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ブルックリンでジャズを耕す #04

僕はラッキーな人間だ。今まで曲を作り演奏することだけを長いことやれてきた。これはある意味音楽業界ですごく稀有なケースだと思う。今、自分でゼロから会社を立ち上げ「一人ビジネス」を始めようとするときに、改めてそのことを噛みしめる。どういうことだったのか?

30歳の時、Station KidsというSONYの中の一部門の会社を任され、独立採算制でビルの1フロアに千里事務所を構えた。スタッフも5人にアシスタント数名。リリース時はこれにレーベルの人たちが加わるので、大規模な「千里チーム」「千里会社」になった。ファンクラブ、宣伝、原版制作、ツアー、営業、CM、ドラマ、映画など、この頃「自分の174cm、65キロの身の丈」をはるかに超えた物事が「倍々ゲーム」で膨らんでいく「面白さ」と同時に「恐怖」を味わった。

Station Kidsは自分が任されたとは言っても「いい曲を作り演奏すること」が僕の最優先であり、「経営」は周りにやってもらっていた。僕は大きな舵取り。4万人近く入る球場でのコンサートが超満杯になっても赤字が出る日本の興行の仕組みの摩訶不思議さ。だから大抵どのチームもマーチャンダイジングで補填したりする。Station Kidsも例に漏れず、開発して作って売った。すべての場合において、周りとどう話し合って、どう動き、何をやり、何をやらなかったか、それを思い出してみよう。

一週間くらい考えて箇条書きにした。

1)持ち味が生きるを継続

2)1対1で心込め

3)楽しく

4)精一杯

細かなことは省くとして、集約するとこれらに尽きる。

この4つを、「一人ビジネス」に変換してみよう。一人だと分身の術や力技ができない分、「生き方」をきちんと見せて、それも商品の付加価値にしよう。全身全霊の神経を集中させ、自分の人生の収縮版「ジオラマ」を組み立ててみよう。

その際のいい格好しいや大風呂敷は禁物だ。「自分一人でできること」を「丁寧に」やる。

大学4年の卒業時に走り出せることを想定して逆算する。このとき僕は51歳。世間で言えば全然若くはないが、アメリカには不思議と年齢による縛りも偏見もない。ふた回りくらい若い、いわば息子といってもいい年齢の青年ミュージシャンたちが、「いいね。俺たちも混ぜてくれよ」と肩を叩く。「お金じゃないからな」と真顔で頷く。まだ何も走り出していないのに、心は何が始まるんだろうと新しいメロディを奏で始めていた。

TAX RETURN 後編  D♭ 一人ビジネスのルール

「一人ビジネスのルール」作り。

ルール:

その1 ) 利益の出ないことをやらない

枚数が少なくても確実に利益を出す方法とは? できることを自分でやる。他人を雇わず、一人で工場へ発注から在庫管理まで行う。大変だ。バーコードや製品番号を商業ルートのネットページからとる。配送も自分で担いで郵便局へ行く。汗びっしょり。1日30皿だけランチを出す食堂のようなものだ。30皿目がなくなったらもうおしまい、潔く暖簾をしまう。「30皿しか出せない」のではなく、「30皿だけを出す」に変換。追加生産は敢えて数字が読めるまで控える。Tシャツなどのマーチャンダイジングも量産しない。限定で一人で売り切るが鉄則。

一個一個を「何に使い何に使わないか」を考え全てメモに残す。一人だからこそこのメモが「ご意見番」になってくれる。そして今もその訓練は続行中だ。

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