現代社会における自由とは何か?


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グループワークを終えて感じたことは、Free宿は自由なグループではなく、自由がすきで自由を求めているグループだということだ。しかし開放的な空間を望むのは私たちに限ったことではなく、基本的に誰もが自由を求めている。Free宿のメンバーは、自由を求めて決まったレールの上を外れて、誰かに導かれた形式にとらわれずに生きている人たちの集まりだと感じた。棧敷君は自分の車で旅に出て、北海道の色々な地域について知っている。決まった場所に居続けるのではなく、旅を通して刺激を受けることで、決められたレールから脱線しているようにも感じる。太田君は親の反対を押し切って佐呂間を飛び出し、今では自分で学費を稼ぎながら札幌で日々刺激を受けているようだ。そして私も大学の4年間は色々な業種のアルバイトを転々としてきた。同じ職場で働き続ける方が安定していて昇給も考えられたが、私も自由を求めて、やりたいことをやるために行動していた。映画「東京自転車節」をみて、私たちが感じたのは主人公の不自由さであった。ウーバーイーツ配達員は一見好きな時間に好きな場所で好きなだけ働けると言う点で自由に感じられるかもしれない。しかし実際はウーバーイーツ配達員は、過酷な労働環境の中で長時間働き続けるものの賃金は見合っておらず、寝る場所を確保するのも困難な状況であった。私たちFree宿は、現代における自由とは何かを考えた。人は自由を求めるが、自由を手に入れた分だけ不自由がかえってくるというのが結論である。ある意味合理的であるとも捉えられるが、現代において本当の意味で不自由から逃れるのは非常に困難である。目の前の不自由を断ち切ろうとしたとき、そこには新たな不自由がまた生まれてしまう。新たな挑戦は生活を不安定にしリスクを伴い、大抵のことは費用がかかる。高校卒業、大学卒業、就職といった決まったレールに乗ることで、一定の自由を手に入れることができる。しかしそのような自由を与えられるがゆえに、そこから逸脱するハードルが高いというのが現代における自由である。

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今回のグループワークを終えての感想なのだが、今回のグループワークを通じてfree宿の由来を再認識することができた。それは最初、free宿はみんな一人一人が自由に暮らしてきたからなど挙がったのだが、そこには第三者から見た時に不自由も感じているのではないかと出てきた。そこも踏まえて私たちの結論としては、自由なグループではなく自由を求めているグループということがわかった。自分は大学生という生活がしてみたくて、親から進学はできないと反対されたのだが、学費や生活費は自分で払うと言い、札幌に来た。そこには、一人暮らしや都会で自由に遊びたいという気持ちがあった。この経験もあり自由を求めているのではと改めて気づいた。レールから外れてみることも経験としては大事だということを知った。
続いて話題に挙がったのは映画を見ての感想である。ウーバーイーツーの配達員は決められた時間や好きな時間にできるという自由な働き方ができていると感じたが、実際は雨の中自転車をこぎ続けないといけないという過酷な職業であり、お金を稼ぐためには多くの依頼を達成しないといけないという不自由さが生じているということがわかった。したがって、私たちもそうだが自由があるからには不自由も同時に生じているということを、グループワークを通じて同感した。
続いて議論したのは現代における自由とは何かということである。議論で出たのは自由を手にするためには、お金が関係しているのでは?と挙がった。なぜなら、自分の趣味や旅をするのにあたってお金が無いと叶えられない。しかしお金を稼ぐためには働かないといけないので不自由が生じている。つまり私たちは自由を手にするには不自由からは逃れられないということがいえる。


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私たちの関係案内所「Free宿」とは本当に自由なのか。結成当初はメンバーそれぞれが自由な意思を持って行動している由来から名付けたが、約半年にわたってグループでの活動を続けていたところ、山﨑先生から「Free宿は不自由そうに見える」との言葉をいただいた。私たちは今までの自分たちこそが自由であると思い込んでいたが、他者から見た私たちは不自由そうに見えたということである。
今回のグループワークを始めた時点ではその意味がよく分かっていなかったが、現代社会における自由を解読していくと、私たちの不自由が浮き出てきた。
現代社会ではインターネットが普及したことによっていつでも、誰でも、どこでも、情報の入手や発信が可能になった。労働における対価である賃金が多少の上昇を果たした。東京自転車節での話のとおり、フードデリバリーサービスなどの新たな働き方も生まれた。一見これらは自由が加速しているように見えるが、実はそうではない。インターネットの利便性の反面、メディアリテラシーに反する様々な問題が発生している。労働者の賃金上昇とともに、さらに高い水準で物価が高騰している。新たな働き方が生まれたと同時に、機械化によって人々の職がロボットに奪われつつある。つまり、自由なものには全て不自由が付きまとうのである。
私たちは自由な面にだけ囚われ、不自由な面に目を背けたり、気づいていなかったのだ。ここから分かった私たちのグループ名とは、「自由なグループ」ではなく「自由になりたいグループ」だった。グループのメンバーは学校を卒業して社会に出る者、進級して就職を目指す者と、この先の道は自分で決められる。今後の人生で私たちは不自由との調和も図りつつ、更なる自由を目指したいと思った。

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