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【掘り返し日記】ヒートショック

 怒りの力が足りなくなってきた。
まだまだ沢山あるのにな!?少しずつ書いてしまったり話してしまったりする事で怒りや悲しみみたいな感情というのは薄まってしまうようにできているんだと思う。でも受けた打撃は消えずに沈殿してるので混ぜ返しては篩にかけたいと思います。許さねえぞこの世!(すぐこの世を祟ってしまいます。そういう芸です。)

 さて、牡蠣にあたった会社に数年勤めていた私ですが、あまりの過労体制と悪循環に体力を最低ラインまで浪費し、腰と気管支をぶっ壊してしまいました。
人がいないというのが大きな理由ですが、本来何人もの人数で動かさねばならない重量物を一人で動かしたり、空調の終わった場所で何時間も過ごしたり、思い当たる節がありまくります。わたしには休まなくても健康でまあまあ体力があり、身体はそんなに壊れないと思っていたのです。何故だ……鍛えてもいなかったというのに。
そして回復の為に寝る時間と休む時間がとにかく無いのです。

 気管支は元々幼少期に小児喘息持ちだったものが過労に合わせて再発?再悪化?ぶり返したものでした。夜更けから呼吸ができなくなり、しばらく症状もなかった為に油断しており、薬が家にありませんでした。
 明け方流石に死を覚悟し、家族に相談したうえ救急に連絡してもらいました。人生で初めて救急車に乗りました。意識は半分くらいしかなかったのですが、救急隊のお兄さん達めっちゃ頼もしい……見とかないと……萌……あと、救急車の中珍しすぎる…見とかないと資料……と思っていた記憶だけあります。どこまでオタクなんだ。死ぬかもしれないのに。
 しばらく受け入れの病院を探してくれていました。あの時深夜救急で受け入れていただいた病院には感謝しています。日本の医療ってすごいよ。

 腰の時は朝起きたら全く動けなくなるという目に遭い、それはそれはダサい歩き方を披露して病院へ駆け込みました。「この若さで5番目(確か)の骨と骨の間(なんか説明していただいたんですか部位を忘れてしまいました。クッションとして機能してるとこ)を使い切ってしまっています。これはもう元には戻らないので、これ以上負担のかからない姿勢を保ち生活を心がけましょう」と医者に言われてしまいました。まあ要するに治らんと言われてしまった。後に、バレリーナを何十年もやっている知り合いと同じ位置同じ壊し方だということが判明し、動かぬ腰を上に床に這いつくばりながらバレリーナの自分を想像して一晩ウケました。大ボリュームのチュチュでも履こうかな?

 腰の方は本当にダメージが大きくて、とにかく歩けない事の困難さ、咳よりくしゃみが響く事、腰を庇って今度は別の箇所が悪くなるということを実感しています。今も。
冬になる頃は毎年怯えて過ごしています。
今腰が大丈夫な人は腰を死守してください。腰悪い人はわたしと一緒に嘆こうな。バンテリン様には頭が下がります。バンテリンドームのことどんなに耳馴染みがなくても悪く言えないもん。いつもお世話になっております。

そんなこんなでボロボロになった身体を酷使して、ぼんやりと転職するべきかと社員同士なんとなく問いながら働いていた矢先、事件は起こります。

 会社の社長夫人と、突然連絡が取れなくなったのです。

 繁忙期をやっと終えた年の暮れ、寒い12月末のことでした。
当時、給与振込は毎月決まった日にちに入金されていました。小さな会社だったので管理は社長夫人が担当していたようで、その振込が2日ほど遅れているとのことでした。夫人はしばらく会社に来ないなどはよくある事でしたが、振込が無く連絡も無い。こんなことは今までなかった、と先輩達も何かおかしいと話合っていました。
(社長と夫人は別の家に住んでいたそうですが、興味なさすぎて全く知りませんでした。ここで初めて色々知った。)

社長と社員の数名が夫人の住むマンションへ行くことになりました。

夫人は亡くなっていました。お風呂場で発見され、原因はヒートショックとのことでした。

 教会での葬儀に参加しましたが社長夫人のお顔は生前と違って見えました。別人かと思った。社長と社長の息子さんはジーパンで葬儀に参加していました。ラフすぎんか?マジ?と驚愕しました。わたし海外の葬儀に参加した事もなかったから知らないしわからないんですけど、教会での葬儀ってそういうものなの?ラフすぎん?

 こ、このままでは一人ずつ、過労で本当に死んでいくのでは?社員全員の脳にそう警鐘を鳴らすには十分すぎるショックな出来事でした。皆んなで一斉に次の職場を探したり、目処をつけて会社をたつことを決めました。やばすぎる。

ここでの人付き合いは楽しかったので名残惜しい気もしましたが、数年前に人手が足りなくてもしよかったら手伝っていただけませんかとLINEが来た時はやっぱりやばいなと思い、今も(物理的にも)距離をとっています。

 ひとは結構簡単に、しかもどんな人物であったとしても平等に、死ぬということを改めて目の当たりにしその度に絶望した数年間でした。

 

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