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ブルックリン物語 #26 When You Wish Upon A Star 「星に願いを」前編

一ヶ月に渡る日本滞在から戻って数本NYでライブをやった後、息つく暇もなくサンフランシスコに向かうため僕はJFK国際空港にいた。時差でいえばこれからまた日本の方向に向かって戻ることになる。果たしてどうなるのか。ただでさえきついのにこの先体内時計はいったいどうなるのか。今回の旅の目的はサンフランより南に位置するシリコンバレー、サラトガにあるジャズクラブで演奏するためである。ぴちゃんの飛行機予約も数週間前に済ませ(アメリカの飛行機会社は一機に何匹までと機内に持込める動物の数が決められている)、JFKではチェックインをするだけなので気は楽だ。

「犬がいるのね。どんな犬か確認させてくれる? わお、ダックスなのね。かわいいわねえ」

チェックインカウンターの妙齢の女性は老眼鏡の奥からつぶらな瞳でぴを見つめる。移動用のバッグのメッシュの窓からぴも負けじとつぶらな瞳で見返す。しばしその場にあったかい雰囲気が流れる。

「じゃあ、ここにプリントネーム(楷書)であなたの名前を書いてくれる? 良い旅を」

「ありがとうマダム」

なんてことないいつもと同じような国内線のチェックインを無難に済ませ、僕はそのままその場を立ち去ろうとして踵を返す。

その時だ。ふと何かに足元を掬われて僕は後ろにひっくり返った。

左にぴちゃん、右にキャリーバッグを持っているので両手がふさがったまま真後ろに倒れこむことになる。一瞬の出来事。瞬間気を失った。

遠くで声がする。

「誰よ、こんなところにバッグを開いて置きっぱなしにしているのは? サー、大丈夫ですか?」

「全然、だ、大丈夫じゃないです」

少し気がつき始めた僕はブツブツつぶやいたが、無防備に倒れたので床に強打した鈍痛で容易に起き上がることができない。

「だから、あなた、こんな風に人の足元に荷物を広げっぱなしで置くなんてダメでしょう?荷物さっさと脇へやって脇へ。さっき言ったじゃない? さあ、早くして」

僕が倒れこんだ姿勢のままでいるにも関わらず、その荷物の主であるアフリカ系の人物はキョトンとして僕を見下ろして自分の荷物を片そうともしなかった。

「早く、片して、あなた。サー、起き上がれますか? 手を貸しましょうか?」

「いや、だんだん大丈夫になってきました。自分で起き上がれます」

僕はゆっくりと起き上がる。ぴちゃんは一緒に倒れこんだが瞬間抱え込んだ姿勢だったので大丈夫だった。しかし人がチェックインをしている足元で大きな荷物を真っ二つに開いておいて、それにつまづいてこけたこっちに「知らん顔」なんてとんでもない話だが、アメリカではよくある。要するに自分さえよければいい。いや、そこまで考えていない。開けたいから開ける。自分が荷物から何か取り出したいからここで開ける。深い理由などない。だからの「キョトン?」なのだ。打ち所が悪かったら大変だった。そのアフリカ系男は謝りもせず、むしろ変なアジアンのクレイマー男に関わってしまったぞとでも言わんばかりに顔を背け「チッ」と舌打ちした。それを見たチェックインカウンターのマダムは「は〜」と両手を広げ、首を横に振り大きなため息を二回吐いた。

「本当に大丈夫?くれぐれも気をつけて、サー。一人でちゃんと歩けますか?ワンちゃんと良い旅をね」

とんだ事件で出鼻を一瞬くじかれたが、Xrayもぴを抱っこして無事通過、僕は搭乗ゲート近くのアウトレット(コンセントのこと)のある柱にもたれ、地べたに腰を下ろした。エコノミーの旅はいつもこうだ。

これから7時間のフライトか。

NYを3時50分に飛び立つとサンフランシスコには夜の7時半に着くのか。

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