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大人にがっかりしている

これまでの人生で、大人に憧れたことがものの一度もなかった。憧れるどころか、重度の嫌悪対象だった。意志もなく働き続け、自分が取り囲まれる日常環境に文句を言いながらそれを改善しようとはせず、それでいて子供から批判されると現実をわかっていないと説教を垂れる、ただ力と金を持っただけの邪魔者でしかなかった。

大学生活を通して、大人への嫌悪はより強いものとなる。在学中に会ってきた大人は、どれもこれも自己中心的というかスケールが小さいというか保身しか考えていないようなやつばっかだった。バイトやインターンや就職活動で聞いたのは「大人になると子供の頃の想像力を失うけど、それで満足できるようになりますよ。下降線ですが慣れるから安心してね!」というペシミズム。大人になるなんてつまらないばかりか、むしろ退化じゃないか。

歳の離れている大人だけにとどまらず、自分と同じような境遇に置かれている周囲の人間への嫌悪も増幅していった。自分は日本、ひいては世界的に見ても恵まれた環境で生を受け教育を受けてきたと思う。ゆえに自分の周りの人間、高校・大学・バイト先・職場にもそういう人が多かったんじゃないかと思っている。

だからその人たちにはスケールの大きいことを期待していたんだけど、大きく裏切られた。期待していた、スケールの大きいことっていうのは、全国大会に出たとか、東大数学が満点だとか、起業して一儲けしただとか、誰もが感心するような成果のことではない。僕が期待していたのは、自己実現とかいう虚妄に惑わされず、より良い世界について考えたりそれを実現するためにはどうすれば良いのかを、持てる力を総動員して考え、行動するような人だった。

就活と仕事を例に挙げれば、みんなが気にしているのは自分の将来で資本主義的な豊かさがどこまで保てるのか、ということだけで、どうすれば世界を良い場所にするのかを真剣に考えている人は滅多にいない。さらに大体において、世間で「優秀」とされている人ほど個人主義的な欲望にしか興味がない。こんな奴らが「優秀」ともてはやされるなんて、馬鹿しかいないのか?とも思った。

優秀なのに自己実現にしか関心がない、あるいはそれしか考えられない人がいたら安心して欲しい。まず自己実現なんてものは存在しない。「自己」も「実現」も何を言っているのかわからないし、そんな観念的な話で病むくらいだったら、発想自体をやめるべきである。さらに、あんたらは会社や社会がぶっ壊れても能力があるからどこかで生きていけるはず。むしろあんたらがやるべきは、会社と社会がぶっ壊れないように修繕することじゃないのか。

僕が出会ってきた人はみんな賢くて尊敬できて恵まれているのに、自己保身に走って面白くない人間になるし、重要なことから目を背けて腑抜けになっていく。とてもがっかりした。がっかりしたし、こうはなりたくない。

こんなことを語りながら、僕も4月から何故か働き始めていて、大嫌いだった大人への第一歩を踏み出している。踏み出したというか、勝手に押し出された感覚だけど。4月からは、上で書いたようなことがそっくりそのまま自分に降ってきている。心の中にいる子供の僕が常に耳の痛い批判をしてくる。それに応えられるような、労働者ではなく、市民としての大人になるべきである。そして自分はおそらく、そうなれる見込みが高い。少なくとも、こういうことを何も考えていない周りの奴らよりは。


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