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僕が頑張ることをやめた理由

こんにちは。株式会社せんのみなとの長嶺です。
だいぶお久しぶりのnote用記事作成になります。2023年が幕を閉じ、2024年が始まり早くも3週間。
令和6年能登半島地震や日本航空516便衝突炎上事故にはじまった2024年。
被災された皆さま、事故に遭われた皆様へ心からお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とそのご家族の皆様に、衷心より哀悼の意を表します。一日でも早い復旧復興を心より祈っております。

2023年12月13日、弊社せんのみなとは法人設立から3期目を迎えることができました。ひとえに、日頃から応援、支援くださる皆さまのお陰と痛感する毎日です。改めて感謝申し上げます。

3期目を迎え、2024年の年間計画を立てるにあたって、「今の自分は何者なのか」を見つめる時間を取りたいと思いながら年末年始を過ごしておりました。

その中で、もしかしたら僕の心の引っ掛かりになっているかもしれない学生時代の出来事が浮かび上がってきたのでnoteに残しておきたいと思い、筆を取っています。(実際にはPCを開けてますが)

自己紹介

氏名:長嶺将也(ながみね まさや)
生年月日:1990年12月11日
生まれ:東京都墨田区(その後、小~高を葛飾区で過ごす)
職業:キャリアコンサルティング、組織/人材開発コンサルタント
趣味:Netflixでニッチな映画アニメを探すこと、スパイスカレーづくり
好きな言葉:為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

株式会社せんのみなと調べ

普段は千葉県香取市にある築100年の古民家に事業所兼自宅を構え、地域資源とキャリアコンサルティングの力を使って個人・組織・地域が輝けるお手伝い(コンサル業)をしています。


普段古民家で働いている様子

2020年4月、コロナ禍による緊急事態宣言によって全世界全国的に自宅待機/リモートワークとなる中、起業を決断しました。当時在籍していた企業における最短管理職昇格者としてマネージャーとして歩み始め、チームメンバーにも恵まれ社内表彰にも選出していただいている中での決断でした。役員、上司や同僚、チームメンバーからの有難い言葉もある中、東京から千葉のド田舎に居を移し起業するという決断をできたことは今もなお誇れる選択です。

しかし、僕には決定的な短所があると昨年のとある時点から薄々と感じ始めていました。それは努力が続かないことです。

努力が続かなくなった理由の前に

話は中学生時代まで遡るのですが、当時僕が一番頑張っていたことはサッカーでした。小学5年生の頃に両親の離婚を経験し、塞ぎ込んでいた僕の世界に唯一色を与えてくれていたのはサッカーだったと思います。だから下手でも毎日日が暮れるまで一人でリフティングの練習をしたり、少しでも長く走れるように近くの土手を走ったり。下手を承知で地域セレクションの選抜試験に挑戦してみたり。色を与えてくれる世界から色を奪うだけの魔力に出会うことはありませんでした。
その努力が奏功して地域選抜に選出され、地元だけのサッカー少年から葛飾区を代表する一人の選手になることができました。(とはいえ、まだまだ下手でしたけど苦笑)

その選抜チームの多くは周辺地区で強豪と言われるクラブチームへの加入を目指していました。当然のように僕もそのクラブチームへの加入を目指し、練習に励み、最後の合格者として加入することができました。

努力が続かなくなった理由(本編)

なんとか最後の合格者として加入できたものの、やっぱり試練の連続。周りの人が上手すぎる…落ち込…まない!!サッカーできることが嬉しくて、どんなに怒られようとも試合でミスしようとも、その環境にいれることだけでも喜びの時間でした。

この時までは努力が好きな人間だったと思います。むしろ努力を努力と思わずに没頭できる人間でした。この没頭癖が功を奏して中学1年生の後半から身体能力が認められ(決してサッカースキルではない苦笑)、1学年上の代の試合に出させてもらったり、先輩からレギュラーの座を奪うまでになったりと喜びだけでなく達成感も相まって、あの頃の自分は自己肯定感が素晴らしく高かったかと思います。

そして気付いたら僕は中学2年に上がるタイミングでキャプテンに任命され、「強豪チームのキャプテン」という栄えありすぎる称号を手に入れました。一方で、やっぱりサッカースキルには自信がなかった僕は「本当に自分で良いのだろうか…?」「目の前に僕より上手な人がいるのになあ」とばかり思っていました。だからこそ、自分ができること=チームメイトの鼓舞、練習前に素行不良のチームメイトの家を周り練習に連れて行く、試合中にとにかく声を出す、ということをしていました。

でもやっぱりサッカースキルがないと、どんどん厳しくなってくるんです。監督からの要求、言葉が。試合に勝っても、トーナメントを勝ち進んでも僕には毎日のように厳しい言葉が飛んできていたように感じていました。(実際は違かったかもしれないのですが記憶的には)

『お前なんか辞めてしまえ!』
『へたくそ!死ね!!』
など、今では訴えられるであろう言葉が毎日のように向かってきました。
こうなると、周りのチームメイトからの目も気になってしまうもので「皆の足も引っ張ってるんだろうな~…試合に出たくない」と思うようになりました。世界に彩を与えてくれていたサッカーの喜びはそこになくなっていました。

それでも普段の生活に戻ると、運動神経が良く、勉強もそこそこできる人なので怒られることなく過ごせていました。むしろ、努力値をサッカーに振り切っていて勉強、宿題は疎かにばかりしていたのに日常では優秀層にいれたので、この頃から「ああ、努力しないほうが楽じゃないかな。」と自然と思うようになっていたのだと思います。

今でこそ言葉にできているのですが、「努力への対価が見合わない」と考えるようになったのだと思います。

努力したい、今

長くなりましたが2023/2024の年末年始。
努力したい自分がいることに気付きました。起業してから多くの素敵な方に出会い、価値観に出会い、応援してくれる人に出会いました。
この人たちが「せんのみなとを応援してよかった」「せんのみなとと出会えてよかった」と思ってもらえるような会社、チームになりたい。そのためには僕が努力することを辞めてはいけない、恐れてはいけない、と思うのです。

努力への対価は人からもらうものではなく、自分でつけるもの。
今はそう意味づけできるようになりました。意味づけできるようになったからこそ、努力できる自分に会いに行きたいと思います。

今、僕が大事にしていること


大事したいことを大事にする2024年にする、と成田山新勝寺

努力できなくなった自分、努力したいと思っている自分に気付いた今。
僕が大事にしてきたことを思い出しました。
それは人の努力が花開くように見守ることです。折れそうになった時にそっと近くにいき気付かれないように支えちゃうことです。

人の世界から色が消えるのは本当に簡単です。
誰かの一言で色がなくなることがあります。
色がなくなってしまうと回復するまでに、自分で認識し、前に進むことに、時間を要したりします。

時に厳しい態度や言葉を届けなくちゃいけないこともあるかもしれません。それでも、回りくどくても『柔らかく』言葉たちを届けたいと思います。

柔らかく世界に彩を運んでいく。そんな2024年にしていきたいと思います。
皆さま、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

株式会社せんのみなと
取締役 長嶺将也

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