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大人でびゅー

いつも通りインスタを開いて、ストーリーを適当に10人くらい見てみる。

普段なんも投稿しない人も誕生日になると控えめながらも投稿したりする。

なので、「〇〇歳になりました、出逢いに感謝」みたいな投稿はかなりの頻度で見る。

「誕生日です」投稿は、高校の頃は教室でのテキトーな写真だったり、仲の良い友達の変顔だったりした。

大学に入ると、暗めなレストランで、透明なガラス製の皿に、茶色い文字でHappy Birthday と書かれた、そんな投稿が増えている。

カフェや塾講バイトで入った収入から、飲み代とか服代とかを差し引く。

そこからちょっと無理して暗めなレストランにいく。それが大学生の誕生日。

ちょっと無理するのは、やっぱり大人の仲間入りをしたいからだろうか。

途端に私服や髪型を整え出す、大学デビューに近いのかもしれない。つまり社会人デビュー。

実際はまだ学生だから、社会人デビューじゃなくて、さしづめ「社会人体験」。キッザニアのお仕事体験にも近いものを感じる。

そこで一つの疑問が湧く。

大学生がバースデープレート投稿で体験する社会人像は、一体どれくらいリアルなんだろうか。

誕生日にバースデープレートを頼む社会人は、本当に社会人の典型像なのだろうか。

というか、飽きるだろ。別にあのプレートのチョコ美味くないし、あの文字崩したらマナーなってないやつ、みたいに思われるし、不便でしかないわ。

あと量が少ない。肉の産地とか調理法について喋ってる間に、パスタをあと200グラム茹でてくれ。

SNSにあげて24時間だけの自己顕示欲を発散するためだけに、社会人は本当に毎年毎年あの茶番を繰り広げてるのか??

大学1年生は飲み会に行くだけでSNSにあげる人がいるけど、次第に飲み会なんて当たり前になって、誰もあげなくなる。

同じことがバースデープレートにも言えるのかもしれない。

社会人にとっては、少し高めのレストランでバースデープレートを頼むことが、投稿するほどでもない日常になるのかもしれない。

でも、少し高めのレストランが日常になったとしても、誕生日は流石に飽きないだろうとも思う。どんなに頑張っても1年に1度だし。

だとしたら「誕生日プレートを頼むこと」は、社会人にとってもSNSにあげたくなるくらい特別なこと、とも考えられる。

けど、それは小さすぎないか。週5日残業もして1年間働いて、特別に感じることが10グラムのチョコの字って。

来年の誕生日は家で食べるかな。

よろしければぜひ