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天神【関係案内所をつくること】

著:大島・木村・金城・古室

グループ名(天神)の由来

グループ発足の経緯

私たちは、観光経済論という講義を受講している。講師の山碕さんには申し訳ないのだが、興味があって講義を受講したわけではない。全員が大学を卒業するために必要な単位を取得するために、たまたまちょうど良い時間で開講している科目が、観光経済論だっただけなのだった。

最初の講義で山崎さんは、こう言った。
「この講義では普通の授業はしない。グループワークに重点を置いて進めていく。そして、最終的には関係案内所を作ってもらう。」
こうした経緯を経て、私たちのグループは発足した。

グループ名(天神)の由来

山崎さんの独断でグループは3つ作られた。私たちは最初、木村と古室2人だけのグループだった。
元々共通の知り合いがいたため、挨拶程度はしたことのある仲だったのだが、ちゃんと話したのは、この日が最初だった。
グループ名を考えるためにお互いの共通点を探すために話し始めると、話が脱線してしまい時間のギリギリまでグループ名が決まらなかった。そこで、パッと浮かんだのが、「天神」だった。

「天神」になった理由は、2つある。
1つ目は、お互い福岡県に憧れがあり、天神の屋台に行きたいと思ったからである。
2つ目は、木村の好きなアーティストの曲である。福岡県出身のyonawoというバンドがある。yonawoに天神という曲があり、たまたま講義の前に聴いていたからという理由である。

余談だが、後にグループには大島・金城の2人が加入し、4人となったのだが、おそらくこの2人は、1つ目の理由しか知らないと思う。

私たちの考える関係案内所

「関係案内所」とは

関係案内所とは何なのか。
似ている言葉に「観光案内所」がある。
「観光案内所」は、道の駅などその地域の観光の目玉となる場所が紹介されているような場所のことを指すと考えていて、一目でその地域の楽しみ方が把握できることが特徴だが、画一的な観光となってしまう危険性がある。そうなってしまうと、その地域本来の良さや独自の文化などに触れられなくなってしまう。

その一方で「関係案内所」は、いわゆる「観光案内所」的な地域の紹介を行わず、あくまで偶然に身を任せる場所であり、常に新たな可能性を秘めている。
つまり、「観光案内所」=必然、「関係案内所」=偶然と言える。
私たちは、この両者の違いに着目して「関係案内所」を考察した。

「関係案内所」の実態

概念として「観光案内所」と「関係案内所」の違いは、理解できた。
しかし、「関係案内所」は偶然性を確保し、概念通りの運営ができているのだろうか。
一概に上手くいっているとは言えないのが現状なのではないかと予想する。一昔前とは違い誰しもがスマートフォンを持ち、SNS等も発達した現代では、人と人との関わりが軽薄なものになっていると感じるためだ。
また、単純に「関係案内所」が持つ概念を実現することが難しく、役所や自治体も「関係案内所」の重要性や必要性は感じているはずだが、分かりやすく道の駅などの箱モノを建てて「観光案内所」としての役割を果たすことの方が簡単と考えているのではないだろうか。
わざわざその地域を訪れる価値に「関係案内所」を通した観光のあり方はまだなりきれていないように感じる。

「関係案内所」と偶然性

これまでも述べてきたように、「関係案内所」とは、偶然がもたらす出会いによる観光のあり方だと考える。
しかし、実態を見るとそれは実現できていない。
私たちの考える解決策は、そもそも「関係案内所」は作る必要がないというものである。
語弊があるので補足するが、「関係案内所」は作ろうとして生まれるものではなく、結果的に生まれていたものだということだ。

これは木村の体験談なのだが、大学を進学を期に札幌に引っ越し、家の辺りを散歩していると、夫婦で営む古着屋を発見した。
買い物もたくさんしたが、ただただ話をするために訪れることも多かった。次第に近くのおすすめの飲食店を教えてくれ、教えてもらったお店で新たな出会いが生まれ、またさらに新しい出会いが生まれるということを実体験として経験した。
たまたま立ち寄った店から始まり、新たな出会いへとどんどん繋がっていく。これこそが、「関係案内所」のあるべき姿であると考える。

そもそも、人の出会いというものは、いつだって偶然である。
それなのに「関係案内所」を作って偶然的な出会いを生み出そうと考えている時点で、その出会いは偶然ではなくなってしまう。
それこそが、「関係案内所」が実態として上手くいっていない要素の1つだと言えるのではないだろうか。

終わりに

これが、半期に及ぶ観光経済論の講義に対する私たちの答えである。
私たちは、今回「関係案内所」を批判的に検討したが、「関係案内所」の取り組みは面白いと思うし、興味がある。
実際に観光案内所やsennに訪れたことがないため、私たちの主観が大きくなってしまったが、これが我々天神が考える「関係案内所」である。

追記

後日の話し合いより

終わりにを書いてから数日後に、グループメンバーと山崎さんとでこのレポートについての話し合いが行われた。その際「関係案内所」を考える上でのポイントが2点上がってきた。
①演じるということ
②偶然と必然について

①演じるということについてだが、この講義の最終日に「東京自転車節」という映画を見た。概要は以下の映画HPのリンク(http://tokyo-jitensya-bushi.com/)にて省略させてもらうが、主人公は過酷な生活を送っていた。時折見せる人によっては醜態とも捉えられるような姿も主人公の生き様として見ている人を惹きつけ、かっこいいとも思わせてくる。そこに着目した時、演じるということが「関係案内所」を考えていく上でのポイントになると感じた。

②の偶然と必然についてはこれまでも述べてきたが、再度考えるきっかけとなった。生きていれば当然様々なことが起きる。その時に起きた出来事を偶然と捉えるのか必然と捉えるのか人間には2パターンあると思う。我々は前者であり、偶然だと捉えていた。しかし、山崎さんは必然だと考えるのだそうだ。ある人との出会いにしてもそれまでに自分がしてきた選択や蓄えてきた知識によってもたらされた出会いだと感じると続けて述べていた。
山崎さんが言うように必然の出会いも存在すると思うが、それでも大半は偶然な事の方が多いと思う。しかし、その偶然の出会いに意味を持たせればそれは必然の出会いに変化するのだと思った。そのように思考を変化させて「関係案内所」を再度考察していこうと思う。

再度考える「関係案内所」

山崎さんを交えた話し合いのあとにグループワークを開催した。議題は先ほどから述べてきた2点についてである。
結論から先に述べるが、今まで私たちは「関係案内所」は作ろうとして作るものではないと考えてきた。しかし「関係案内所」は作ろうとして作ってもよいという風に考えを撤回しようと思う。

その理由について演じるということの観点から先に考えていくが、山崎さんとの話し合いを受けて人間は複数の顔を使い分けて生活していることに気が付いた。例えば、友達と話している時と職場で上司と話す時では自然と同じように話していないはずだ。映画の主人公のように誰しもがその場その場を演じているのである。演じるということは悪いことではなく、むしろ対象の相手とよりよい関係を築くための手段である。このことを念頭に置きながら「関係案内所」を考えた時、1つの物語が思いついた。

観光という名の物語


ある地域に「関係案内所」という名前の演劇の小屋で、ある物語の公演が行われている。その物語とは、旅行である。旅行という物語を演者は演じて、お客さんはそれを楽しむ。ひと時の時間その物語の世界に入り込んだお客さんは、終わると今までと変わらぬ日常へと戻っていく。その一方で、小屋では物語が連日繰り返し公演され続けていく。物語が気に入ったお客さんは、もう一度小屋を訪れたいと思い、また「関係案内所」にやってくる。


これは例えばの話だが、「関係案内所」を通した観光とはこういうことなのではないかと考えた。また、大きく捉えれば観光とはそういうことなのではないだろうか。スマートフォン1つでなんでも調べることが出来るこの時代に人と人との繋がりや関わりが薄くなったと言われるが、非日常や今まで感じたことのない人との繋がりを感じられることが観光や旅行の良いところで、それを最大限化させるのが、「関係案内所」だと考える。

都市にこそ「関係案内所」

ここまではある程度地方を想定して「関係案内所」を考えてきていたが、大都市にこそ「関係案内所」は必要なのではないかとグループワークを通して感じた。
地方は独自のアピールポイントを宣伝し、観光客などを外から集める行動が必要と考える。そのためには、「関係案内所」と「観光案内所」の両輪を稼働させていく必要があるはずだ。しかし、大都市は外側に向けた発信がなくても人が集まってくるため、「観光案内所」ではなく「関係案内所」の取り組みが必要となってくるのではないだろうか。

最後に

以上ここまで述べてきたことを天神の最終結論とする。
「関係案内所」と「観光案内所」は共にどちらも必要なものであると再認識した。その中で「関係案内所」は人と人を繋げるに留まらず、日常と非日常までも繋げていく必要があると思った。

私たちの関係もこの半年の間で繋がりが深くなったと感じている。山崎さんが独断で決めたグループではあるが、天神はこの4人以外では成り立たなかったと思う。そういった意味では、この講義は他の科目と違い人間味に溢れ、安心感を感じる大学の講義らしくない講義だった。しかし、その安心感を必要としている学生も少なからずいるはずだ。この講義はいつだって今を見せてくれる。将来や未来のために大学で講義を受けている人にこそ観光経済論を受講してみてほしいと思う。

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