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【活動支援記事】もう1つの真実 ー明智光秀文学碑の謎ー

 『明智軍記』は、史実、通説、定説、学説を知っている人にとっては「誤謬充満の悪書」ですが、知らない人にとっては、面白い時代小説です。
 たとえば、第5話「北海舟路事付根挙松事」には、「永禄8年5月9日から20日まで、明智光秀は、薗阿上人を誘って、山代温泉へ湯治に行った」と書いてあり、何も知らない人は、「ああ、そうですか」で終わりです。

 事実、長崎称念寺には「住職の薗阿上人が明智光秀と旅行した」という伝承があり、山代温泉の公式サイトには、「永禄8年(1565年)5月、傷を負った明智光秀もまた湯治のため、10日間にわたってこの山代に滞在したと伝えられています」とあります。(『明智軍記』には、「傷」ではなく、「小瘡」(皮膚病)とあります。)

 タイトルの「もう1つの真実」とは、「山代温泉へ湯治に行ったのは、永禄11年5月9日から20日まで。それを『明智軍記』では永禄8年に変えたので、同伴者も薗阿上人に変えざるを得なかった」というものです。

 さて、どりらが真実なのか、現地へ取材に行ってきました。

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