥1本20円なんだって。飲み放題も2時間で1,400円。嘘みたいな値段だよな。」

嘘みたいな値段だけど、こっちからしたら今日初めて会った男と旧知の仲みたいなふりをしながらサシで飲みにいく方が嘘みたいなので、返答に困った。


居酒屋に着くと、ゲンキはベラベラと自分の話をしてくれていた。最近の仕事がどうだとか、資格勉強を始めただとか、最近アプリで会った女が可愛くて、次会ったら告白しようと思ってるだとか。ちなみにその女の名前はまだ教えてもらってないらしい。

「マジで可愛くてさ、この前初めてご飯行ったんだけど、お菓子作りとかしてるらしい。俺のためになんかケーキとか焼いてくんないかなあ。
あとめちゃくちゃよく笑う子だった。俺が言った冗談全部に大爆笑してて、今回はマジで相性いいと思うわ。結婚したい」

元気だ。この手のタイプの人は昔も周りに何人かいた。元気なやつで、会うとこっちも素直に楽しい時間を過ごせる。

「お前にも今度紹介してやるよ、とりあえず合コン行こう、な?知り合いに結構そういうのセッティングするのうまいやつがいて、今度もまたあるらしいから、行こうぜ」

合コンなんて俺はいいよーとか口では言いながらも、合コンに行きたい気分になってくる。結局こういう会話はとても楽しいし、女の話は酒が一番速く進むことを、久しぶりに思い出した。

楽しいな。お酒のせいかな?ゲンキが明るいからかな?焼き鳥が安すぎてたくさん頼めるせいかな?
こんなこと考える間も無いほどに、充実した時間がどんどん過ぎていく。今が楽しければ何でも良いように思える。

賑やかな時間を過ごせると、やっぱり友達は良いものだなと思う。別に重要な話をするわけではないが、ただその場を笑って過ごすために、くだらない話をする。ちっぽけな会話かもしれないが、ゴシップや噂話は古くから人間同士の信頼関係を高めるのに役立ってきたという。実際、ゲンキと話しているのは楽しかったし、仲良くなれそうな気がした。

仲良くなれたら良いな。



病院に行ってから1週間が経った。

「山岡さ〜ん、どうぞーーーーー診察室入ってくださ〜い」

診察室に入ると、あの医者がスマホをいじりながらカルテを開いていた。席に座りながら、どんなことが書いてあるのだろうと思って覗いてみたが、字が汚すぎてよくわからなかった。

「どうでした、彼。元気でしょう?」

医者が言うように、ゲンキは元気だった。嘘みたいに元気だった。初めて会った日は結局その後3件ハシゴして、彼が今気になっている子のことや、こっちの昔の恋愛話もした。
良い時間を過ごせたし、彼とはあの1週間のうちに3回あの爆安居酒屋に行っていた。

「はい、元気でしたね。ただ…」

ただ。絵に描いたような元気なやつは、そこが知れない。というよりも、腹の内がよくわからなくて、会う回数を重ねれば重ねるほど、こいつは何を考えてるんだろう、という不安が募ってくる。

その上、元気すぎて、こっちが感じている悩みや辛さをわかってくれることはないし、そんなことを考えたことすらもないんだろうな、そんな辛さとは無縁の人生なんだろうな、と、やや悟り気味に距離をとりたくなってしまう。

彼とは3回会ったが、一番楽しかったのは結局初回だった。まだこっちは彼のことを何も知らないので、新しい話を聞くのが楽しかったし、正直久しぶりに人と会ってだいぶ気分が高まっていたのもあったと思う。その後2回目、3回目となると、彼と会った時の楽しみは徐々徐々にに萎んでいった。毎回同じようなくだらない話をし、予定調和的に向こうの話にこっちが笑って、適当に向こうの気分をよくして、駅から20分一人で歩く帰り道に「何の時間だったんだろう、あれ。」と、後悔とも反省ともつかない虚無感が頭の中を駆け巡る。

4回目もいつも通り、例の居酒屋に誘われていたが、また同じことが繰り返されると思うと返信するのが億劫で、結局2日間放置して、そんなこんなで処方期間の1週間がすぎていた。どうやら、処方期間が過ぎるとLINE上での彼とのトークなどは全て消える仕組みらしい。

誰でも初めて会った時はそれなりに楽しいものだ。そしてその特別感を忘れきれないまま、人に期待して、でも現実は違くて、勝手に裏切られた気分になる。

「なんか、合わないというか、ちょっと人種が違い過ぎるなって思って。」

「あーまあそんなこともありますよね。元気過ぎると腹の中が見えないというか、なんか疑ってしまうというか。」

「そんな感じですね。良い人ですけど、自分と相性は良くないんでしょうね、きっと。」

「そっすよねーーーーー。そしたら今度はもうちょい大人しめの人にしてみますか?山岡さんの悩みをそれなりにわかってくれそうな人というか、もうちょっと闇抱えてそうな人というか。」

あけすけと喋る医者だ。

「あけすけと喋りますね」

声に出ていた。

「今回は2週間分出しておきますね、それだけあれば飲み以外にもなんかできるでしょ」

こっちの発言をガン無視しながら向こうのペースで進めてくる。

「ではまた何かあったらきてください。お大事に〜」

特にこっちの希望を聞かないまま、再び新しい友達を処方されることになった。

まあいっか。他にすることもないし、しばらくこの病院でのやり方に従っておこう。


以前のように家に帰る。いつものように適当に見つけた怖い話のまとめ動画を見ていると、近所の薬局ではないアイコンから、LINEメッセージがきた。

シノダ: 「こんにちは!もしよければ今度お話ししませんか?」

今度は随分と丁寧な人だった。いや、あいつが図々しかっただけか。

シノダ: 「電話でも良いですし、どこかカフェでも良いですよ!」

医者はどんな人を処方したんだろう。こっちの悩みが共有できる、闇を抱えた人だと言っていたが、そこまで暗い感じではなさそうだし、結構良い人なんじゃないかな。

今度は仲良くなれると良いな。

ここから先の2週間の景色が、ちょっと色付いて見えたような気がした。






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