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親と子の生活リテラシー<その9>「健康」について

◼️シーズン4のラスマエ:「健康」、そして、ウェルビーイング

気がつけばシーズン4「親と子の生活リテラシー」も9回目です。まずは、次回の10回までやって区切りにしようかと思っております。今回は九回めなのでラスト前(ラスマエ)となります。
 
 このシーズン4の「生活リテラシー」にもそれなりの想いというか託しているものがあります。ヨタの中にも五分の魂ってことでw。それはですね、生成AIと組んでショートショートっぽい表現パターンができるのか?、みたいな試し書きです。意外と長続きできるのは、生成AIの引き出し方と図表のひと工夫で、こなれ過ぎて面白みを失ったような単語たちを試考できそうだって感触はあります。まあ、書き手の満足度でしかないけどさ。生活思創の体系化には貢献してそうだ。ふっふ、体系化しちゃうよ、いつの日か知らんけど、生きてるうちにな。(そりゃそうだ)

さて、次のシーズン5のお題は決まってるのだが、その前に、忘れないうちに生活思創の方法論をもう一回バージョンアップする形で押し込んでおこうと思っております。体系化とか啖呵切っておいて、「忘れちゃうかも」ってかなり弱気っす。ええ、どれもこれも気分次第でございます。

◼️家庭と家族の健康に違いはあるのか?

親と子の生活リテラシーの中で「健康」って何かな?、をもう一度試考してみようというのが今回のテーマです。

いつもながらドデカいお題ですので、サブテーマを持って切り込んでいきます。それは、家庭と家族に健康の違いってあるのか?、あるならそれは何を意味しそうか?です。

もう少し分解すると、家庭の健康観と、家族個人個人の健康観は同じメンバーで構成されてますから、ほぼ重なるでしょう。それでも、微妙な差異があるのでは?という仮説を生活リテラシーとして言語化してみます。

まずは、健康とは何か?について。一般論から入ってみます。「人の健康」の生成AIによる定義です。といっても、ベースはWHOです。

人の健康に関する定義は、その視点やアプローチによって多様です。以下に、健康に関する主要な定義とその特徴を説明します。

1. 世界保健機関(WHO)の定義

定義
WHOは健康を「単に病気や虚弱でないことではなく、身体的、精神的、社会的に完全な良好な状態」と定義しています。

特徴
包括的アプローチ: この定義は、単に病気の不在に着目するのではなく、身体的、精神的、社会的な健康の全てを包括することで、健康の多面的な側面を強調しています。
ポジティブな健康観: 健康を完全な良好な状態と捉えることで、健康を積極的な目標として追求するポジティブな視点を提供しています。



2. 医学的定義

定義
医学的視点では、健康は病気や障害の不在として定義されることが一般的です。つまり、身体が正常に機能している状態を指します。

特徴
狭義の健康観: 健康を病気の不在と定義することは、健康を身体的な状態に限定し、精神的や社会的な側面を十分に考慮しない傾向があります。
治療と予防の焦点: この視点では、病気の診断、治療、予防が健康管理の主なアプローチとなります。


3. 精神的健康の定義

定義
精神的健康は、個人がストレスに対処し、生産的に働き、自分自身と社会に貢献する能力として定義されることがあります。

特徴
メンタルウェルビーイングの強調: 精神的健康の定義は、感情的な安定と心理的なウェルビーイングを健康の中心的な要素として捉えます。
対人関係と社会貢献: 他者との関係や社会への貢献の能力も、精神的健康の重要な側面として評価されます。


4. 社会的健康の定義

定義
社会的健康は、個人がコミュニティ内で効果的に機能し、良好な人間関係を築き、社会的支援ネットワークにアクセスできる状態として定義されます。

特徴
コミュニティとの関わり: 社会的健康は、個人が社会内で果たす役割とコミュニティとの関わり方に焦点を当てます。
社会的支援: 健康な社会的関係とサポートシステムの存在が、個人の健康に不可欠であると強調します。


生成AI


WHOは、身体・精神・社会的な領域を含めての健康を定義しています。ウェルビーイングという思想です。最近では、SDGsにも健康とウェルビーイングが入っているので、健康はますます意気軒昂w。

ただし、これはあくまでも世界規模の人類全体の話ですから、家庭という生活現場からすると、やや怪しいとも感じています。そもそも世界スケールで、トップダウン型の「健康はこれだ!」って無茶っすよ。きっと分かった上でやってるんだろうけど。定義の中にある「完全な状態」って、キツイけど言い切っちゃえ感があるし。
 生活リテラシーでは世界保健機関(WHO:World Health Organization)とは異なる視点で「健康」を試考してみます。ただし、広義の健康に対して別の「何か」が生活現場にあるという前提で進めてみましょう。つまり、ウェルビーイングに付かず離れずに「見通しの良さ」を組み立ててみるってことです。


娘「なんか、このWHOの定義だと不登校の私も健康かどうか疑わしいってことだよね」

父「今のところ、精神的な健康の基準が、義務教育にきちんと行けるかどうかってことだからね。不登校時点で・・・」

娘「あたしゃ診断済みなのか」

父「いやいや、もう一つの社会的な健康で考えると、まだ学校側にウェルビーイングが浸透してないってことになりますから。昔よりは、健康かどうかの幅は広がってるとは思うよ」

娘「不健康な健康診断を早よ、健康にしてあげてよ」



◼️ウェルビーイングを家庭と家族に流し込む

ウェルビーイングは健康を身体的、精神的、社会的な要素にまで拡張しています。これを家庭ー家族という生活レベルにまで縮尺したものが図表164です。


図表164

家庭ー集団としての健康として、家族ー個々人メンバーの健康という設定にしています。ウェルビーイングは統一した健康の視点提供です。つまり、トップダウン型の健康観なので、影響の矢印が家庭から家族になります。そこには、ウェルビーイングが掲げる身体的健康、精神的健康、社会的健康というフレームで個々のポジティブな健康に繋がります。

端的なウェルビーイングは現状の健康状態とのギャップがあって、ポジティブな健康状態をウェルビーイングと言えるところまでに戻す、です。良い状態という方角が既に想定済みであり、そこに向かっての上昇べクトルを奨励します。なので、3つの区分では以下のような方向になります。

身体的な健康:身体が正常に機能している状態に戻す
精神的な健康:ストレスに対処でき、生産的に働ける状態に戻す
社会的な健康:コミュニティ内で効果的に機能し、良好な人間関係を築ける状態に戻す


◼️創発を健康観に流し込む


さて、ウェルビーイングのトップダウンに対して、ボトムアップによる健康を試考します。一般化された健康とは真逆です。家族の誰かが病気か怪我でもしたら、サンプル数1だとしても、それは一大事であり、オロオロするのが当然でしょう。家庭という時間と空間の非常に濃い世界で過ごすわけですから、その病気や怪我の大きさではなく、その意味を残り全員の家族で考えることこそ、もう一つの健康観です。

 本人の病や怪我などの体験は健康観を記号接地させます。同時に、周囲にとっては、体験に立ち会うことになる訳ですから、これの記号接地です。よって、「私たちにとっての本当の健康って何だろう?」という現場での問いが起き易くなります。もし、この家族全体で問いに向き合うことができたなら、その家にしかない新しい健康観を生みます。これは創発と言えるのではないでしょうか。

※創発:部分の足し算では実現できない、全体ならではの新たな意味を生む行為や活動、としています。

図表165


たとえば、我が家なら

創発した身体的な健康観
「何らかの理由で寝込む」年に数日寝込むことをデフォルトにする

創発した精神的な健康観
「メンタルが疲れて元気がない」メンタル疲労がでる行動は、一旦、全て退けて「立ち止まる」ことを選ぶ

創発した社会的な健康観
瞑想やドリーム・ワークを健康習慣として、家庭生活でのスケジュールの優先順位トップにする

こうやって、「元に戻す健康状態」とは異なる健康観を生活信条にしております。言語化すると、次の健康のゆらぎのときに「ここから異なる健康に向かうのだ」といった覚悟ができて、気分的に落ち着きます。家族個人は成長したり、老化したりしていきます。ならば、健康観も動態である方が現場での「見通しが良い」わけです。


図表166

トップダウン型のウェルビーイングな健康も、ボトムアップ型の創発しながら変転する健康も、どちらも家庭ー家族にとって大切です。相補性があるのです。まあ、親と子だと両方をうまく使い分けちゃうのは親なんだけど。でも、娘の不登校で身体的な不調に立ち会うと、「元に戻す」を健康観から外したのは子供の方だったのだ。

この2つの流れを時間的なステップで見える化したものが、図表167です。誰かが不調なら、それは次の健康観へ進めの合図、ってことですね。「元に戻す」ことだけを想定しない。風邪ぐらいなら気にしないけど、それでも、「このタイミングで風邪をひくって何か意味があるとしたら、何だろうか?」ぐらいは立ち止まってもよろしいかと。ただし、ウェルビーイングは早いサイクル。創発での健康観は遅いサイクル。矢印の数の違いが手間と時間に反映されてますね。

図表167

父「歳をとっていけば、自然とできることが減ってくるわけなのに、いままでの自分に戻るのが当然って思っちゃうんだよね」

娘「歳取れば、自然と理解できることが増えるから、足し引きゼロじゃない?」

父「いいこと言うね。健康に執着するって、自然を理解してないってことかもしれんよ。残念だけど」

娘「学校が嫌になって体調崩した私が、もうこんなに元気。見習って!」

父「心の中で師匠と呼ばせていただきます。今後とも、よろしくお願いします」



◼️<おまけ>ウェルビーイングの対義語を思考してみる

ウェルビーイングって、誰も反対しない単語です。分類的には良い意味の言葉ですな。ただ、ちょっと探ってみると、ウェルビーイングの対義語が複数でてきたので、これに創発の視点を入れたら何が語れるか押し込んでみました。


図表168


❶ウェルビーイングの対義語

Well-having,Well-doingっていうのがあります。Beingに対して、HavingとDoingってわけですね。ウェルハビングもいいと思うんですよ、より良い所有ってことだからあね。でも、モノに囚われてるってことで対義語になるようです。ウェルデューイングはより良い行動。これもいい意味っぽいけど、ウェルビーイングに対してはバランスを欠いたものに見えるらしい。

❷ウェルビーイングの対義語

もう一つの対義語の方向は、Wellの読み替えです。身体的な不足なら病気(ill)で、精神的な不足なら良くないってことなのでBad、経済的な不足ならPoorになるらしいです。こちらの方がWell-beingに対峙している感じがしますけど、これらはあくまで文字差し替え版です。

❸ウェルビーイングの第三の対義語:創発の先にあるものJust-being

さて、先の❶と❷から、別の方角でありながらウェルビーイングの対義語があるとしたら「Just-being」ではないかという試考です。

総合的な状態がウェルビーイングなら、ただ存在するがジャスト・ビーイング。病気も、怪我も、不具合も、老化も、たぶん。死もただ受け入れるみたいな。創発による健康観の変容って、最終的にはこの全てを良いとする境地に行き着くのだろう。だって、祖父母が亡くなり、次に父母が亡くなって、次に子が亡くなっていくなら、自然の摂理でしかないのだ。自然の摂理に従順になることが究極の健康なのだから。

Go with the flow.


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