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プチDAYS「ナッチョからの手紙」

ブエノスアイレスで活躍する元クラスメートだったジャズピアニスト、ナッチョからメッセージが来た。

「7月から9月まで日本のCruiseboatの仕事が入ったらから東京に行くんだ。もしよかったら二人で一緒にコーフィーでも飲もうよ。」

これはエクアドル 僕の大好物

不思議なことがあるものだ。昨日Walkingの最中に彼のことを思い出していたのだ。ここ数日綺麗な空や海の写真を投稿したナッチョに「いいね!」を押し、そういえば以前から公言してる「存在しない映画のサウントラトラック」の中で、彼と一緒にやれたらなと思ってたところなのだ。

築地市場

地球上のいろんな街へ友に会いに出掛けて行って一緒に作った曲のセッションをやるなんてきっと素敵だろうな、でもそれには軍資金がいる。そこまで考えてふと話は頭から立ち消えになってたのだ。

ユニオンスクエア

ナッチョは不思議な男で当時から成熟してて通常の18歳から21歳の同級生とは明らかに違った。歳も少し上だった。当時で30くらいだったかな。穏やかで配慮深くピアノがうまくて何よりもReharmization(和音の作り替え。原曲の調和が再調和されること。)の才能に秀でていた。

そよそよそよ ざわわざわわ

みんなの信望が熱く、学校内でいつも引っ張りだこ、ビル・エバンスのクラスや上級のリハモのクラスではため息の出るような和音を編み出して、僕は「一体その中はどうなってるんだ?」と彼の弾くピアノの指を覗き込んだものだ。

どんなんなってるんかなあ

今でもリハモをするときいつも頭に彼の姿が浮かぶ。あの絵画のような美しい響きはおそらく他には存在しない音だと思う。いつも彼だったらどうするかな、どういう和声に作り変えるかな、きっとコードの真ん中あたりの音をクロマテイック(半音階のこと)に1個移動させつつ、両手を全く違うコードで「開いて」「ぶつけて」くるんじゃないかな?なんて考え、僕は懐かしく彼を想う。

ナッチョや僕がいた頃のニュースクールは戦場だった

卒業してみんなバラバラになってアイスランドのレイキャビックやアメリカの中西部クリーブランドやフランスのパリ、オランダのアムステルダム、韓国のソウル、などへみんな三々五々。そしてナッチョは迷わず家族のいる故郷アルゼンチンのブエノスアイレスに戻った。

走馬灯のように蘇る学生時代

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